第15話


 暗くなってから海に落っこったら、誰も気づかねぇぞ。

 さらりと物騒なことを言われて、時宗はデッキに出る気が失せた。いや、別に最初から出る気はなかったしな。よく見たらデッキに出るドアの前には夜間立ち入り禁止のボードがあったし、真冬の津軽海峡なんて死ぬほど寒いに決まってるし。函館の夜景が見たかったとか、そういう気分もちょっとしか思わなかったから、残念ってわけじゃない。

 ……誰に言い訳してんだ俺は?

 今野はさっさとカーペットの部屋に入っていき、自分のリュックを枕にごろんと寝転がった。毛布もちゃんと持ってきていて、みのむしのような姿でくるまっている。部屋には他に数人しかいなかった。

「枕あるぞ?」

 そう言うと、今野は眠そうな声で答えた。

「荷物枕にしとけば、寝てる間に盗まれない」

 おぉ……そういうもんか。自分が寝る時もそうしようと思いながら、時宗はカーペットの部屋を出た。沖に出る前に、弥次郎に電話をしておきたかったのだ。

『お、どうなった? あの後、音沙汰ないから心配してたんだが』

 相も変わらず、弥次郎はのらくらした口調だ。

「今、津軽海峡を渡るフェリーの中だ。今野は寝てる」

『どういう状況だ?』

 時宗はここまでのことを話した。今野の訳ありな生活と仕事のこと、途中で尾行らしき車を見たこと。

『あ~、それは……ヤバいかもしれんな』

「やっぱりか。なんかの運び屋だと思うんだが」

 閉鎖されたデッキ出入り口のそばで、時宗は小声で話した。船はゆっくりと函館を遠ざかっていく。夜景や港がちらりと見えたが、じっくり見るより、今は仕事だ。

『ほぼ間違いなく、そうだろうな。かなり危ない橋を渡ってるとみた。う~ん、まぁ結局、金積んで足を洗うしかないだろう。本人がじいさんに会って足抜けしたいと言えば、じいさんは何とかするとは思うが……ただなぁ』

「じいさんの息子の妨害とやらがうるさい、か?」

『そうなんだよな。今野に金を突っ込むとなれば、その辺で横槍が入りそうだ。……それにしても早かったな』

「そうか? 元々、今野がアパートにいればすぐ終わる仕事ではあったわけだろ?」

『……それはまぁ、そうなんだが。青森からすぐこっちに向かうのか?』

「いや、なんか青森にビジネスホテル予約したとか言ってた。フェリー降りたらちゃんと寝る気らしい」

 弥次郎がホッとしたのがわかった。なんだろう、昨日から妙に時間をかけさせようとしてないか?

「おい、東京で何かあるのか? 今野のことで親戚がもめてるとか、何かトラブってるんじゃないか?」

『いや、その、まぁいずれにしてもこっちで処理しておくから心配するな。いいか、お前は今野の車でのんびり戻ってくればいい』

 ひっかかる言い方だ。

「なぁ、何かあるなら言ってくれ。時間が必要ならどこかで今野に足止めかけるし、手伝いが必要なら新幹線か何か使うし」

『ん~、いや、今のところは大丈夫だ。今野と珍道中してこい。尾行に気をつけてな。っと俺ちょっとこれから人と会うんで、電話切るぞ』

 一方的にそこまで言うと、弥次郎は時宗が何か言う前に電話を切った。

 なんのトラブルだ? 東京で何が起こってる?

 いつもなら弥次郎は隠し事なんかしないのに。どういうことだ。

 窓の外の暗がりをじっと見ながら、時宗は考え込んだ。

 今野の周辺のトラブルの気配は、さしあたり2つ。ひとつは北海道の今野の仕事に関するもの。高速で尾いてきていた車について、今野は心当たりがあるようだった。あの白いセダンは、フェリーに乗船する時には見当たらなかった。違う便で追ってきているのか、あるいは車を変えて同じ便に乗っているのか。

 もうひとつは東京の、じいさんが遺そうとしている財産に関するもの。じいさんの子ども……ひとりか複数かは知らんが、とにかく妨害しようと、すでに動き始めているらしい。

 行くも地獄、帰るも地獄、というどこかで聞いたセリフが頭をかすめた。

 近くの椅子に座り、壁の外から伝わる寒さに体を震わせると、時宗は考えこんだ。

 ファイルでは時宗に個人情報を隠し、それでいて経費はふんだんに寄越している。このしょうもないファイル自体、弥二郎っぽくない。弥二郎は適当な性格だが、時宗と組んで仕事をしてきて、こういう肝心なところで手抜きをしたことはなかった。

 妙に時間をかけさせようとしたり、情報を隠したり。そういえば、時宗が今野に会えたと知った時、変なふうに驚いていた。時宗が今野を見つけたことを意外に思ったような反応。

 何を隠してる?

 弥二郎は元々、今野が身を隠しているのを知っていたんじゃないか? 会えないと知っていて時宗を札幌に送り込み、時間をかけさせようとしていた。『仕事はしました』という口実作り? それこそ時宗同様、弥二郎もやらないことだ。

 ……と思うが、だいぶ自信がなくなってきたな。

 何だろう? 

 時宗はスマホを取り出し、写真のフォルダーを開いた。確か、じいさんの顧問弁護士が今野に送った手紙も、じいさんの名前は匿名だった。

 確認してみる。やっぱり匿名だ。おいおい、自分の孫を呼び寄せるのに匿名はないんじゃないか? これじゃ普通は信用しないんじゃないか? あるいは本当に有名人なのかも。

 手紙に書かれていた、顧問弁護士の名前と連絡先を書類の隅にメモする。たどるとしたら、ここからだろうか。

 まさかじいさんも実在しなくて、今野をはめる何かの宗教団体とかじゃねぇだろな。

 弥二郎が一枚噛んでるとは思いたくないんだが?

 まぁ今の時点じゃ材料が足りない。

 時宗は大あくびをした。脳が疲れている。これ以上の思考は無理だ。

 リュックにクリアファイルをしまいこみ、辺りを見渡して誰もいないのを確認すると、時宗はのっそり立ち上がった。

 青森につくまで、しゃあない今野の寝顔でも見ながらゴロゴロするか。

 なんだかんだ、やることはないのだった。



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