第十六話 惑い

 アウリールはダヴィデをじっと見つめた。

 彼は気づいているのだ。シュツェルツが両親から子として顧みられていないことに。

 王族として恥ずかしくない衣食住や教育は与えても、今まで国王夫妻がシュツェルツを愛することはなかったのだ。

 アウリールは問いかけた。


「──それで、あなたはシュツェルツ殿下をどうなさるおつもりですか?」


「必要とあらばイペルセに連れていく。ここより環境はいいはずだ」


 ダヴィデの表情は真剣だった。彼が叔父として、シュツェルツの生育歴に責任を感じていることは理解できる。

 シーラムでも暗殺未遂に遭ったから全く安全というわけにはいかないだろうが、暗殺の首謀者からシュツェルツを遠ざけられるかもしれない。

 けれど、アウリールにとっては他にも重要なことがあった。


「その場合、わたしもお供できるのでしょうか」


 今後、シュツェルツの立場がどう変わろうとも、せめて彼が大人になるまでは傍にいてあげたい。それが孤独だった当時九歳のシュツェルツに手を差し伸べた自分が、なんとしてでも果たすべき役割であり責任のはずだ。

 ダヴィデはいつもとは違う、いささか困ったような顔でアウリールを見た。


「シュツェルツと話していて不思議に思ったよ。彼は両親のことはあまり話したがらないし、実際、親に顧みられていないのに卑屈になるということがない。一般的な『いい子』とは違うにしろ、目下の者に優しい。身分の低い者や異民族への差別意識もないようだ。誰が彼を『よいほうに』育てたんだろう、とね」


 アウリールは黙っていた。

 ダヴィデは邪気のない優しい笑みを浮かべる。


「それは君だろう? アウリール」


「……わたしは、シュツェルツ殿下の親でもなければ、兄弟でもございませんよ。ただの、侍医です」


「シュツェルツは君のことを大切に思っている。君のことを話す時はとても嬉しそうだ。正直、血の繋がった叔父としては嫉妬してしまうくらいにね」


(シュツェルツ殿下……)


 彼への情愛が温かいお湯のように染み出してくる。

 誰かを育てるというのは不思議なものだ。振り回され、時に怒り、笑い、何があっても相手がいてくれてよかったと思う。子を持たない身でこんな得難い経験ができたのはシュツェルツのおかげだ。

 ダヴィデは両手の指を組み、姿勢を正した。


「わたしがシュツェルツに近づくのを許してくれないか。毒についてもいずれ話す」


「それが今でない理由は?」


「わたしは毒に関しては一家言を持っているつもりだ。それゆえだよ。毒そのものや遺体の状況も見ずに、どの毒か断定することはできない。不審死をした暗殺者たちの遺体は、既に火葬されてしまったのだろう?」


 確かに遺体は火葬済みだし、毒が付着しているかもしれない暗殺者の武器も秘密警察の管理下にある。

 医師として、ダヴィデの言うことも分からないでもない。しかし、毒の解明が進まなければ、シュツェルツには相変わらず危険が迫ったままだ。


「はい。ですが、それでは……」


 アウリールが反論しようとすると、ダヴィデはそれを片手で制した。


「シュツェルツを襲った連中は本職の暗殺者だ。そうでなければ、失敗し、捕まったからといって自害したりしない。おそらく、首謀者は彼らを雇えるくらい高貴な人物だろう。しっかりと尻尾を掴んでおかなければ逃げられるよ」


「まさか、相手を現行犯で捕らえるおつもりですか?」


 ダヴィデは口角を上げ、微笑する。


「その通り。シュツェルツのことは心配だろうが、そのほうが確実だ」


 アウリールは黙り込んだ。ダヴィデの言うことにも一理ある。逆に言えば、ダヴィデのような身分も地位も兼ね備えた人物でも、外国であるマレでは何か起こるまで「待つ」しかできないということだろう。


(仕方ない……)


 アウリールはしっかりとダヴィデを見据える。


「かしこまりました。あなたのご提案はシュツェルツ殿下にもお伝えいたします。何かあれば、その時はご協力ください」


 ダヴィデは満足そうに頷く。


「うん、そうしてくれたまえ」


 当初思っていたよりは、ダヴィデは悪い人物ではない。血の繋がった親族に肯定され、可愛がられるという経験も、シュツェルツには必要だろう。

 それでも、ダヴィデがシュツェルツに近づく理由が、単に叔父としての責任と、不遇な甥を保護すべきか見極めるためだけだとは思えなかった。


 ダヴィデはイペルセの王命を受け、半年もの期間を設けた上でマレを訪れたのだ。

 イペルセ国王はシュツェルツにとっては伯父に当たるが、一国の王がダヴィデの語った理由のためだけに、あえて高い地位にある王弟を派遣してくるだろうか。


 ただ、ダヴィデはシュツェルツに対して好意は抱いていても、害意は抱いていない。だから、アウリールは話を呑む気になった。それだけだ。

 アウリールが席を立つ前に、ダヴィデは言った。


「アウリール、君には感謝しているよ。だが、わたしはシュツェルツの意思を尊重するつもりだ。君をイペルセに連れていくかどうかもね」


 胸の中に霜が降りたような気がした。


(俺は、馬鹿だ……)


 シュツェルツの傍を離れないでいよう。そう思ってきた。けれど、それは現在のシュツェルツの意思を無視した、自分のエゴに過ぎなかったのかもしれない。

 傍にいて欲しいと自分に懇願していたのは、三年前のシュツェルツなのだから。


 シュツェルツも今年で十五。まだ大人ではないにしても、自分の意思を明確に持つ年齢だ。彼がこれからどんな道を選び、どういった人間を周りに置くのかは彼の自由だ。


 アウリールは十三歳の時、医大に入るために、なんの不満もない温かな家を出た。家族を愛しているのに、だ。

 いくら心を開いてくれているとはいえ、一歩ずつ大人に近づいていっているシュツェルツが自分から離れたいと思っていても、なんら不思議はない。イペルセへの留学は、そのよい機会になるかもしれないのだ。

 アウリールは静かに頷くと、立ち上がり、一礼した。

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