呪いのメッキが剥がれたら

花咲き荘

出会い

第1話 新生活①


 弥生の空は赤。

 昼の白い空とは対照的に赤く染まった春夕焼けに教室内の男女は照らされる。


 しかし、空気は非常に重い。鋭い眼光で男子生徒は目の前のか弱く震える女子生徒に向かい合う。


 はたから見ればその光景は恐怖そのものだろうが、内情は少し違う。縋るような思いで男子生徒は声を発する。


 しかし、女子生徒の一言に言葉を失った。







「……なんだよ、全然違ぇじゃん」


 花田龍一はなだりゅういちは鋭い目で鏡を睨みつける。


 鏡の傍らには『今どき新定番 なりたい自分になろう!』と大きな文字で書かれているページが開かれた雑誌が置かれており、そこには笑顔の好青年がポーズを決めている。

 鏡に映る自分とは、笑えてしまうほど違う。


 龍一は20分ほどかけてセットした髪をぐちゃぐちゃにかき乱していつもの乱雑なヘアースタイルに戻す。

 そして、地面に転がった学生鞄を手に取って、再度鏡を見る。しかし、そこに映るのは悪魔のような笑みを浮かべた男の顔だ。


 外を出ると春一番の風が龍一を撫でていく。いや、なりたい自分になれない龍一を冷やかしているのかもしれない。

 古いアパートの二階から見下ろす景色には新たな門出を祝う桜色があったが、朝から憂鬱な龍一の視界には入ってこない。

 ただ、春休みに入る直前にクラスメイトから言われた一言が頭の中で反駁する。


『ごめんなさい……。龍一君とは、その、話すなって言われてて……。ほんとにごめんなさい』


 夕暮れの教室に女子生徒の怯えた表情。つい先日まで楽しそうに笑っていたのに、今は目の前の男子生徒に恐怖しているのだ。

 そんな、何てことないただの日常。


「……はぁ、俺はただの男子高生だってのに」


 龍一は朝から何度目かのため息をつく。

 少し伸びた前髪で何とかこの鋭い目を誤魔化そうと引っ張るが、すぐにやめる。そんな事で何も変わらない事は龍一自身が一番よく知っていた。


 不機嫌そうな面持ちで道を歩く龍一を見て、周囲は距離を取り、過ぎ去った後にこれ見よがしに言葉を交わす。


 ちらっと制服を見ると、自分と同じ真っ黒の学ランに右腕あたりに特徴的な白の二本線が惹かれている。学ランの学校はここら周辺にいくつかあるが、あの二本の白線が施されているのは桜ケ丘高校ただ一つだ。


 龍一が彼らに一瞥して過ぎ去っていくと、後方からぼそぼそとしたささやき声が聞こえる。


「あれって、『いばらの龍一』だろ? めっちゃこえぇな」

「あぁ。……それより、あの噂ってホントかな。ほら、親が元暴走族ってやつ」

「あー、知らないけど、ホントじゃね? あの目で睨まれたら誰も動けねぇだろ」


 小さな小言だが、龍一にはしっかりと届いている。

 彼らは別にわざとそうしているわけでは無いだろう。しかし、気にしていることだからこそ、無意識的にそう言った言葉を耳が拾ってくるのだ。


 彼らが話していた「噂」は殆ど事実だ。


 龍一の父は元暴走族の総長だった。

 顔は厳つく、目つきは鋭い。大柄で腕っぷしが強く、それでいて情に厚い。母はそんな父に惚れ、父も自分を好いてくれる美しい母を受け入れた。

 そして生まれたのが龍一だった。


 龍一は見事に親の容姿を遺伝した。

 ただし、良くない方に。



 影口を叩かれるのは別に今に始まったことじゃない。

 容姿や家族の事で散々言われ続けてきている。中にはあることない事ごちゃ混ぜになったものもあるが、もはや龍一が何と言っても取り返しがつかないところまで噂は広がっている。




 最寄り駅に到着すると、慣れた手つきで定期を機械にかざす。

 ピッという電子音と共に小さな扉が開いて龍一を迎え入れる。みんながこうならどれほど楽か、龍一は罪のない改札機を睨みつけつつ悪態をつく。


 今日は朝からついていない。


 いつもならもう少し家を早く出て、あまり学校の生徒に会わないように心がけている。

 しかし、20分の無駄な時間を鏡の前で過ごしたがために、生徒が一番混雑する時間帯に乗り込んでしまった。

 背の高い龍一は否応なく目立ってしまう。更に、この顔が出ているのだ。悪い方向に目立たないわけがなかった。


 小さな声が集まると、大きな意味を持つ。大きな意味を持った言葉たちは人の心を傷つけるのには十分だろう。


 ただでさえ朝から気持ちが沈んでいるのに、電車での心無い言葉たちは更に龍一を落ち込ませる。


 電車の窓に映る自分の顔。鋭い目が自分を見ている。

 最早、これは亡くなった父からのだ。


 そう考えて自嘲気味に笑う。

 すると、1人のサラリーマンが反応した。別に大きな声でも、目立つようなしぐさをしたわけでも無かったが、びくびくと左右を確認し始めるその男性に龍一は怪訝な表情を浮かべる。


 こいつ、何かしてるのか?


 龍一は注意深くその男性の行動を凝視する。


 もともと鋭い目をしている龍一が怪訝な表情を浮かべながら睨みつけていたらどうなるか。

 そんな事、火を見るよりも明らかだった。


 龍一の視線を感じ取ったのか、挙動不審な男性と龍一の視線が交わる。

 すると、そのサラリーマンは恐怖で顔を強張らせる。震える体を何とか抑えつつ、その男性はなるだけ大柄な態度で声を出す。


「な、何か?」

「……はぁ? 別に何でもないですけど?」


 龍一にとっては普通の返答だった。

 勿論、その男性の不審な行動に訝し気を覚えていた分、言葉の端々に強めの語気が孕んでいたことはまごうことなき事実ではあるが、相手を攻撃する意図は一切なかった。


 しかし、龍一の訝し気な表情が鬼の形相、いや、悪魔の形相に見えたその男性はそそくさとその場を離れる。

 そして、丁度そのタイミングで電車が止まったのをいいことに、男は何かから逃げるように電車を出ていった。


 龍一は首を傾げる。もとより、男の動きは不審極まりない物だった。

 しかし、龍一を見てから、いや龍一に見られていると気が付いてからの彼は余計におかしかった。何か後ろめたい事でもなければ、ちょっと見たくらいで逃げていったりはしないだろう。


 しかし、その疑問はすぐに解決する。小さな手が龍一の学ランの袖を引く。

 

 小さい。本当に小さく、白い手が。


 パッとその手の主に視線をやる。

 すると、150cmくらいの少女、いや同じ学校の制服を着ているため女子高生と形容すべきかもしれない、そんな女子が立っていた。髪の毛はベージュっぽい明るさがあり、肌は透き通るような白。

 どことなく外国人のようだが、顔たちは童顔で日本人らしい。普通に会ったなら、可愛い女の子と思っただろう。


 しかし、彼女の顔を見てしまった龍一は言葉を失った。彼女の特徴的な大きな瞳には涙が溜まっていて、龍一の袖をつかんだ手は細かく震えていたからだ。


「あ、あの、ありがとうございます……」


 女の子はか細い声でそう言う。

 龍一は不意に視線を外した。人の泣いている顔を見るのは、あまり好きじゃない。龍一の中で、泣き顔は彼の母親を連想させる。周囲の目を憚らずに泣き、自分を捨てた母親を。



 龍一の父が亡くなったのは龍一が5歳の時だった。

 龍一の父は龍一が生まれたのを機に暴走族から身を引こうとしたが、周りはそれをよしとはせず、事あるごとに龍一の父に対して恫喝を繰り返した。

 彼らなりに、龍一の父に返ってきてほしい一心だったのかもしれないが、それは行き過ぎた。


 彼らはついに龍一の家にまで訪れるようになった。

 その時の龍一はまだ3歳で、ただただ恐怖だったことを覚えている。しかし、近くには母が居て「大丈夫、もうちょっとしたらお父さんが帰ってくるからね」と龍一の頭を撫でていた。


 龍一の父の死因は自殺だった。

 龍一がそれを知ったのは10歳の時の事で、母が龍一を残してどこかへ行ってしまったのは遠い記憶になっていた。


 最後に見た母の顔は「泣き顔」だった。



「……いや、俺は何もしてないっすけど」


 龍一はぶっきらぼうにそう答える。

 実際、何もしていないし、そもそも彼女が何かされていることに気付きすらしなかった。彼女が震えていても、慰めることもできないし、こんな凶暴な容姿をしていても自分を守ることに必死で目すらも合わせられない。


 しかし、その女子生徒は首を横に振る。小さく、何度も。


「……そんな事ありません。あたし、怖くて何も言えなくて……、あなたのおかげです」


 少し高い声は震えている。

 その恐怖が龍一の顔から来るものなのか、さっきまでの嫌な記憶から来ているのかは分からない。小さくすすり泣く声と涙を拭く布の音が聞こえる。


 その音を聞いて龍一は彼女の手を振り払い、今にも閉まりそうな扉をすり抜ける。


「――え、ここ降りる所じゃないですよ!」


 電車の扉が閉まる直前、さっきの女子高生の甲高い声が聞こえた。

 しかし、もう遅い。既に扉は閉ざされており、もう中には戻れない。


 電車は何事もなかったかのように動きはじめ、数秒後には見えなくなる。

 ここは学校から3駅ほど離れた駅であり、歩くと30分ほどかかるだろう。龍一が住むこの街が田舎という事もあり、次の電車が来るのは30分は後の事だ。


「……はぁ、やっちまった」


 遅れながら、龍一は自分の行動を後悔する。

 しかし、どうしてもあの場にいることは出来なかった。


 スマホを取り出して今の時刻を見る。

 スマホ画面に映る時計の短針は8を過ぎ、丁度真ん中あたりを指し示そうかとしている。


「……クラス分け初日から遅刻かよ」


 龍一はそう呟き、スマホを学生ズボンのポッケに突っ込んで走り出す。

 走っても間に合わないだろうが、どうしても走り出したい衝動を抑えられなかった。


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