ババ抜きなんてやらせない

如月姫蝶

ババ抜きなんてやらせない

「ババ抜きでもやるか」

 八時四十五分の言い出しっぺは親父だった。俺ん家は今時、茶の間のテレビで、午後八時からの大河ドラマを、家族五人で揃って見るような家庭である。ただし今夜は、看護師である姉ちゃんは、夜勤であるため留守だったが。

「ババ抜きかい?いいねえ」

 婆ちゃんが乗り気なので決まりである。

 お袋が、手品師かカジノのディーラーのように華麗な手つきでカードを操り、四人分の手札を配ると、婆ちゃんは、早速手を叩いて喜んだのだった。

 出会いは早速訪れた。ジョーカーは、俺の手札の中にいた。

 俺は、手札を扇形に広げると、引く側にとって目立つように一枚だけ、そのジョーカーを突出させた。俺からカードを引くのは婆ちゃんだ。

 婆ちゃんは、かなり考え込んだ挙句、その突出した一枚へと手を伸ばす……

 俺は、その瞬間、梅干しを百個は食ったかのように、力一杯口を窄めた変顔を披露した。

 お袋は、両手で、カラオケ伴奏用のマラカスを振り乱した。

 そして親父は、「カンジーザイボーサアアアアッ」と、般若心経の出だしをシャウトして、仏壇から拝借した木魚をポクンと打ち鳴らしたのである。

 婆ちゃんは、ひゃっひゃと声を立てて笑った。

 そして手を引っ込めると、暫しのシンキングタイムに突入した。

 だがしかし、またもや、突出したジョーカーへと手を伸ばす……

 俺はすかさず、身を捩りながら、片手の人差し指で鼻を上向け、ブヒブヒと鳴いて見せたのである。

 婆ちゃんの手が、俺のジョーカー目掛けて寄せては返す。その攻防戦は、今夜は、熾烈を極めた。

 お袋は、いつしか、マラカスだけでは飽き足らず、ブブゼラを咥えて吹き鳴らしていた。

 親父が一区切りずつシャウトする般若心経も、「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテエエエエッ」と、終盤のクライマックスを迎えていた。

 そして、俺も変顔のレパートリーを使い果たし、もはや白目を剥いてヘドバンするしかなくなった頃……

 婆ちゃんは、ついに俺の手札から、ジョーカーをひょいっと抜き取ったのだった。

 そして、「あらま、引いちゃったよ〜」と、それを嬉しげに見せびらかすと、まだまだ負けが確定したわけでもないのに、手札をポイッと投げ捨て、横になってしまった。

 けれどいいのだ。婆ちゃんがババ抜きに満足するか飽きるかしたら、そこでおしまい。それが我が家のローカルルールなのだから。

 俺がまだ幼かった頃、木魚なんかの仏具で遊ぶと、漏れ無く婆ちゃんに怒られたものだった。去年、爺ちゃんに先立たれてからというもの、婆ちゃんは、毎日真面目にお経をあげていたはずだった。

 それが、今となっては、楽しそうに笑うか、ふいっと無関心になるかのどちらかである。


 婆ちゃんは、MCIだと診断されている。看護師である姉ちゃんが、医者の言葉を通訳してくれたのだが、数年のうちに本格的な認知症になっちまう可能性が高いらしい。認知症になると、身を守るべき場面でも「うっかり」が増えて、下手すりゃ召されてしまう。ただ、今のうちにこまめに頭を使えば、その日が来るのを先延ばしにできるかもしれない。

 小学生用の算数のドリルを解いたり、トランプで遊んだりしてはどうかということだった。

 俺は、トランプの後片付けをしながら、ジョーカーの絵柄を眺めた。そいつは、ニタニタと笑う死神として描かれている。

 俺や姉ちゃんを可愛がってくれた婆ちゃんのことを、まだまだ連れて行かせはしない。

 俺は、死神の絵姿を、真顔で一睨みしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ババ抜きなんてやらせない 如月姫蝶 @k-kiss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説