35:夕焼けの太陽はより赤く
「は? 何勝手に決めてるの?」
「承知致しかねます」
私がマルクティアの告げた言葉に何も言えずにいると、エルユラナスとエルユピテルが声を上げた。
それに対してマルクティアは威厳のある表情へと戻して、二人へと視線を向ける。
「これは今までの戦いとは訳が違う。子供のお遊びでは済まないぞ?」
「遊びのつもりでやってない! それに真珠があそこにいるんだ! こんなの真珠が望んだこととは思えない! だったらなんとかしてあげないと!」
「この事態を招いたのも、私がエルクロノスを始末しそこねたからです。それに主が決死の覚悟で向かうというのに尻尾を巻いて逃げろというのはどうかと思います。まぁ、尻尾があるのはエルユラナスですが」
「なにそれ、私に尻尾巻いて逃げろとでも? というか、真珠を殺そうとしたことは許してないからね、私!」
「……やれやれ、問題児ばかりだな」
エルユラナスが噛みつくようにエルユピテルを睨み付けているけれど、エルユピテルはただ真っ直ぐにマルクティアを見ている。
マルクティアはそんな二人に溜め息を吐いて、頭が痛そうに額を押さえた。
「……お前たちも、私と同じようになる可能性もあるんだぞ。永劫の牢獄に閉じこめられても良いというのか?」
「そんなの知らない! 私は真珠を置いていかない、絶対に!」
「私は最後の時まで貴方に仕えると決めたのです。どうかお側に、陛下」
「……あー、はいはい、叫ばないの! あと陛下って呼ばない!」
二人の言葉に思わず日常の調子に戻ってしまうマルクティア。困ったように眉を寄せながら微笑み、仕方ないと言うように溜め息を吐く。
「もう一度聞くわよ。覚悟はあるのね?」
「ある!」
「あります」
「なら、貴方たちは付いて来なさい」
「言われなくても!」
「……」
歯を剥かんばかりの勢いで返事をするエルユラナスと、無言で深く一礼をするエルユピテル。
そんな二人にもう一度だけ溜め息を吐いた後、マルクティアは私へと視線を向けた。
「そういうことだから。早く行きなさい、クリスタルナ」
「……でも」
「死ぬつもりもないし、ここで終わるつもりもないわ。……私だってね、もう自分の民も、自分の騎士も失うつもりはないから」
私の肩に手を置いて、家族として過ごした時の口調のように語りかけてくるマルクティアに身体が震えてしまう。
「それにね? 私はここが譲れない一番なの。じゃあ、貴方の一番は?」
マルクティアはそう言って、私が抱きかかえたままのエルシャインの頬を撫でる。
私の一番と、彼女の一番。それは違うものだって理解している。だから彼女を説得する言葉を私は持っていないことも。それなのに、私は縋るように言ってしまった。
「い、嫌です……! それでも行っちゃ嫌です。マルクティア、私を置いていかないで……!」
「……ごめんね」
「なんで、こういう時に限って、ダメな大人になってくれないんですか? 一緒に逃げましょうよ……! 一緒に……!」
私の言葉を止めさせるように、そっと唇に指を置かれる。そうしてから首をゆっくり左右に振った。
……知っていた。私に止める言葉なんてないことも。彼女の本質がどんなものなのかも。
涙が零れて止まらない。そんな私の涙を指で掬い、その指に口付けるように触れてから微笑んだ。
「またいつかね。たとえ、それが那由他の先でも。再会を信じてるわ、クリスタルナ! だから行きなさい!」
その言葉に背中を押し出されるようにして、私はエルシャインを背に抱え直して走り出す。
背を向けてしまった以上、もう彼女たちがどんな顔をしていたのかもわからない。涙で景色が霞みそうになりながら、幻想的な雪が降る中を私は駆け出した。
* * *
――意識が揺れている。
妙な気持ち悪さに襲われながらも目を開くと、そこは夕日が差し込むビルの上。
でも、現実感がない。ふらふらと夕陽の光に誘われるままにビルの淵へと向かってしまう。
「それ以上進むと落ちるわよ、ついでに意識も。今、完全に気を失うのは不味いと思うけれど? ――ねぇ、エルシャイン」
ふと、誰かに呼ばれて足を止める。振り返ろうとすると、隣に並ぶように誰かが立った。
見覚えのある人だった。でも、どこで見た人なのかすぐに思い出せない。意識がぼんやりしているからなのかな?
その人は赤い長髪を尻尾のように結んで、勝ち気な笑みを浮かべている女性だった。その瞳も鮮やかな真紅で、まるでルビーのようだ。
「……ここは?」
「ただの白昼夢。まぁ、女神の力って本当に癪に障るというか、魂が揺さぶられるのよ。だから少しお節介の気付けをしに来ただけよ。ほら、座れば?」
私にそう促しながらビルの淵に腰かける女性。段々頭のぼんやりが減ってきたので、それがどれだけ恐ろしい行為だったのかという自覚が出てきた。
なのでビルの淵には座らず、そこから一歩離れた場所で体育座りをした。
「……夢って言うなら、それこそ落ちる時に目を覚ますものじゃないですかね」
「あぁ、あの夢なのに無駄に落下する感覚がある奴ね。で、実際に起きてみるとベッドから落ちてると」
「あるあるですよね」
なんとなく会話を続けてしまう。不思議と話しやすい人だな、と思う。
知っている人の筈なのに、どうしても思い出せない。これが夢の中だからなのだろうか?
「……あの」
「なに?」
「貴方の名前を……覚えてなくて」
「はぁ? 薄情すぎない? へー、そー、ふーん? 折角、貴方をネクローシスに堕とすのに選んであげたのにぃ?」
「うっ……ご、ごめんなさい……」
「――なーんてね! 冗談よ、冗談!」
ケラケラと笑いながら、私の肩を掴んでゆさゆさと揺さぶってくる。
「別にいいのよ、私のことは。どうせ貴方の中でこれからも惰眠を貪るだけなんだから。過去の女より今の女を大事にしなさいって」
「貴方とそういう関係だった覚えがないのは確実ですね……!」
「えぇ、あんなに激しくお互いを求め合ったのに! そんな子だったのね、エルシャイン……!」
「私をからかって面白いですか!?」
「えぇ! 面白いわ!」
「さ、最悪……! こんな人が私の中に入ってるなんて……!」
「私はお前……! お前は私……! 真なるお前だ……!」
「それ流行ってたゲームのセリフですよね!?」
打てば響くような会話が弾んでしまう。
確実に覚えはあるのに、この微睡むような意識が一歩、彼女の正体を思い出させてくれない。
「どうせここで起きたことは覚えてないからどうでも良いのよ。目が覚めた貴方が私を思い出す必要もないしね」
「……そうは言われても」
「記憶として覚えてなくても、心に残れば大丈夫。だから貴方は自分のやることだけ意識しなさい。そうじゃないと貴方を選んだ甲斐がないでしょ?」
「……貴方は、どうして私を選んでくれたんですか?」
私がそう問いかけると、彼女は少しだけ視線を遠くして彼方を見つめた。
「貴方がね、馬鹿みたいに真っ直ぐ話しかけてきたから」
「は?」
「だって子供よ? しかも戦争なんか暫くしてない国の子供がさ、いきなり魔法なんて凄い力を渡されて調子にも乗らず、お話を聞かせて欲しいって発情した猪のように突っ込んで来て……」
「猪じゃありませんけど? 突っ込んでもいませんけど?」
「そうかもしれなかったわ」
「適当なことばっかり!」
「まぁまぁ。――そんな貴方だったから、何か変えてくれそうな気がしたのよ」
遠くに向けていた視線を私に向けて、赤い夕陽に照らされた彼女は微笑む。
「私も変えたかったの。今の貴方に言っても信じないと思うけど、昔のネクローシスはもっと殺伐としてたっていうかね、もう戦時中か? って思う程に皆、ピリピリしてたのよ」
「……そう、なんですか?」
「クリスタルナ様が言ってたでしょ? あの人たちの戦争はね、終わらないまま止まってしまったの。貴方が魔法少女やってた頃は私たちもブイブイ言わせてたし、こっちの世界の人間に深入りするつもりもなかったしね。ただ早く終わりたい、そんな雰囲気を皆どこか持っててね。なんか私だけ浮いてた訳よ」
「……? 何故、貴方だけが浮いてたんですか?」
「私が身体を失ったのって、まだ五歳ぐらいの時だったのよ」
私は思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。
今の彼女は二十歳ぐらいの立派な女性に見えるけれども……。
「見た目の年齢と中身の年齢なんて一致してないのは知ってるでしょ? そもそも中身だって魂年齢は何歳ですか? って皆覚えてないだろうし」
「それは……そう、ですね」
「だから私は自分の世界の戦争をちゃんと知らないの。五歳だし、生きてた頃なんて碌に覚えてないしね!」
ケラケラと笑ってから、彼女はいきなり真顔になって呟いた。
「――私が覚えているのは、身体が消える直前にクリスタルナ様が今にも死にそうな顔で謝ってたことだけ」
「……クリスタルナが?」
「嘘つきでごめんなさい、裏切ってごめんなさい、何も出来なくてごめんなさい、だから許してください……消えていく私を抱き締めながら、あの人はずっと絶望した顔で泣いていた」
「……それは」
「それが私がネクローシスに入った理由。別に自分が終わりたいとか、そういうのはどうでも良かったんだけどねぇ。ただ、さ。笑って欲しかったのよ、あの人に」
「……うん」
「クリスタルナ様は私なんて覚えてないだろうし、私も自分のことを伝えたこともないんだけどね。別にお礼を言って欲しかった訳でもないし、下手に知られて謝られるのも嫌っていうか……」
「わかるよ、言いたいこと」
「ありがとう。とにかく、私はあの人たちが凄く頑張ってたことは知ってる。辛い思いだってしたんだろうなって想像出来る。あの変わらないままの女神の世界はどうでも良かったけれど、クリスタルナ様に笑って欲しい。ただ、それだけが私の理由なの。あとは言わなくてもわかるでしょ?」
「うん」
私は、ゆっくりと立ち上がる。夕陽に背を向けて、そのまま一歩を踏み出す。
彼女とは背中合わせになるように、私は前を向き続ける。
「あの人を笑わせてあげて。そのついでに、あの人を泣かせるようなクソ女神には――」
「――キツいのを一発、どかんと」
「「――ぶっ飛ばす!!」」
同時に振り返って、そのまま互いに強く手を打ち合わせる。
甲高い音が空の遠くまで響き渡るように鳴った。
「――頼んだわよ、エルシャイン。いや……鈴星 御嘉!」
――夢が遠くなっていく。夕陽の色に溶けるように彼女が見えなくなっていく。
さぁ、もう行こう。私を呼んでくれる人の下に戻らないといけないから。
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