穏やかなる無限

@ns_ky_20151225

穏やかなる無限

「お呼び出しありがとうございます」

 そいつは礼儀正しくお辞儀をした。あたしはただびっくりして声も出せずに固まっていた。

「おや、正しく呪文を唱えられたのに驚かれておられる。不思議ですな」

 深夜の部屋の天井付近に浮いてさえいなければ、そいつは身なりのきちんとした紳士だった。机の上に広げた本を指して言う。

「ああ、それは私が書いたんですよ。いや、割り込んだ、ですかな。図書館にちょうどいい本があったのでそこだけ書き換えたのです。正しい呪文に。とはいえ、読み上げてくださったのはあなたがはじめてです。ずっと待っていたんですよ」

 悲鳴をあげ、大声で助けを求める。

「なるほど、分かっていたわけではない、と。戯れに読まれたのですか。それでも呼びだされた以上はお話をさせていただけませんか」

 スマートフォンの緊急通報を作動させた。

「その本に書いてあったはずですが、閉じられた空間で呪文が唱えられたので、私が去るまで内と外は完全に切り離されます。よろしいですかな」

 紳士はじっと浮いている。あたしは目を見開いたまま口を閉じた。

「ありがとうございます。それでは手短にお話いたします」

 そいつは自分を悪魔だと言った。次元の悪魔だと。そして、召喚者にサービスしなければならないルールなのだと説明した。

「パラレルワールド、という言葉をご存じですか」本棚に目をやる。「SFがお好きなようで助かりました。このあたりは省けますね。無限にある並行世界に無限のあなたがいるのです」

 悪魔は床に降り、まっすぐ立った。

「その無限のあなた同士で取引をできるようにして差し上げます」

 首を振った。分からない。

「人生にはたくさんの『出会い』と『別れ』があります。それをあらかじめ知り、嫌な別れ方をする『出会い』を交換所に出します。すると、別の世界のあなたが自分のものにするかもしれません。一方、あなたも他のあなたがいらないといって出した『出会い』を自分のものにできます。ご希望であれば、そういうサービスをご提供いたします」

 なにを言っているのだろう。こいつは。

「もちろん、条件があります。あらかじめ知ることができ、かつ交換所に出せる『出会い』はサービスが開始されてから発生するもののみです。例えばすでに出会っている家族との関係は交換できません。また、別れが存在しない出会い、一生続く幸福な結婚や生涯の友人などは交換できません。それから重大な犯罪に関わるものもだめです。ぶっそうな例えですが、殺人の罪を別世界の自分にかぶせるのはいけません。ま、犯罪といっても浮気相手に平手打ちする程度は大丈夫です」

 悪魔は指を振った。きざな仕草だった。

「お話が長くなりましたね。どうです、サービスをお受けになりますか。ちなみに支払いはありません。こうして呼びだしていただいた方へのプレゼントです。それと、一年後にまた参りますので、その時に継続するかお返事をいただきます。さあ、いかがですか」

 あたしはうなずいた。なんでもいい。この異常な悪夢が終わればそれでいい。はやく目覚めさせてくれ。

 悪魔は満面の紳士的微笑みを浮かべて消えた。


 翌朝、カーテンから朝日が差し込んでいる。妙な夢だった。細かいところまではっきりと覚えている。

 いや、夢じゃない。

 目の前にスクリーンが浮かんでいた。『出会い交換所』と書いてあった。そこには昨夜説明されたルールと、交換は一度に一つ、と書いてあった。

 そして、今日の日付と時間が書いてあった。サークルで出会う友人がいて、その友達関係はしばらく続くが、共通の男性を好きになって気まずい別れをする、とあった。

 その横には交換所に『出す』、『出さない』、という選択ボタンがあった。安っぽいスマホアプリのようだった。

 朝の寝ぼけた頭で考えた。なんでもいいや。「出す!」

 すると、その文章が消え、『受け取られました』という結果表示とともに、別の文章が現れた。おなじように出会うのだが、こちらは相手が海外に留学して自然消滅する別れ方だった。選択ボタンは『受け取る』、『受け取らない』だった。「受け取る!」 文章が光った。

 結論から言うと、その通りになった。彼女は性格が良く、楽しく遊んだ。三か月後、イギリスに去っていった。ちなみに私はある男性を好きになりかけたのだが、しばらくするとそう大した男でもなかったので知り合い以上にはならないようにした。もしあの子と取り合うようになっていたらそれだけで判断を間違えたかもしれない。

 この交換所サービス、なかなかいいかも。


 スクリーンは毎朝浮かび、交換できる出会いを表示させた。出さなかったら書いてある通りに出会い、その通りに別れた。また、表示された『出会い』を受け取らなかったら別の『出会い』が提案されるだけだった。ただし、出さないかぎりは受け取りはできない。常に出すのが先だった。

 驚いたのは自分といっても別世界の自分はあたしと大きく違っていた。暴力を振るわれるという別れに終わる『出会い』を出したら、すぐにどこかの自分が受け取った。そんなのが欲しいなんて、どういう自分なんだろう。


 あたしはとにかく穏やかに過ごせる『出会い』を選んだ。別れも自然消滅がいい。そういうのはかならずあった。それはそうだろう。パラレルワールドは無限なのだ。あたしがいらない『出会い』が欲しい自分がいて、あたしが欲しい『出会い』を出してくれる自分がいる。

 これは本当にいいサービスだ。人との出会いのかなりの部分を改善できる。


 深夜、また浮かぶあいつを見てびっくりした。

「また驚かれた。これは困りましたね。予告しておいたはずですが。一年たちましたが、どうされますか?」

「継続します!」

「あ、いや、気にいっていただけて大変うれしいのですが、一応説明させてください。私とこのサービスについてです。それから継続するかどうかお選びください」

「なに? 後出しジャンケンするつもり?」

「いえいえ、申しわけありません。言葉が不足しておりました。もちろん、条件は前にご説明したとおりですし、対価もいただきません。そうですね、周辺情報の補足とお考え下さい」

「分かった、なら話して」

 悪魔はお辞儀をして床に降り立った。

「どうも。私は悪魔と呼ばれております。つまり対極的存在として神と呼ばれる存在もおります。しかし、悪魔と神というのはあなた方の呼び方の違いであって本質的な差はありません。同じといってもいい」

「嘘」

「もう見抜かれましたか。前にも言いましたが、あなたの本棚を見ますとこういうことにはお詳しいようですね。そうです。悪魔と神には一つだけ違いがあります。それも決定的な違いです。それは神はこの宇宙を作ったという点です。私ども悪魔は出遅れました」

 今夜のあたしは落ち着いている。茶を一口飲み、悪魔にもすすめた。

「ありがとう。でも私は飲めませんので。説明を続けます。神が宇宙すべてを作った後、私たちを馬鹿にしたのです。のろまだと。それで私たちは神に挑戦しました。おまえの作った存在を誘惑し、宇宙の構造をゆがめるような振る舞いをさせてみせるって」

 話がおかしな方向へ行こうとしている。

「無限の宇宙の無限の人間が、お互いの運命をもてあそぶように仕向けてやると挑戦したのです。それがこれです。『出会い』と『別れ』は人格を形成し、人生を形作ります。そういう大事なものをやり取りするようにしてみせる、と」

「罠? あたしを引っかけた?」

「いいえ。挑戦はまだ始まってもいません。私は充分に説明したうえで、あなたに選択をゆだねます。その結果次第で勝敗が決まるのです。さあ、継続しますか、しませんか」

「ひとつ質問いい?」

「ひとつどころか、好きなだけどうぞ。あなたが熟慮して選べばそれだけ勝敗がはっきりします」

「継続したら、あなたの勝ち?」

「そう単純ではありません。これはポイント制の競技のようなものです」

「悪魔が勝ったらどうなる?」

「なんともなりません。人間のスケールでは変化なしです」

「あ、ほかの世界のあたしはもう選択した?」

「いいところにお気づきですね。そう、もう選択したあなたもいらっしゃいますし、これからのあなたもいます。どちらの選択もありました」

「断ったって、なぜ」

「理由はいろいろです。一例ですが、『出会い』を気軽にやり取りできることで人生が平板なつまらないものになったとおっしゃるあなたがおられます。また、安全で穏やかな『別れ』にせよ、危険で激しい『別れ』にせよ、都合の良い『出会い』をあらかじめ選ぶのはいい面ばかりではないというあなたもおられました」

「なるほど。そういう考え方もあるか。なんか迷ってきたな」

「結構ですよ。時間はたっぷりあります」

 いや、もう迷わない。あたしは決めた。

「継続します。あたしはとにかく穏やかでいたい」

 微笑んで、悪魔は消えた。


 翌朝、交換所のスクリーンが浮かんだ。次の『出会い』とどのようにして『別れ』るかの情報が表示されている。

 さあ、今後、あたしは『出会い』に関してはかなり改善された人生が保証された。平和な人生の始まりだ。やったね!


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