田原総一朗の探し物

百一 里優

一 別荘調査案件(依頼主:田原総一朗様)

 その男がやってきたのは寒の戻りで冷え込む春の日の午後3時ちょうどだった。

 Macのタイマーアプリが休憩時間を知らせ、いつものようにミルクティーを入れようと立ち上がった時、何の前触れもなく事務所のドアがいた。

 入ってきたのは、背の低い、ポール・マッカートニー風カットの白髪の男だった。マスクで顔ははっきりとわからない。明るいグレーのスーツを着た猫背気味のシルエットは老人のものだが、老人と呼ぶにはやけに眼光が鋭く、エネルギーに溢れている。

「一〇一%調査事務所というのはここかね?」

 ん? マスクでくぐもってはいるが、どこかで聞き覚えのある声。

「ああ、ええ、はい、そうです」

「なんだい、その曖昧な答え方は。見たところ、ここは君の事務所だろう。もっと自信を持って答えなさいよ」

 そんな答え方になってしまったのは、滅多に人の訪れないこの事務所に突然来訪があった上に、〝声〟が気になったからだ。最後に人が来たのはたぶん一年半以上前で、それもNHK受信料の訪問営業だった。ここは仕事に集中するための場所なのでテレビはない。私が人見知りなせいもあるだろう。

 私の仕事は、不特定多数からの依頼で、種々雑多なことを調べることだ。基本的にインターネットを通して調査できることに限定している。だからいわゆる興信所とは全く別のものだ。仕事の依頼は、事務所のホームページの依頼フォームもしくはメールに限定していた。電話番号や住所は公開していない。稀に依頼人に会うことがあって、その時に渡した名刺から、急ぎの場合など、くちコミで電話がかかってくることもある。でもそれも開業して五年で一〇件ほどだ。

「マスクを外しても構わないかね?」

「ああ、はい、どうぞ」

 非接触式温度計はないし、新型コロナ陰性証明書を提示してくれとも言えないし、私は仕方なく同意するとともに、自分がマスクをかけた。

「あ」

 私は思わず、声をあげた。

 マスクを外した男は、田原総一朗だったからだ。あの『朝まで生テレビ!』の司会者。

「どうやら自己紹介する必要なないようだね」

「はい」

 それでも、私があたふたしながら名刺を差し出すと、彼も名刺をくれた。

「ここは、あれだよね。ネットで調べられることなら、なんでも調べてくれるんだよね?」

「はい。一〇〇%確実とは言えませんが、引き受けたものは、ほぼ必ず調べ出します。これまでの実績は九八%です」

「うん。よろしい」

「ところでここは、どなたからお聞きになったのでしょうか?」

「ああ。テレビ局のディレクターからだ」

 そういえば、何ヶ月か前に、私の知り合いのADが部下という、TVディレクターの依頼を受けたことがあった。おそらくその人だろう。それに依頼者を限定しているわけではないので、そこは別に関係ない。

「それで、ご依頼はどういった内容でしょうか? お引き受けできるかどうかは、内容を聞いてからでないとお答えできません」

「ところで、上がっても構わないかね?」

 元が住居用マンションなので、靴を脱いで上がる形なのだ。

「あ、これは失礼しました。どうぞ、お上りください。実は直接依頼に来られた方は田原さんが二人目で……」

 一人目はなんと女優さんだったのだが、守秘義務があるのでここでは言えない。

「そうかね。じゃあ、失礼するよ」

 何しろ来客は皆無なので、応接セットのような気の利いたものはない。

 事務所といってもワンルームマンションを改装したらしい雑居ビルの狭い一室で、調査用のパソコンが数台と書棚、それに泊まり込みも多いので簡易ベッド代わりのソファ、それと小さな食卓テーブルくらいしかない。

 食卓テーブルの椅子を田原氏に勧めたところで、自分がミルクティを淹れようとしていたことを思い出した。

「何かお飲みになりますか? コーヒーか紅茶か緑茶しかありませんが」

「じゃあ、紅茶をもらおうかね」

「ミルクは入れますか?」

「それは君に任せる」

 私はいつもより慎重に二人分のミルクティを淹れた。

「うん、なかなか上等な紅茶だ。ところで、探してほしいのは、この別荘なんだが……」

 私が向かいに座ると、彼はおもむろに上着の胸ポケットから封筒を取り出した。

 中には少々古びたカラーコピーが一枚だけ入っていた。

 おそらくは古い雑誌の記事の切り抜きで、いくつかの角度から撮影された、〝ある別荘〟の写真が四枚組み合わされている。それは少々風変わりな、開放的な造りの別荘だった。

 画像検索は可能だが、コピーの状態は悪いし、それが駄目だと、これだけの情報では探し出すのは難しそうだ。とりあえずスキャンさせてもらって、画像検索にかけてみる。やはり画質が悪いらしく、引っかかってこない。

 周囲の植生からどの地方であるかくらいは分かるかもしれないが、ストリートビューを使っても難しいだろう。以前、一度、別荘を探したことがあるが、一定規模の別荘地は全体が私有地となっているらしく、そうした別荘地内はストリートビューを撮影できないようなのだ。

「あの、情報はこれだけでしょうか? それと、念の為お聞きしますが、誰かの居場所を特定するとか、ストーカー行為に及ぶとか、そういうことではありませんよね? 私はいわゆる探偵ではないですし」

「違う違う。これは〇〇〇〇という建築家が設計した別荘なんだ。ただね、設計依頼者の私有物件だから場所がわからないんだ。日本国内であることは分かっている。僕がなんでこの別荘を探しているかというとね……」

 テレビでは早口な田原氏は、ゆっくりとした口調で話し始めた。

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