嫉妬

浅葱

嫉妬

「僕らはうまくいかないと思う。別れよう」


 それはまるでドラマの科白のようだと由香子(ゆかこ)には感じられた。

 初めて入ったおしゃれな喫茶店。幸せそうなカップルばかりが訪れる場所。自分たちもそのうちの2人だったはずだ。


「どういうこと?」


 そう聞きながら、彼の様子がおかしくなった日を思い出す。理佳(りか)とその彼氏とダブルデートしたその夜からだったように由香子は思う。

 あの日から小さな亀裂が生じていたのだろう。亀裂は埋まることなくどんどん広がって、ついにこの日がきたに過ぎない。


「君はとても魅力的な女性だと思うよ。……でも、僕はダメな男なんだ」


 口のうまい男は最後まで真実を見せてはくれない。カッコよくて、自信に溢れていて、由香子は本当に彼が好きだった。だけど、彼の心はもう自分にはないという。


「理佳ね」


 その名前を出すと、彼は一瞬困ったような表情をした。けれどすぐになにを言っているのかわからないというような表情をした。


「青木さんがどうかしたの?」


 どこまでも優しくてずるい男。

 でも大好きだから知らないフリしてあげる。

 そして2人は別れた。それは、ひどくあっけなかった。



  *  *



 帰りの電車を待っていたら、いきなり後ろから肩を叩かれて由香子は振り向いた。


「やっぱ由香子じゃない。久しぶり~」


 それは高校の時の友人、青木理佳だった。

 当時そんなに仲が良いわけではなかったが、由香子は懐かしさをおぼえて話し込んだ。

 その時はそう、忘れていたのだ。カッコいい彼氏もいると言っていたし、由香子にもそれなりの彼氏はいたから。


「彼、カッコいい?」


 首を傾げて尋ねる仕草が可愛らしい。元々華やかな子だった。高校の時、彼女のとんでもない噂にはことかかなかった。けれどそれが本当なのか噂なのか誰も判断つかなかった。だから由香子はそれがただの噂だったのだろうと思っていた。


「別にすごくカッコいいってわけじゃないけど……。そういう理佳の彼はカッコいいんでしょ?」

「まあまあ、かな」


 見てみたいと言ったのは、由香子の方だった。けれどそれもまた仕組まれていたような気がした。


「じゃあ、ダブルデートしない? オーソドックスだけど、遊園地ででも」


 理佳が遊園地を好きだったことを由香子は思い出した。子供のように無邪気に聞いてくる理佳に、それもいいかもと思った。



 由香子の彼はあまり乗り気ではなかったが、可愛い彼女のわがままに付き合うことにした。

 理佳の彼もきっとそうだったのだろう。ダブルデートなんていったって、主役は女性2人。由香子もてっきりそう思っていた。

 なのに、それは思い浮かべていたデートとは全く違ってしまった。


「初めまして、青木理佳です。由香子の友だちで~す」


 理佳が連れてきた彼氏は確かにカッコよかった。背が高くて体格もそれなりによかったけれど、眼鏡の奥の、その優しい目がなぜか理佳の彼氏らしくないと思えた。

 その違和感は初めだけでは終らず、どうしてか理佳は終始由香子の彼にばかり話しかけていた。最初は戸惑っていた彼も、由香子より可愛らしい女性に話しかけられて嬉しくないわけはない。しまいには由香子を無視して2人だけで乗物に乗ったりした。

 理佳の彼は、河村秀明といった。混乱と呆れでベンチに腰掛けた由香子の隣に、彼は飲み物を持ってきてくれてそっと腰掛けた。理佳と由香子の彼が乗っているはずの、ジェットコースターを眺めるその目はやっぱり優しく映る。


「ごめん、理佳が無理矢理誘ったんだろう?」


 ため息をつきかけた時そんなふうに声をかけられて、由香子は頬が熱くなるのを感じた。


「いえ、そんなことはないですよ。私、ジェットコースターとか苦手ですし。かえって、よかったかも」


 平静に聞こえるように、聞こえるように由香子は自分を繕って顔を上げる。視線を感じた。

 先ほどまでジェットコースターを見上げていたはずの河村が、やっぱり優しい目で由香子を見ていた。真っ直ぐな視線に由香子は戸惑う。


「奇遇だね、僕もだ」


 ひどく近い位置に、河村の顔がある。由香子は胸が熱くなるのをほのかに感じた。


「ただいま~。お待たせっ!」


 理佳の声。河村の視線が外れて、立ち上がる。


「おかえり。楽しかったか?」

「すごく楽しかったよ~」


 もう視線は感じない。由香子は、苦笑しながら戻ってきた自分の彼を迎えた。



 皆で楽しく遊園地で遊んだ。

 ただそれだけのことだったのに、それから歯車がかみ合わなくなっていった。

 普段なら少なくとも1週間に2、3回は会っていたのに、それが1回になり、10日に1度となっていってからは、由香子もおかしいと思わざるをえなくなった。仕事が忙しいのはわかる。

 だけど。

 そんなふうに悶々としながら歩いていた時、後ろからクラクションの音がした。

 振り向くと、車の窓から見たことのある顔がのぞいていた。

 河村だった。

 眼鏡の奥の目は、あいかわらずとても優しく映った。


「今帰り?」

「ええ」

「送っていくよ、乗って」


 由香子はどうしようか迷ったが、


「後ろから車来てるから、早く」


 そう言われて急いで車に乗った。とろとろと進んでいた車が走り出す。

 河村はひどく手馴れていると由香子は思う。知り合いでなければナンパと間違えてもおかしくはないだろう。そう思って、由香子は吹き出した。


「どうしたの?」


 そう聞いてくる河村の声も楽しそうだ。


「なんでもないです。あ、うちすぐ近くなので……」

「話があるんだ」


 声のトーンが一転する。知らず知らずのうちの由香子は身体が震えるのを感じた。


「理佳のことなんだ。しばらく流すけど、いいね?」


 もしかしたら、と思ってはいた。

 由香子はただ頷いた。



 河村はあの日から理佳の様子がおかしいのだと話した。以前は会わなくても頻繁に電話をしてきたのに、まずその電話の回数が減った。しかも一緒にいてもあまり楽しそうには見えないのだという。


「それだけなら、ただの心変わりで済むんだけど」


 そこで河村は言葉を切った。そして、少し考えるような表情をする。

 けれどやはり河村は口を開いた。


「由香子さんは、その、彼と理佳が会ってるとか、聞いてる?」


 頭が割られたような衝撃を受けた。由香子はどうしたらいいのかわからなくて泣きそうになった。

 もしかしたら、と思ってはいたけれど。

 そんな、予想通りじゃなくたっていいじゃない。


「見たんですか?」


 声が泣きそうになるのを必死で耐える。


「うん……実は2回ぐらい……」


 すまなさそうに、河村が告げる。そんな話は一切聞いてなかった。

 どうして。

 なんで。

 嗚咽を押さえきれない。

 理佳は可愛くて、でも、どうして私は彼女みたいに可愛くないんだろう。

 理佳ぐらい可愛かったら、あの人もずっと私を見ていてくれたかしら。

 河村はどこまでも紳士だった。どうして理佳は、この人じゃないのだろうと由香子は思う。こんな素敵な彼がいるのに、どうして理佳は。

 泣きやんで落ちついた由香子を、河村は食事に連れて行ってくれた。河村の目はずっと由香子をとらえていたけど、とても紳士的だった。そしてそのまま家まで送ってくれた。

 そのなにも言わない優しさに、由香子は迫りくる別れを冷静に受け止めることができそうだった。

 一晩泣いてすっきりしたら、きっとまた笑えるから。



  *  *



 喫茶店を出て、あまった時間をどうしようかと由香子は考えた。


「どうしようかな」


 とりあえず口に出してみる。思ったよりショックは受けなかった。

 映画でも見ようかと駅前の映画館をなんとはなしに見ていたら、携帯が震えた。

 メールが来ていた。


”昨夜、理佳と別れた。”


 河村からだった。

 由香子は大きく伸びをして、元になってしまった彼の電話番号とメールアドレスを消した。

 もう理佳のことなんかどうでもよくなっていた。

 由香子はそして、メールを返す。

 河村とどうにかなるとはまだ思えないけど、お互いに愚痴るぐらいはいいだろう。

 その先どうなるかはまだわからない。できれば河村の視線の意味を知りたい。

 由香子の勘違いかもしれないけれど、恋をするのは自由だ。

 これから会う河村の顔を思い浮かべて、由香子は口元に笑みを浮かべた。


End



一面だけを見ると理佳ちゃんは悪女だけど……? な話でした。近々もう一篇書きたいですー。お付き合いかんしゃー。

20年以上前に書いた話を加筆修正しました。

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嫉妬 浅葱 @asagi

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