見知らぬ国のトリッパー 1
2010年制作。で、2018年頃に時代が追い付いたのでリライトした記憶。
scene:prologue
──もしも、ゲームこそが総ての最適解だとするのなら。
それは、トレーディングカードゲームと呼ばれるゲームの一種である。
それは、現代的な魔法戦を再現しようとするゲームである。
それは、傷だらけで付箋が貼られまくった醜きバインダーを持つ、人であって人で無きもの。
それは、一つのカードを限界まで使いこなす、人であって人で無きもの。
それは、人で在る前にゲーマーで在ることを選んだ、人であって人で無きもの。
眼差しは凛を纏う刃。
バテンレースの日傘にクロスオーヴァーする、
遠く去りし恋文の華やかなピルエット。
全ての手段を思案せし行使する、その姿は『スペル・バインダー』という。
scene:1
2018年1月8日、その日は珍しく、本当に珍しく関東でも雪が降った。
そこに、小さくも大きくも無いゲーム会社の屋上にて焼酎を呑みながら雪が舞う白い空を見上げている不精ヒゲの男がいる。
「…何しているんですか」とその男を捜していた青年が、またしてもサボりか、というニュアンスと呆れ顔を含めて言った。青年は男の親戚だった。正確には男の甥に当たる。青年はゲーム会社の人間ではないのだが、男はある事情でこの親戚の青年に会社のフリーパスを渡している。そして毎日のように通っている。
不精ヒゲの男はそのヒゲを人差し指で擦りながら口を開く。「空を見ていたんだ。今は星空が見えないね」
空からは雪が降っている。周囲はビルだらけだ。雪はビル風に舞い、男の肩に少しだけ積もっていた。安っぽいコートを着ていなければホームレスにも見える。
「こんな真っ昼間で雪も降っているというのに何を言っているんですかヒデ叔父さん」
今は昼。それなのに雪が降るとは1月の関東では珍しかった。空は雪雲に覆われていたが明るかった。
「こういう時でも星空は確かに在るのさ」
「?」
「今は雪や雲や太陽の光が邪魔しているだけでね」
空からは雪が降っている。青年は横目で空を一瞬だけ見て、視線を不精ヒゲの男に戻した。
「普段エロ話しかしないヒデ叔父さんが言ってもロマンチックに聞こえないですよ」
ヒデ叔父さんと呼ばれた男、焼酎で少し酔っている
「現実でファンタジーを見るのは、難しいのかな」
青年は何も言えなかった。言えないほどにゲーム業界に足を突っ込んでいたからだ。青年はゲームと関わる出版の仕事をしている。現実と架空の区別はとっくについているが、ゲーマーである以上、様々なゲームに触れるため物語に移入する感性は人よりも鋭いと青年は思っている。ファンタジーを作り出す立場の人間というのも理解している。だからこそ何も言えなかった。
近年のゲーム業界は大荒れを見せている。主にネットゲーや携帯電話ゲーム関係である。そして録画プレイが流行っている事で今までのゲーム作りの手法が変わらざるを得ないそのような時期でもあった。
「何を言っているんですか。仕事が待ってますよ、僕との」
青年は少し弱いトーンで言った。青年の名は
こうして叔父と親族というだけではなく『ブルーフォレスト社』とも出版関係で親交があった。2016年、奥村はこの会社で初のトレーディングカードゲームとなる『スペル・バインダー』というトレーディングカードゲームをリリースした。『スペル・バインダー』はこれまでのトレーディングカードゲームとは異質であり、魔法という、これまでのトレーディングカードゲームにて便利なカードでしかなかったものをメインとしたゲームシステムだった。そしてカードは置いといて書籍関係で少々特殊な形、普通の本の形ではなく、小型バインダータイプの本として出版した。何故かと言うと『スペル・バインダー』にはバインダー、その中に挟む『魔法仕様書』という紙がゲーム内で強くなるために必要という特殊な形を取っていたからである。更には携帯端末の使用もシステムに組み込まれているが今は関係ないので省略する。
しかし、一つのトレーディングカードゲーム、それもトレーディングカードゲームをリリースするのが初めてという会社のトレーディングカードゲームで専用のバインダーなど売れてくれない。
バインダーということで購買層の目を惹くだろうが、それだけであり、他のゲームの情報も載せる形で本は発売された。購入者にとっては『スペル・バインダー』より、他のゲームの情報、新ゲームの情報や開発秘話の方が重要度が高い。そしてそのタイプの購入者はトレーディングカードゲームに興味を持ってくれないだろうということは、ずっと前に予測されていた。
出版側ではなく『ブルーフォレスト社』の叔父との話で、売れてくれれば良い、まあ新作の情報を付けたり、あるゲームのカラーコードを付けるから一定は売れるけど『スペル・バインダー』としては売れないかもしれないと話していたのだ。商品となるゲーム『スペル・バインダー』を作る前からだ。3年前の事だろうか。そのバインダーの本が発売されたのが2016年の夏、そして数か月後『スペル・バインダー』のカード類が発売されたのだが、売れ行きはあまり良くなかった。
ただ、少し奇妙なのは、作った本人達は一向にしてそれを気にしていないという事だ。何かを待っているような節があるのだが守口には全く考えが及ばない。しかし事実として現在の所、業績不振なのは変わりはない。
「ああ、そうだったね」と、ゲーム会社の屋上で、焼酎を呑みながら雪が舞う白い空を見上げる、変人の奥村秀明。いらりとする青年こと守口。だが守口はどこかで予感していた。ヒデ叔父さんと呼ぶ、奥村秀明がいつか突然自殺するのではないかと。いつも冗談ばかり言う、だけど話の終わりに遺言のように言葉を語る、その奥村秀明がいつでも自殺しそうで守口はどこか放っておけなかった。
目つきがもう、現実を見る“それ”とは違っている。奥村秀明という人物はその瞳というか目つきのせいで親戚どころか親にも疎まれていた。狂人が見せる目つきと同じだからである。それよりかは理性がある目つきだったが。親戚が集まる行事に、例えば葬式であっても奥村は出席しない。本人は「こんな目をした人間が行けるわけないだろう」と言っていたが。
その寂しそうな顔を守口は知っている。普通に普通の人と混ざれたら良かったのにという顔だった。以前、対人恐怖なんだよと冗談で言われた事があったが、本当にそうなのかもしれない。でなければ、こんなところで一人で酒を呑んではいない。
『スペル・バインダー』のカード類の売れ行きはあまり良く無い。他のゲームで利益を上げてはいるが、恐らくは『スペル・バインダー』の業績不振で近い内に、デジタルゲームの方に戻されるだろう。でも、それにしてはあまりにも、あまりにも余裕過ぎるようにも見えた。
「『スペル・バインダー』が失敗したのがそんなに悔しいですか」
奥村はコーラと混ぜた焼酎を啜る。子供っぽい酒の呑み方と守口は思ったが、大人っぽい酒の呑み方など、仕事上の付き合いでの飲み会の酒しか知らない。コーラと混ぜた焼酎を呑むのはこの人の作法なのだろう。コンビニで買った安い焼酎と安いコーラ、コーラでなくても何でもいいのだろう。その安っぽさが男の人となりを表現しているようだった。奥村は少し笑って見せた。
「失敗などしていないよ」
「売れてないじゃないですか」
「さてね。定義による。最初から失敗するように作られていたらどうだい?」
禅問答のような奥村の返しに少しイラっとする守口。
「犠牲という名の成功ですか」
奥村は守口に眼を向けた。その目付きは鋭く、人を値踏みするようだった。
「まだ『スペル・バインダー』は本当の姿を見せていないよ」
「でも、しかし…」
「数年後に少し状況が変わる」
守口は、この人は何を言っているのだろうと、ぽかん、とその場に立ち尽くすのみで、叔父の肩や髪に雪が積もるのを見て、風邪ひきますよと言ってその場を離れた。酒に酔っているのだろう、酒呑みに付き合うのは不毛だと思ったのだ。付き合ってもよかったが、それには外が寒すぎた。見渡す限りのビル群に雪が降り、ビル風で乱雑に泳いでいる。そして奥村は含み笑いでもう一度言った。「今は星空が見えないね」と。何かを諦めてるような笑みに守口には映った。今は星空が見えないね、その言葉が繰り返し守口の心を刺す。
ゲームとは博打のようなものだ。当たればデカいし、外れたら失敗作の烙印が製作者に押されることになる。『スペル・バインダー』はどちらかというと後者の方だった。トレーディングカードゲームというジャンルだったので開発費込みの大ハズレという事は無かったが。会社側もそのように判断して叔父である奥村を元のデジタルゲーム部門かアーケード部門に戻すだろう。守口は奥村を呼び戻す説得を諦めてビルの中へと戻った。
今は星空が見えない。
芝村め、と奥村秀明は思った。芝村とは男が一度会って殴りたいと思うほどに、簡単に、軽やかに、ファンタジーを魅せるゲームデザイナーの名字である。詐欺師の才能は俺にもあるのだろうかと奥村は自問自答する。
数年前の冬の正月、奥村の故郷である雪が深い東北の某所、各家の部屋の灯りも消された深夜だっただろうか。雪やこんこん、という童謡、正しくは『雪』という童謡があるが、そのように、こんこんと雪が降っていた深夜。近くの自動販売機へと徒歩でコーラを買いに言った時、空は雪だったというのに空は透明に見えた。
自動販売機の蛍光灯や電灯で深い雪が照らされ、周囲が白く見えた夜である。透明ではなかったのだが、透明に見えたのだ。その数日前、インターネットで醜い過去の出来事を晒したところ、芝村という男だけが怒ってくれた。
多分、あの時は怒られたかったのだろう。怒られて、その内容が不器用ながら透き通っていて。まさかインターネット上のやりとりで号泣するとは思わなかった。その時は流石に心が潰れたが、強引に気分を変えようと、ある百合アニメを1話から26話までぶっ通しで見て、その最終回が終わったのが正月の深夜で、甘いものが欲しくなり外に出たのだ。
家の外は綿のように粒が大きい雪が降っていた。深夜の東北の空気は鋭く肺に入り込む。それまで泣いていたのとアニメの見すぎで重たかった頭が、ふっ、と軽くなり、自動販売機でコーラを買った帰り、ふと、歩みをやめ空を見た。雪の雲は厚く、星空など見えない。しかし、その空は透明に見えたのだ。そして気付く。芝村という男が空を透明に見せる言葉の魔術を使ったのだと。
この時ほど空が透明だと思った事はない。物語を描くものにしか察知できない言葉の魔術。自分の醜い過去の暴露の書き込みで、何故怒ったのかわかっていた。怒ってくれる、叱ってくれると、どこかで思っていた。自分より上の、どう足掻いても勝てない人間に怒られたいとどこかで思っていた。騙されたかった。自分を誤魔化して、騙して生きていきたかった。死にたかったのかもしれない。しかし芝村という男の怒りの言葉は騙しながら現実を透明にしやがった。都合の良いファンタジーに縛り付ければ良いものを芝村という男はそうしなかった。
所詮は他人なので真意は分からないが、優しかった事は確かだ。厳しかったけれど。くそ、芝村め、と思うのが作法的には正しい。泣きそうになるほど正しい。あの深夜の事を思い出すと泣きそうになる。今はもうキチガイの目つきになった瞳で関東の雪の空を見つめる。空からは雪が降るばかりだ。故郷の雪に似ていた。
奥村秀明は屋上でコーラと混ぜた焼酎を飲んでいる。奥村は玩具のメガネを取り出し、掛けた。それはちょっとした仕掛けで目の前に立体像が浮かび上がるという子供だましの玩具のメガネだ。ホログラフのようなそういう仕掛けなのだろうが、奥村はこの子供だましの玩具のメガネが好きで一人だけの時はそれを掛けて楽しんでいる。
一人で酒を呑む時はいつもだ。何故なら一人ではないから。
そして何かの呪文のように呟いた。昔作った詩である。
長い黒髪から花の気配は止まず
季節変わりの微熱が水鏡に潜む頃
月明かりに似た金盞の燐火は貴女を探し始める
囃し立てるような鈴の音に かの深緑は厳かに幕を引き
物憂げな枝垂れ桜が 君が春へと永久を誓う
後ろ髪引くは魔の声
眼差しは凛を纏う刃
バテンレースの日傘にクロスオーヴァーする
遠く去りし恋文の華やかなピルエット
四月一日に逢いに来て
四月一日に逢いに来て
くだらない詩だなと思いながらも巡り来る春を想い、奥村は白いため息を桜の色に変えた。
奥村が付けているオモチャのメガネは正確にはAR技術付きのメガネというもので、後に、正確には2035年に『ブラインダー』というブランド名で一般普及と言われるほどヒットする。
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