プラスティネーションの国のアリス

龍神雲

プラスティネーションの国のアリス

人が死ぬと死後2、3時間後に死後硬直が始まる。グリコーゲンが分解され乳酸が溜まり筋肉のphが低下し筋肉のアクチンとミオシンが合体してアクトミオシンに変化、この過程を得て筋肉が硬くなる現象が死後硬直で、そしてそのまま死体を放置すれば自己融解と平行し細菌による腐敗が始まり、そこから白骨化するまでに大体、半年程掛かり──俺も何れはそうなる人生かもしれないし、そうならない人生かもしれない──何にせよ、屍姦趣味もなければ人の死も他人にも興味がない刑事生活を送る俺にとって正直、俗世の考える理や概念等どうでもよく、人生が難なく終わればいいと常日頃抱いていた。刑事としての資質所か人としての資質も問われそうな事項だがこれは自己防衛であり、ある程度の距離を保ち物事を俯瞰する事でストレスを溜めず仕事も人生も安寧に続ける為だ。だがそんな無味乾燥な人生を望む日々も今日で終わるとは思いもしなかった。


「では本件は広域重要事件となったので今日より捜査本部を設け、互いに情報を共有し捜査にあたれ。何か質問ある者は──……」


捜査会議という事で会議室に一堂に会した刑事課の面々は各々意見を交わし、連日多発する白い兎の着ぐるみを着た不審者の目撃情報と同時刻に発生する失踪事件、そしてその数日後に失踪者達が何れも臓器を抜かれた遺体となって発見される変死事件の犯行、及び犯人として白い兎の着ぐるみを着た不審者がその候補に上がるも、白い兎の着ぐるみを着た不審者の動機も足取りも不明な点が多く捜査が難航していた。だが選りすぐりの頭脳派と叩き上げ連中が雁首を揃えれば何れは解決する事で、一人抜けても問題ない──そう巡らした俺は帰り支度を済ませその場を抜け繁華街へと足を運び、今日は何処で飲むかを考えながら歩いていたが、ふと、視界にが映り込んだ。それは今し方、広域重要事件且つ捜査本部を設けて追う例の白い兎の着ぐるみを着た不審者で、その不審者と何故か視線が合ったのだ。偶然か必然かは分からないが白い兎の着ぐるみを着た不審者は俺に視線を向けたまま数歩後退し繁華街の脇の路地裏へと姿を消した。今のを見なかった事にし引き続き飲み屋探しに専念してもよかったが何処か挑発された様な気分になり、らしくもないが刑事として白い兎の着ぐるみを着た不審者を追い路地裏へと走った。


(……奴は何処に消えた?)


先程白い兎の着ぐるみを着た不審者が入った路地裏は完全に袋道で塵が散乱し外壁の壁も汚くスプレーで落書きされている、扉も窓も何もない場所だった。注意深く見渡したが矢張、白い兎の着ぐるみの不審者は見付からず、見間違いか、幽霊か、疲れていたのか──そう巡らし踵を返したその時、背後に白い兎の着ぐるみを着た不審者が立ちはだかっていた──


「──イケナイなぁ。お前の音色からは楽な生き様が聞こえる、逃げの生き様が聞こえる、平凡な生き様が聞こえる。いけないなぁイケナイなぁ逝けないなぁヒャハハハハッ!イケナイなぁイケナイなぁ!ヒャハハハッ!ヒャハハハハ!」


白い兎の着ぐるみを着た不審者は心理を読み取る様に話し掛けてきたかと思えば狂った様に笑い始めた。声からして男だと分かるが、取り合えず間合いを取り対話を試みようとしたが「お前は此処の世界にいらない必要ナイ、俺と来い。素晴ラシイ世界を見て逝ケ!ヒャハハハ!」


男は再び喋り笑った。話す内容からして連日発生している事件に絡んだ人物と分かるも直後、俺の身体は今いる場所から真下へと落下していた。地面が落盤した様な気配もなくそればかりが真っ逆さまにもならず、ただひたすら身体が下へと引っ張られていた。周囲は真っ暗で何も見えないがこのまま真下へ行けば確実に死ぬのではないだろうか、だがそんな考えも地に足がふわりと付いた事で消えたが──


「──何だ、此処は?」


再び疑問が浮かんだ。ひたすらガラス張りの天井、壁、床が続いた長い通路のその先には木製の扉があるだけの異質な空間で一体誰が何の目的で作ったのか?だがそんな疑問も先程の男の声によって掻き消えた。


『お前はもう進むしかナイ。オマエはもう逃げられナイ。可哀想に、嗚呼可哀想にヒャハハハ!行けいけ逝け!ヒャハハハ!』


まるで頭に直接響く様に笑い語り掛ける声が不愉快だが、その扉以外無いのは一目瞭然で、不服ながらも進み扉の取っ手を回して開ければ次に見えたのは異質どころか狂気の沙汰ではない光景で、吐き気を催しそうになった。刑事になり様々な遺体を見てきてある程度の耐性はあったが、それ等を塗り替える程に凄惨で異常な光景が広がっていた。ピラミッド状に置かれた大きな真空容器が壮大な自然を何百──いや、何千と埋め付くし、その真空容器に入っているのは何れも生きたまま死んだ人間──そう推測したのは阿鼻叫喚、悲痛といった顔を向けていたからだ。そして俺は人生に二度、これに似た物を見た事があった。一度目は世界中を巡業する人体展で、二度目は医学的利用の目的として──そう、これは間違いなく遺体に含まれる水分と脂肪分をプラスチック等の合成樹脂に置き換え保存可能にした人体標本プラスティネーションだが、それを遥かに凌ぐ倫理観を壊した世界が此処にはあった。


(一体誰がこんな惨い事を……)


今まで無味乾燥でいた俺の心に沸々とした感情が起こり初めて他人に、そして他人の死やそれに至る経緯に対して怒りを覚えたが──


「なんだ?見ない顔じゃねぇか──お前、誰だ?」


其処へ推定年齢16ぐらいの少し茶色掛かった黒髪ロング、スチームパンク風の真っ赤な膝丈のワンピースに身を包み腰にレイピアとダガーを携え、物々しいながらも足元はピンヒールという不思議な装いの少女が現れた為に意識はそっちに向いた。その少女は俺の格好を上から下まで眺め「んだよ、またあの世界から此方に連れてきたのか。使えねぇ化け猫め!」と吐き捨て、「おい!隠れて見てんのは分かってんだ!大事なテメーの毛皮剥がされて絨毯にされたくなきゃとっとと姿現しな!」


少女が語気を荒くし捲し立てれば白い兎の着ぐるみを着た男が一瞬にして目の前に現れ特徴ある笑い方をした後、着ていた着ぐるみを脱ぎ捨てた。そして今し方、化け猫と吐き捨てた少女が言った様に全身猫の毛に覆われ猫の姿をした二足歩行の男ならぬ猫男が立ち、少女と会話を始めた。


「おいおい何が不満なんダイ、アリス?折角連れてきてやったのにコイツの何が不満なんダイ?」


「全部だよ。あの世界から連れてくんなって言ったよな?使えねーから」


「ん~だってさぁ」


「おい。身体をくねらせんじゃねぇキモい」


どうやら現実世界で起きている事件にこの猫男だけではなくアリスと呼ばれた少女も関与しているのが今ので分かるが、この人体標本プラスティネーションもこの二人がやった事なのか──それを確かめるべく二人の会話を遮った。


「君達に聞きたい事がある。此処にある大量の人体標本プラスティネーションを作ったのは君達か?」


「ハァ?んな悪趣味なもん作る訳ねーだろ!アタシはあれをぶっ壊す為に戦ってんだ。で、一緒に戦う奴の人選をしてんのは化猫こいつだが、何時も使えないのばかりこの世界に寄越すから直ぐに死んじまって……って、早速お出ましだ」


少女が目を眇めた先に槍、盾、剣といった中世の雰囲気を漂わす武器を持つ大量の兵士達と共に、地に付く程の長いマントを翻し、白いマーメイドドレスを美しく着こなし優美に歩く女の姿が見えた。アリスはそれを見るなり吐き捨てる様に口にした。


「此処にある悪趣味な人体標本プラスティネーションを作ったのはあそこにいる女王だ。兵士達に命令して罪状を好き勝手にでっち上げ此処に住んでた村人達を次々に生きたまま人体標本プラスティネーションにした。アタシはそれをぶっ潰して全て土に返す為に戦ってんだ──だからアンタも戦えよ。武器は持ってんのか?」


余りに唐突過ぎる展開に理解が追い付かないがそれでも落ち着いて状況整理をしアリスに聞いた。


「女王と交渉はできないのか?」


交渉をすれば兵士と女王の戦いを避け解決に至るだろう、だがアリスは俺の言葉に腹を捩って笑い「無理に決まってんだろ!あの女は死姦趣味があって兵士除いた奴等全員を人体標本プラスティネーションしてコレクションする事しか考えてねーからな。それにあいつはただの人じゃない、魔女だ」


詰まりこの世界は複雑怪奇で狂っているという事か──事態を冷静に見て間も無く、兵士達と女王が現れたが、女王はアリスを見るなり冷笑を浮かべ切り出した。


「アリス、覚悟は決まったかえ。お前のその美しい姿を人体標本プラスティネーションすれば永久に美しくこの地の礎としても飾れる。年を重ねればお前の美は損なわれ醜くなるだけだからねぇ」


「抜かせ!アタシは年を取る事も年を取って死ぬ事も怖くねぇ!それが自然の摂理だ!その自然の摂理を壊してまで美を追求して人の生き死にをテメェの価値基準で推し量って押し付けんじゃねぇ死に損ないの魔女が!」


アリスは右手でレイピアを鞘から抜き左手でダガーを抜くと兵士達を飛び越え女王の懐に入り腰を落として前傾姿勢になると脚を踏み込みその刃を突き出したが、その刃が届く事はなく兵士達に捕まり──アリスという少女との出会いは直ぐに別れを迎えた、彼女はそのまま連れ去られてしまったのだ。女王は俺を一瞥するも何の興味も示さず兵士達を引き連れ来た道を引き返した。


「アリスが連れてかれたぜヒャハハ!」


猫男は嬉しそうに笑いを零した。未だにこの男の全容が掴めないが気付けば笑う猫男の胸倉を掴み「アリスを救う──武器を用意しろ」と口にしていた。猫男はまた狂った様に笑ったが「いいネ良いね!その目イイネ!ならオマエに帽子屋マッドハッターを紹介してヤル!」


斯うして無味乾燥な日々は終わりを告げ、アリスを救い元の世界の事件も終わらせる為に帽子屋マッドハッターと会い女王と戦う日々が始まった──完

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