第20話


 フロントでチェックアウトを済ますと、2人は駐車場に向かった。従業員が出入りした時にカウンター奥の事務室がちらりと見え、支配人らしき初老の男がこちらを見たが、時宗は顔をそらした。用心に越したことはない。

 協力し合ってスーツケースを車に載せると、今野は再び運転席であれこれ準備をし、出発した。

 何もないといいんだがなという願いは、駐車場を出た途端、あっけなく反故にされた。

 例の白いセダンが、これ見よがしに2人を見張っていたのだ。向こうは駐車場の出口から少し離れた路上に駐車し、こちらを待ち受けている様子だった。道は空いている。向こうに隠れる気が全然ないのが時宗には気になった。それでいて、どうやらスモークフィルムを窓に貼っているらしく、運転席や助手席に座っているのがどんな奴なのかは見えない。

 今野はあまり気にするふうもなく、その車とは反対側に曲がった。

 相も変わらず、交通ルール厳守の安全運転だ。セダンは渋滞ともいえない車列の中、5台ほど後ろをついてきている。

「……あれ、北海道にもいたよな」

 話を振ってみると、今野はバックミラーをちらりとみて頷いた。

「ん。まぁしょうがないべ」

 そういうもんか?

 一体なんなんだと聞く前に、今野はコンビニに入った。

 どういうつもりなんだろう? 訳ありなのはわかるが、これだけあからさまに尾行してくるのも、それを気にしないのも、何を考えてるのやら。

 今野はスノーブーツに履き替え、さっさと車を降りていく。時宗も一緒に車を降りた。考え事をするなら、まず腹ごしらえだ。え~と、おにぎり……。

 今野は野菜ジュースとよくわからんパンをひっつかみ、あっという間にレジに並んだ。店員にガラスケースの中にある惣菜を指差している。

「何買うんだ?」

「イギリストースト」

 うん、わからん。あと朝飯に唐揚げを買うお前の食生活が心配だ。

 そうは思ったが、この2日間で今野の攻略法はだいぶわかってきた。時宗はとりあえずお茶とおにぎり、それに今野と同じパン、おまけにチロルチョコを数個持ち、今野のすぐ後ろに並んだ。今野は心なしか急いでいるように思えた。

 レジで今野の前にいたのは一人だけだったが、それでも、自分の番が来ると同時に今野はちらりと駐車場の方を見た。例のセダンはゆっくりと駐車場の向こうの道を通りすぎていく。

 どこかでまくつもりか?

 今野がどういう行動を計画しているのかわからず、時宗は自分のレジが終わると同時に小走りで今野に合流した。

 ところがだ。

 今野は駐車場の自分の車に戻ると、悠然と朝食を食べ始めた。隣で時宗は唖然とするばかりだ。

「すぐ出るんじゃないのか?」

「飯食いながら運転したら、危ないべ」

「まあ……それはそうなんだけど……」

 食べている間に、セダンはコンビニ周囲のブロックを3周ぐらいしていた。どうやら尾行じゃなく、今野の仕事を見張っているらしいと時宗は気づいた。それなら、姿を見せる方が理屈に合う。逃げるなよ。見てるからな。そういう無言の圧力をかけながら、連中──何人いるんだか知らないが──は律儀に今野の朝飯を待ってるわけだ。

 つまり、今野が車から離れている時は、あいつらの警戒度は高い。今野が決められたルートを走っている間は、警戒度は低い。まぁ……ルートから外れた時にどうなるのかは想像したくないが。

 今野はそれを知っているから、コンビニでの買い物は手早く済ませた。おそらくそういうことだ。

 ところで……。

「このパン、んまいな」

「んまいべ?」

 謎のふわふわパンにマーガリンとグラニュー糖が挟まってる。ジャリジャリしてジャンク感このうえないが、マーガリンのクリームみたいな感じと相まって、それはなかなか良かった。

「もしかして、これも青森にしかないのか?」

「あぁ。他のとこにはねぇんだ」

 あっという間にパンを食べ、今野は唐揚げ棒をもこもこ頬張っている。

「なんでイギリス?」

「知らね。後でググればいんでないか?」

「あとこれトーストじゃない」

「……確かに。お前変なとこ気ぃつくな」

 今野はクスクス笑った。目がきゅっと細くなる。

 うん。こういう楽しいのがいい。

 視界の隅をセダンがもう一度横切っていく。日常と非日常が奇妙に入り混じった時間。今野はこういうのに慣れているんだろうか。

 そうは思えない。ひとりで、あの不気味なプレッシャーに耐えながら飯を食うのはしんどいに違いない。今野が時宗と一緒に東京に行くことにした気持ちが、なんとなくわかる気がした。本来なら、最初に時宗の顔をドアでブン殴ったように、今野は乱暴に時宗を追い払えばよかったのだ。あるいは自分も東京に行くなんて言わずに、時宗を新千歳空港に落としてしまえば、それでおしまいだったのだ。

 そうしたことをせずに、東京まで時宗を助手席に乗せて行こうと思ったこと自体に、今野のやりきれない寂しさと恐怖が潜んでいる気がした。

 時宗は何も言わず、今野の目を見て笑った。

 笑え。誰かに笑ってほしい時は、何があろうと笑え。

「このパン、もうひとつ買っておけばよかった。後でまた食えたのに」

 時宗がそう言うと、今野は笑い声をあげた。

「食い意地張ったこと言ってんでねぇ。もう時間ねぇから出発するぞ」

 また青森に来られるかなというセリフを、時宗は最後の一口と一緒に飲み込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る