第二王子は王太子を目指す ~とは言うものの命を狙われているので、まずは暗殺未遂の首謀者を捜すことにした~

畑中希月

第一章 第二王子の育った場所

第一話 帰ってきた王子

 たった今、シュツェルツは祖国に帰ってきた。

 長く頑丈そうな舷梯タラップを下り、港に降り立つ。振り仰いだ先には、巨大な帆船が朝の海に浮いている。あいにく今日は曇り空で、厚い雲間から薄く陽の光が差し込んでいた。


 留学するために十二歳で離れ、約二年ぶりにその地を踏んだ祖国に歓待されていない気がして、シュツェルツは軽くため息をつく。

 港に両親の姿はない。予想していたこととはいえ、胸に鈍痛に似たものがゆっくりと広がっていく。やはり、自分は両親に愛されていないのだ。

 うしろから声がかかった。


「殿下、船旅でお疲れでしょう。王宮にお着きになったら、まずお部屋でお休みください」


 シュツェルツは振り返る。薄茶色の長い髪をうなじで束ねた青年がほほえんでいる。きりっとした涼し気な目元とは裏腹に、女性のような柔らかい面差しをした美しい若者だ。


「アウリール、心配してくれるのは嬉しいけど、一応、僕はこの国の王子だからさ。父上にお目通りしておかないと」


 シュツェルツが珍しく常識的なことを口にしてみせると、アウリールはその端正な顔に人の悪い笑みを浮かべた。


「殿下、わたしは侍医でございますよ。殿下のご体調が優れないとか、適当に言い訳を並べればなんとでもなります」


 シュツェルツは思わず吹き出した。


「うわあ、アウリールがズルしようとしてる」


 シュツェルツのうしろを黙々と守っていた、ホワイトブロンドの髪が印象的な近衛騎士の青年が、真面目くさって言う。


「殿下、此奴こやつは存外、不真面目な男でございますよ」


「うん、知っているよ。エリファレット」


 アウリールは父上と会いたくない僕を気遣ってくれたんだ、とは口に出さずに、シュツェルツはにっこりと笑った。

 父王と会いたくないのは確かだが、謁見を先送りにすれば元々よろしくない父の心証がますます悪くなるかもしれない。それは避けたいところだ。


 自分は確固たる目的を持って帰国したのだから。

 そうでなければ、せっかくできた友人たちのいる隣国を離れたくなんてなかった。


 シュツェルツは前を向き、馬車が一・五台くらいは通れそうな幅のある桟橋の上を少し歩いた。海風が肩口で切り揃えた黒髪をなぶっていく。

 今年の十一月で十五歳になるシュツェルツは、今がまさに成長期で日に日に小柄だった身長が伸びている。繊細な美貌は少女めいたものから、凛々しさを含んだものへと変わっていく途上だ。


 シュツェルツの灰色がかった青い瞳が、広い港の様子を映し出す。

 ここ王都は海上貿易が盛んな街だ。二年前に出立した時と同じように、港には何艘もの帆船が停泊し、多くの男たちが立ち働いている。船旅に出た家族を待っていると思しき若い娘の姿もあった。手を休め遠巻きにこちらを見つめる人々もいる。


 これから王宮に帰るシュツェルツは、見るからに王族然とした濃紺の絹服をまとっている。その上、数が少ないながらも供を連れ、騎士に守られて歩いていれば、人目を引くのは当然だろう。


 耳目を集めることが嫌いではないシュツェルツは、帆船に積み込まれていた馬車と乗馬が搬出されるまでの間、できるだけ格好良く見えるようにさり気なくポーズを決めることにした。


 アウリールはニコニコしているが、エリファレットは微妙な顔をしている。

 ……どういうことだろう。


 そのうち、王室の紋章である竜と鷲頭獅子グライフが金色で描かれた、豪奢な深緑の馬車が専用の舷梯から搬出された。馬車には既に六頭の輓馬ばんばが繋がれ、前に御者が、うしろに従僕が乗っている。

 別の舷梯からは六頭の乗馬が引き連れられてくる。エリファレットたち近衛騎士の愛馬だ。

 シュツェルツはアウリールとエリファレットに呼びかけた。


「馬車と馬の用意ができたみたいだね」


「はい。久しぶりの馬車でございますね。殿下、走らないでくださいね」


 穏やかな口調ですかさず注意してくるアウリールに、シュツェルツは頬を膨らませる。


「僕、もう子どもじゃないんだけど」


「はいはい」


 アウリールがシュツェルツに仕えるようになって、もう六年がたとうとしている。いつも保護者ぶる侍医が少し面倒になり、シュツェルツは舷梯の近くに停まった馬車を目指し、早足で歩き始める。


 シュツェルツはふと足を止めた。港の人夫の姿をした男たちが七、八人、ゆっくりとこちらに向けて歩いてくる。

 間近で自分を見物しようとしている者たちだろうか。

 一瞬そう思ったあとで、シュツェルツは身を強張らせた。男たちが帯剣していたからだ。港で働く人夫が帯剣などしているはずがない。


 暗殺者だ。

 シュツェルツは男たちから目を離さずに忠実な近衛騎士に向け叫ぶ。


「エリファレット!」


 うしろからシュツェルツの脇をすり抜けるようにしてエリファレットが猛然と走り出る。

 既に抜剣していた彼は、シュツェルツに襲いかかろうとしていた暗殺者の剣を弾き、距離を詰める。相手の怯んだ隙に、そのみぞおちに鞘のついた短剣の一撃を喰らわせた。

 続けざまにもう一人を相手取り、剣を走らせる。血飛沫が散った。エリファレットの部下五人が加勢する。


 シュツェルツも近衛騎士たちの邪魔をしないように、じりじりとうしろへ下がりながら、腰に帯びた短剣を抜き放つ。自分だってエリファレットから少しは武術を習っている。もしもの時は応戦するつもりだ。


「殿下」


 アウリールがシュツェルツの前に立った。シュツェルツはとっさに声を上げる。


「やめてよ、アウリール。多分、君、僕より弱いよ」


 アウリールは美麗かつ凛々しい顔をこちらに向け、余裕たっぷりに微笑した。


「盾になるくらいはできますよ」


 シュツェルツは胸をつかれた。アウリールはこういう人なのだ。ついさっきまで感じていた煩わしさが凄まじい速度で吹っ飛んでいく。


「ダメだよ! 二年前、僕を庇って頭を打ったじゃないか! これ以上、心配かけないでよ!」


「……殿下にだけは言われたくございませんでした」


 アウリールが不本意そうに呟いた時、張りのあるエリファレットの声が聞こえた。


「逃げる者は追うな! そいつらを拘束しろ!」


 見ると、エリファレットが部下たちに指示を出していた。人夫の服装をした二人の暗殺者たちが負傷して倒れている。逃げることができない二人の暗殺者を、近衛騎士たちが取り出した縄で捕縛しようとする。


 その瞬間、どうにか動こうとしていた暗殺者の一人が腰帯に挟んでいた短剣を抜く。近衛騎士たちが身構えると、なんと暗殺者は刃で服越しに己の脇腹を傷つけた。

 失敗して自害するというなら分かる。しかし、この行動はただ自身を傷つけるだけの、全く無意味なもののように見えた。


 呆気に取られるシュツェルツたちを前に、もう一人の暗殺者も短剣を抜き、自身の腕を軽く刺した。

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