喫茶店アルノ

因幡寧

第1話

 窓際に座って、今日も僕は空を見上げている。

 その空は、茜色に染まっていた。


 ここは喫茶店アルノ。

 僕にとって、最も居心地のいい空間。


 カランカラン。

 今日も、誰かがここにやって来る。


「すいません」


 一言で言うなら白。

 それがその少女の印象だった。

 白い髪に、白い服。肌も色白で儚い印象を抱かせた。


 マスターは、その人を喫茶店の席につかせる。


 マスターはとても礼儀正しくて親切なひとだ。この場所を僕が気に入っている理由の一つと言えよう。


「ご注文は如何になさいますか」


 マスターは、いつもの完璧な笑顔でそう言う。

 店内には、音楽の類いはなにもかかっていない。だからこそ、マスターの声はよく響いた。


「じゃあ、ウインナーコーヒーを」


 少女はそう言った。こちらもまた、よく響く。

 注文を聞いたマスターは、いつもの定位置に戻りコーヒーを入れ始める。



 少女は、静かに注文を待っていた。

 時折、外を見ている。


 喫茶店の中にいる客は、僕と少女だけだった。


 僕は、何となく話しかけることにした。


「ここにはどうやって?」


 突然話しかけてしまったから多少驚かせてしまったようだ。

 失礼なことをしてしまった。


 少女は答える。


「少し、道に迷ってしまって」


 僕はその答えを聞いてやっぱりかと思う。


「そうなんですか。僕も道に迷ってここに居るんですよ」


「あなたもなんですか。良かった。私一人だけじゃなくて」


 その気持ちは分からないでもない。ここは必然的に一人でくることになるから、もしかしてこんなことになってるのは自分だけ? と不安になるのだ。

 実際は、結構多くの人がここで道に迷っているのに。


 話しているとマスターがウインナーコーヒーを持ってきた。

 それを、少女が見つめる。

 マスターは少女の前にそれを置くと、音もなく去っていった。


「ウインナーコーヒーって、クリームがのってるやつのことなんですね」


「知らないのに注文したんですか?」


「はい。私、こういうところに来たことなくて、それで始めてきてみて、気になる名前の物があったので、つい……」


「好奇心旺盛ですね」


 僕は感心してそう言った。自分の初めてに挑戦するのは、そこそこ難しい物だ。人はそういうところで躊躇してしまうから。

 少女は、ばつの悪そうな顔をしていた。


「実は私、好奇心のせいでここに来ることになったんですよね」


 その言葉に、僕はしまったと思う。

 話題にしてはいけない事だった。


「なんか、すいません」


「ああ、ああ、いいんですよ。いいんです。ここに来てしまった以上もうどうしようも出来ませんし、自分でこの事については納得していますから」


 少女はそういってくれた。

 僕は、また感心する。見た感じここに来てそんなにたっていないのに、もう納得出来ているとは。


「お強いですね」


 だから、それは本心からの言葉だった。

 少女は、恥ずかしそうに言う。


「強いんですかね、私」


「はい、お強いですよ。僕なんて、納得するのにだいぶかかりましたから。誇りに思うと良いですよ。大丈夫、きっとあなたならここでやっていけますよ。まあ、僕が言えることでは無いんですがね」


「何か、ありがとうございます。少し、気分が良くなりました。きっと私、ここでうまくやっていきます」


 少女のウインナーコーヒーは、もうなくなろうとしていた。

 少女はその最後の一口を飲み干す。


「久しぶりに人と話せて楽しかったです。またどこかで機会があればあいましょう」


 そう言って、少女は立ち上がる。


 マスターがいつの間にか側に来ていて少女に道を教えていた。


 少女はそれを聞いた後、出口の方向に歩いていく。


 そして、最後にこちらを振り返り、深く一礼して、この店を出ていった。


 喫茶店には、僕とマスターが残される。


 僕は再び、いつまでも変わることのない茜色の空を窓際に座って眺める。


「あなたは、まだ行かないんですか?」


 マスターの背中からはえている白い翼が視界の隅に見えていたから、近くにいることは分かっていた。だから突然のその呼び掛けにも僕が驚くことはなかった。


「いつも言ってるでしょ、マスター。僕にとってここは最も居心地のいい空間なの。それに、ここにいるといろんな人に会えて楽しいんだ」


「困ったお客さんですね」


 いつもの会話だった。いつからここに居座っているか、もう覚えていない。


 ここは、喫茶店アルノ。

 死んだ人の魂が道に迷ったとき、道を教える場所。


 僕がずっと昔に頼んでいたブラックコーヒーは、いまだ少しも手がつけられていなかった。

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