見知らぬ国のトリッパー 2




scene:2


2040年。


 瞼をゆっくりと開くと、そこは、電脳空間だった。


 目に映るのはリンクで繋げられた摩天楼のビル群、そのビルの一つの屋上に彼女は立っている。無機質なビルと空だけがある空間。彼女はこの場所が好きだと感じている。風が吹く。それは彼女のアバターの髪を揺らす。その風は実際の生身の頬や髪には当らないのだが、気持ちが良い。


 彼女の手には一枚のカード。“アカウント”と記載されている、そのカードを空を切り裂くように投げつけると彼女の目の前の空に様々なデータの巨大空中映像が映し出された。その巨大空中映像は現在のログイン数などを表示している。現在の総ログイン数は238031名。ランクをA以上に検索したなら10316名。


 アカウントを証明する音声パスワードをどうぞ、とアナウンスが流れる。別に音声認識パスワードにしなくても良いのだが、彼女はそうしている。彼女はこの瞬間が好きだ。なぜなら現実よりも生きている感じがするから。彼女は少しだけ口元に笑みを浮かべ、自らを誇るように言った。


「私は、私の存在を証明する!」



 パスワード承認。


 “ファイアフォックスガール”さん、『スペル・バインダー』の世界へようこそ。



 彼女がログインした瞬間から対戦申し込みが10を越えた。15、30。彼女こと“ファイアフォックスガール”はこの世界では有名人らしい。彼女は“彼”の名前をその中から探すが、見つからない。まあいい。対戦でもして暇を潰そう、と彼女は考えた。“彼”とは“パンプキンヘッド”というプレイヤーである。彼女はこの世界でA1ランクだったが“彼”はS1ランクであり、『スペル・バインダー』内の神様とも言われていた。そして神出鬼没、つまりいつ現れるかわからないプレイヤーでもあった。それで道化とも呼ばれている。姿を現せば何回か誰かと対戦し消える。しかも8割以上の勝率である。


 毎回カードセットと戦略を変えてくるので対策が取れないまま相手は負けてしまうのだ。対戦数が少ないが故にS1だが実力的にはACEランクであろう。戦って見たいと彼女は思う。何故なのか彼女には“彼”が本気じゃないと感じるのだ。


scene:3


 未来からシーンは戻り、2013年、秋。


「どうして俺に話が回ってきたんですか」

「いやー、誰もやってくれる人がいなくてねー」


 嘘だ、と奥村は思った。最初から話を持ってきたくせに。今、喫煙席で話している相手は渡部敦彦わたべあつひこと言い、奥村の上司に当たる。そして渡部という人間は奇特なところがあった。初老に近い年のせいなのか頬はこけているが飄々とした表情とひょうきんな喋り口で社員どころか会社全体からの評判は良い。


 そしてどのような企画であっても通しまくる類稀なる話術を持つために交渉の魔術師と社内では呼ばれている。奥村から見れば魔術師というよりか詐欺師同然である。ジョークも上手く温和というか表情豊かな顔を皆に見せているが、冷たく物事を見つめるという点で奥村と共通点があった、と奥村はそう分析している。奥村とはよく話す訳ではなかったが、話す時はいつも仕事の話だった。おそらく、と奥村は思う。人間嫌いなのだろう。人間嫌いだから飄々としているのだ。そして人間嫌いはどこか惹かれ合う。


 喫煙室。渡部は煙草を吸わないが、奥村がそこにいるので会いに来たという形だ。渡部がこうやってわざわざ奥村に会いに来る場合は大抵、禄でもない話になる。


「TCGやりたい奴なんかいっぱいいるじゃないですか」

「それがだね、会社の都合ってやつ? 社運を掛けた、というまあお決まりのセリフを言ったらみんな逃げてったよ」

「まあ市場は盛り上がってるのに、TCG自体は博打打つようなものですからね」

「わかってるじゃない。他社強いし」

「…で、俺ですか」

「そ、君」

「もう開発やっているんでしょう?」

「うーん、それがね難航しているんだよ。真似は出来る。それで勝てるかというとそうでもないんだね」


 奥村は煙草の灰を灰皿に落としつつ、「売れないものしか作れませんよ」と言った。渡部の表情は変わらない。


「売れない、か。…個人的には売れなくてもいいんだ、残れば」


 この男は卑怯な言い方をする。


「今やってる企画終わったら考えますよ」

「いや、それがだね」

「なんですか」

「2016年中、なんだってよ、発売が、というか開発終了が」

「……」

「来年にはTCG業界に乗り込もうとしてる。人気ジャンルだからと」

「無理に決まってるじゃないすか。メディアミックス関係は?」

「まだ白紙というか何も無し。というか無いだろうね」

「俺は俺の企画で忙しいので、では」


 奥村は吸っていた煙草を吸殻に捨て喫煙室を出ようとした。


「君なら何をTCGで表現する?」


 この男は卑怯な言い方をする。こうやって話というか思考を引き出すのだ。本当に碌な話じゃないなと思いつつ、憂鬱そうに奥村が「…魔法ですかね」と返すと、渡部はニッと笑った。渡部の挑発めいた魔法だ。この魔法で交渉を成功しまくる事から会社内では交渉の魔術師と言われている。結局やる事になるのだ。


 別れ際、渡部がサンプルの他社TCGのカードを渡して、何故、君だと思う? と奥村に聞いてきた。奥村が答えを返せずにいると、渡部が奥村の肩をポンと叩きつつ「みんなの事をよく考えてるからだよ」と言った。喫煙室から去っていく渡部の足取りは軽く、奥村はそこらへんにあった缶コーヒーの空缶を投げつけてやろうと考えた。


 喫煙席に坂本が入ってきた。ウチのチームのプログラマーだ。坂本は煙草に火を付けながら奥村に話しかけた。


「なんかあったんすか? 渡部さん上機嫌でしたよ」

「TCGやれってさ。予算未定どころか少ない。メディアミックス無し。再来年まで作れって」

「……貧乏くじもいいところすね。で、…やるんですか」

「企画書テキトーに書いて渡部の顔に叩きつけてあとは逃げる」

「www」

「だって知ったことじゃねえもんさ」

「www」


 君なら何をTCGで表現する?


 畜生、渡辺めと思いながら煙草が3本目になる頃には、大体の草案が出来ていた。ちょうど良く坂本が居たので聞いてみた。


「お前、RPGの魔法で何が好き?」

「派手なのいいっすね、画面全体が光ってドカーン的な」

「www」

「え、そういうもんじゃないんすか」

「うーん、RPGだとそれでいいんだけど、TCGではそれが難しくてね、カード一枚、演出エフェクト何も無し」


 渡部から貰ったカードを坂本にちらつかせて言った。


「イメージしろ!ってやつですか? レアカで誤魔化すしかないんじゃないすかキラ付きの」

「弱いな」

「普通に他が出してるTCG真似ればいいんじゃないですかね? あとスマフォでTCGとか。何か流行り始めてるらしいですよ?」

「うーん」


 煙草を吸いつつ無言でカードを見続ける。携帯TCGは論外として。何故論外なのかを正確に言うと簡単に言えば金のやりとりが携帯課金で簡単にでき、絵はデータでいつ消えるかわからず、そのカードの確率はデータなので10秒あればサービス提供側が勝手に確率を変える事ができる。ガチャと呼ばれるシステムだ。そして違法になり携帯TCGのイメージは悪くなる。そういった意味で論外である。渡部から受け取った数枚のカード、そこから魔法のカードを取り出して、奥村は考え込む。


「魔法だけだったらどうかな」

「誰も買わないっすよそんなんw」


 それはそうだ。派手ではなく、分かりやすくも無いからだ。プレイヤーは強いモンスターカードで勝ちたいもので、魔法はそれを有利にするカードでしかない。


「カードだけでも、殴りたいというプレイヤーの欲求は捨てちゃいけないよな」

「召喚でドカドカバキバキが流行ですからね」


 魔法戦、それをカードゲームで魅せるには。奥村は4本目の煙草に火を付けた。プレイヤーそれぞれの知識・イメージ力しかないのではないか。イラストなどの情報はイメージを喚起させるためにある。電源ゲームのRPGの魔法は売りとして成立している。グラフィック、音、属性効果。金がかかってそうなゲームほど魔法のエフェクトにお金を掛ける。ゲーム雑誌の写真や動画で見栄えが良いからだ。必殺技もそこに入るが。


 では、カードゲームでは一枚絵とテキストルールの効果だけである。魔法主体のカードゲームにするには、それで売れるような物を造るには、考えなければならない。キャラクターがいればいい。女の子のキャラクターでそれぞれ属性を付ける。キャラが受ければまあ売れるだろう。しかしそれはあの同人シューティングのTCGと同じになる。


 やっぱり企画を断ろうと渡部に電話を入れた、が、留守電モードになっていた。野郎、逃げやがったな。


 魔法、魔法、魔法、魔法とは何か。何故、炎や雷の魔法を気軽に撃てるのか。雷など家の近くに落ちたら怯んでしまうほどの音と光を発生する。地割れ、津波、空間を捻じ曲げる魔法。そんな危険なものを気軽に撃てる世界など簡単に滅んでしまうだろう。例えば高位のウィザードを数名、襲撃しようとする街や城から2kmくらい離れた高台に集め、気球のような大きな火球を2km先の建物にぽいぽいとぶつけるだけで建物や生物は一瞬で壊滅する。いわゆるMPとそのような魔法とその使い手、おまけにMP回復アイテムだけ揃っていれば簡単だろう。兵器のほうがまだ可愛い。


 100円ライターをカチカチとやりながら、そういう事を考えていた所で、ふと、現代的な魔法戦はどうだろうと考えた。100円ライターの火が揺れる。ちょっとしたイタズラ心で、坂本、と呼んで、振り返ったところで100円ライターを坂本の目の前でカチっとやった。坂本は、うをっ! と反射的に仰け反り、いきなり何するんですか、あっぶねー、と目をチカチカとさせた。


「RPGだと忘れがちになるけど、火ってあぶねえよな」

「……は?」


 もう一度100円ライターで火を付け「これの何倍もある炎を出す実際の火炎放射器で襲ってきたらどうする?」と坂本に聞いた。


「そりゃもう全力で逃げまくりますよ」

「うん、そりゃそうだよな」

「つか、何の話ですか?」

「魔法って実はとても危ないものって話」

「ああー、よくある魔法インフレでお前それ一発で敵蒸発するだろ的な。隕石どーんとか」

「そうそう、それでなくとも上から1tありそうな氷がどーんとか死ぬるよな。氷属性ダメージじゃなく物理的に」

「考えてみればそうすよね。俺、雷ダメなんですよ。音が怖いってのもあるんですけど、家の近くに雷落ちてエロゲー入れまくったPC飛んじゃって」

「www」


 魔法を現代的解釈する。魔法で世の中の物理現象を再現する。物理現象については基礎的な知識があるなら脳内で再生される。間違っていないはずだ。とっさに浮かんだのはハリウッド映画の爆発シーン。あれは映画的演出だが、嘘を本当に見せるために厳密に作られる。フラッシュファイアやバックドラフトを表現している。フラッシュファイアは建物が燃える事で中の物が燃え、一種のガスのようなものになり粉塵爆発のような爆発の現象。バックドラフトは燃えている建物のドアを開けると可燃性の一酸化炭素と外からの酸素が結びついて爆発する現象。他にも水蒸気爆発や核爆発。爆発には理由がある。地震や津波、降雨、雪崩、雹、雷雨、竜巻にも。

 

 再び、渡部から貰ったTCGのカードを見つめた。要素。要素の組み合わせ。イラストがあり、マークや数値などがあり、テキストがある。約200文字。twitterより少し多いくらいの文章量。問題は要素の組み合わせの魔法で物理現象を再現させるためにはカードに記載できる文章量が制限されている事だった。


 どうすればいいのか。喫煙室から仕事場に戻った奥村はふと机に置かれてあった忌々しい仕様書の紙の束を見た。仕様書とは「これをこのように作れ」という指示の紙である。奥村は椅子に座って考え込む。トランプと同じサイズのカード。テキストルールの文字制限があるのなら。簡単だ。外部に移せばいい。


 問題はどのような形で外部に移すかだ。


scene:4


 2040年。


 それは彼女が『スペル・バインダー』に触れる前。


 何故、私は私なのだろう。それはこの世の中に私しかいないから。でも、それを証明するのは私しかいない。「我思う、ゆえに我あり」、とは哲学で学んだ。私は女子高生で、それだけでしかない。遠くから見たら、私は単なる若い女の子なのだろう。

「力」が欲しかった。私が私と誇れるだけの。私が私だと証明するために。


 学校では生真面目+気が強い+群れるのが嫌いと認識されているので友達がいない彼女は屋上で一人でごはんを食べながら『ブラインダー』で24時間流れているネット動画のCMを見ていた。こういうとき『ブラインダー』は便利だ。気が紛れる。そこに『ブラインダー』対応の『スペル・バインダー』のCMが流れる。それは説明から始まった。


 最初に、私達が存在する「現実」があります。


 しかし、それだけでは人は生きていけないので人は物語、つまり「架空現実」を作りました。現実とは離れた物語、空想の絵、アニメ、映画、音楽…様々な架空の現実が作られ、そして時は経ち、電子部品の技術発達によりディスプレイの中のデジタルな「仮想現実」が作られました。キャラクターが作られた世界を探検するゲームもその一つですね。


 その分野の発展から演算処理の高速化などにより現実と仮想の映像を重ね合わせる「強化現実」が作られました。現実の映像にリアルタイムでそこにはない映像を作り出し錯覚させるもの。そしてこれらが混ぜ合わされた「複合現実」という概念が生まれつつあります。


 賢き人々は言います。そんなものに触れても何の意味もなく、ただ時間を浪費するだけだと。本当にそうなのでしょうか。私達は思うのです。それがどのような「現実」であっても「現実」である事には変わりは無いではないかと。私達はこの「現実」を再定義することにしました。「現実」とは「世界」という俯瞰の存在ではなく「個人」という主観の存在ではないかと。


 あなたこそが、最後の現実。


 『スペル・バインダー』は、あなたの実存を証明します。


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