第1章 アッサムの記憶

第1話 七瑆勲章(1)




 剣が廃れ、戦争の主力が魔法に置き換わってから十年が経った。


 かつては特別な力を持つごく一部の者にしか扱うことのできなかった魔法も、国内宗教最大派閥のメーヴェ教会が提供する特別な宝石を身につければ、素質のない者でも簡単に力を得ることができるようになった。それはメーヴェが奉る、かつて邪悪な魔女をほふった聖女マリナの加護を宿した特別な宝石だとか。


 胡散臭うさんくさい話に最初は誰ひとりとして見向きもしなかったが、十年前のある事件をきっかけに、帝国の剣であった白櫻騎士団はくおうきしだんはその牙を手折られ、彼らに変わる新しい兵力として魔法が採用された。聖女に信仰を寄せるだけだったメーヴェは、今では帝国を治めるミオ聖下の右腕として有能な魔法士を大勢抱えて戦争に赴き、挙げ句の果てには政にまで幅を利かすようになってしまった。火事場泥棒で自分たちの立場を奪われた騎士団と泥棒猫同然であるメーヴェの仲は最悪だ。


 弱体化し国中から存在自体を疑問視されはじめている白櫻騎士団の仕事と言えば、かつての華々しい戦歴からは考えられないほど質素だ。


 早朝から昼まで訓練をして、午後は日暮れに合わせて城下町の見回り、夜には交代で城壁の警護のために寝ずの番をする。季節が変わるタイミングで国境に赴き防壁の点検をすることが唯一の息抜きと言っても良い。国民からは「大食らいの木偶でくの坊集団」とわらわれている。これが、かつて隣国から『戦場の蹄鉄ていてつ』と恐れられた白櫻騎士団の現状だ。


 十二師団あった隊はほぼ解体され、今残っているのはたった三師団。何かと風当たりの強い騎士団より、戦場の華である魔法士に志願する者が圧倒的に多いのだから仕方ない。しかも騎士団の長が座るべき椅子は十年前から空席のまま。聖下がお許しにならない限り、あの椅子には誰も座ることができない。十年の月日が流れても、例の事件が灯した聖下の怒りは今も燃え続けている。私と、同じだ。






* * * * *






「南部の防衛戦への介入、ですか……」


 白櫻騎士団の現状トップを務めるロイ・ブラント第一師団長に執務室に呼び出されて伝えられたのは、国軍執行部からの通達だった。


 四方が隣国に接するレト帝国では戦争が絶えない。騎士団の没落を聞きつけ戦を吹っかけてくる連中も増えたが、メーヴェの魔法士たちが最前線で掃討に当たっている。そこは酷く一方的な戦場だと聞いた。


「シン国とは終戦間近って聞いたのに、なんで俺たちが呼び出される必要があるんだ?」


 私の隣で一緒に話を聞いていた第三師団長のテン・リー・クーパーがしかめっ面を隠しもせず尋ねる。レトでは珍しい漆黒の髪は、友好国から嫁がれた母君の血が色濃く出ていた。異国の血が混ざった精巧な顔を歪ませ不快感を露わにするテンに、ロイさんは机に通達書を広げて困ったように微笑む。


「僕も執行部に聞いてみたんだが、作戦の詳細は現地の魔法士部隊に確認しろの一点張りでね」


「何だそれ、きな臭すぎる」


「だよねぇ……」


 今の今まで帝国の隅に追いやり些末さまつな雑務ばかりを押しつけてきたくせに終戦間近の戦いに合流せよとは、いかにも怪しい。そしておそらく現地ではメーヴェの指揮下に置かれるだろう。ろくなことにならないと容易く想像できる。


 そんな私たちの暗鬱あんうつな空気を悟ったのか、ロイさんが「大丈夫!」と不釣り合いなくらい明るい声を上げた。


「幸い一個師団が向かえば事足りるようだし、この作戦は第一師団に任せてもらおう」


「っ、はぁ!?ウチの主力がわざわざ動くような仕事かよ!」


「今の騎士団で、実戦経験があるのは第一師団だけだ。第二師団と第三師団には、僕らの留守を預かってほしい。これも大事な仕事だよ」


「過保護すぎ!いつまで俺らはあんたにおんぶにだっこされてなきゃいけないんだ!」


「僕も昔と比べれば丸くなったってことさ。さて、第二師団長殿はどうかな?」


 どうかな、と柔和に聞かれても、既にこれは彼の中で決定事項なのだ。ここで私が駄々を捏ねたとしても、この人は荷物をまとめて翌日には出立してしまう。


「……第二師団は、第一師団長の決定に従います」


「あはは、相変わらずかったいなぁ。でも、うん。いい子いい子」


 師団長の椅子から立ち上がったロイさんが大きな手を広げて私の頭を撫で回す。これがロイさんでなかったらセクハラで然るべき手段に乗っ取り丁重にしていた。


「また子供扱いですか……」


「春の成人の儀までは許しておくれよ。ルーカス団長に君を任されてからずっと、本当の妹のように思ってきたのだから」


 父の名を聞くたびに、胸の一番奥の行き止まりの部分が針で刺されたようにツンと痛む。その傷は膿んでしまっていて治ることはない。




 売国奴のルーカス・グリツェラ。帝国の社会史の教科書にも載っている稀代の大悪党。海を挟んだ魔女の大国、トリス・ガリテに帝国を売り渡そうとした反逆罪で、共謀したスパイの魔女と共に十年前に処刑された、私の父。


 かつての父は帝国の剣である白櫻騎士団の長として人望の厚い人物で、だからこそミオ聖下は酷く憤怒した。信頼していた右腕に裏切られた聖下の怒りはどうにも収まりがつかなかったのだろう。父は覚えのない罪状に最後まで身の潔白を訴えていたが、疑惑が出てから首が落ちるまでわずか三日の出来事だった。


 父と聖下は年齢も近く、帝国に降りかかる災厄や戦を何度も共に乗り越えた、云わば親友のような関係だった。聖下の一人息子と私の婚約が決まっていたほどだ。


 父は聖下のために剣を振るい、聖下は父の言葉を信じて国を動かす。身分は違えど一番大切な部分で二人は『対等』だったのだ。それが、決定的な仲違いをしたまま永遠に戻らない関係になってしまった。


 事件があってから騎士団の信頼はみるみるうちに失墜し、戦場や議会からも爪弾きにされた。しかし年がら年中戦をしている国でせっかく研いだ牙をみすみす廃棄することも惜しまれて、規模を縮小して何となくお飾りで存在しているだけの、端から見れば情けない集団に成り下がった。そんな醜態を甘受することでしか、騎士団が存続していく術がなかった。


 そして没落する私たちを嘲笑い、空いたポジションに体よく収まったのがメーヴェ教会だ。彼らは宗教徒のくせにやけに戦争に協力的で、件の宝石を用いた魔法士部隊を戦場へ次々と送り込み、数多くの武勲を上げた。剣に替わる新しい力は特別な宝石を使えば誰でも簡単に手にすることができると瞬く間に国中に広がった。まるで全てが最初から用意されていたシナリオのように。




「ふふ、なあに、心配はいらないさ。どんな戦場でも僕らの『蹄鉄』で地ならしして支配してみせよう。お土産は敵将の生首でいいかな?」


「土産のセンス皆無かよ」


「え……!?ルーカス団長は一番喜んでくれたよ!?」


「あんたらみたいな戦闘狂と今の若い奴を一緒にすんな。な、アイシャ?」


「そうですね、首はとっても魅力的なんですが」


「マジか」


「それよりも、もっと欲しい物があります」


「へぇ……珍しいね。いいよ、言ってごらん」


七瑆勲章しちせいくんしょう


 その一言で、執務室に緊張の糸がピンと張り巡らされる。ロイさんの鮮やかな金髪が窓から差し込む午後の光を浴びて神々しく輝き、意味深に細められた蒼穹を映した瞳にじっとりと見つめられて息が詰まった。重苦しい空気にテンがたまらずため息を零す。


「お前って、無欲に見せかけて実は誰よりも強欲だよな……」



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