銀糸のドレスでまた会いましょう

いすみ 静江

銀糸のドレスでまた会いましょう

 妙齢の茶うさぎ、アリスティアは、片目の周りが白いのがチャームポイントだ。

 瞳は黒と赤とで、くりくりとしている。

 刺繍をしたら国一番との噂だ。

 フランネ城の街から外れ、丘の上に畑を広げ、小屋に暮らしている。


「また、いらしてください。ステイツ執事殿」


 アリスティアは、木戸の前で、腰を折るようにお辞儀をした。

 背筋を伸ばした御者に馬車の戸を開けさせ、白うさぎのステイツが乗る。

 執事は、丁重に箱を少し開け、銀の糸をふんだんに刺したドレスを確かめる。


「アリスティア、これで三度目の催促となるな。シャーロット・ド・フランネ王女様は、城に二間を空けてお待ちしておりますぞ」

「二間もですか」

「ええ。一つは刺繍用の部屋、もう一つで寝食をするがいい」


 依頼があれば、自分の時間を削ってでも刺繍をしていた。

 それでも、畑の手入れを忘れずにいる気立てのいい娘だ。


「四度目の誘いで来なかったら、小者の首など飛ぶと思え」

「……分かりました。作物に水をやってから、フランネ城へ向かいます」


 畑の方へと身を捩ったときだ。


「まかりならん。そのような前掛けをしたなりで、城門を潜れると思うのか」

「こ、これは、失礼いたしました」

「身なりを整え、この馬車の向かいに座ることだ」


 アリスティアは、深く礼をし、急ぎ一等いい服を引き出して、着替えた。

 手荷物は一つ。

 仕事道具と身の回りのものだ。


「よろしくお願いいたします」

「この銀のドレスには劣るが、まあまあの美しさであるな」


 緑色の肩が膨らんだ長袖で、丈も踝まであるものだった。

 いつか誰かとの結婚式にと支度して置いたものだ。


「では、馬車を出してくれ」

「はっ」


 馬は、坂道を降りて行く。

 アリスティアは、可愛い畑の作物や花々に別れを告げた。

 馬車は、野の道から次第に轍を拾う街中を通る。


「フランネ城なり――」

「さあ、ここで降りなさい。汚れた靴は、新しい物を用意させる」


 執事が二度拍手すると、うさぎのメイドが三人現れた。

 一人は合う靴を見立て、オレンジ色のハイヒールを履かせる。

 一人はドレスだけでは寂しいと、水晶の薔薇を模ったペンダントを首に通してくれた。

 一人が、小さな手荷物を取り、部屋へと先導する。


「わあ……。素敵なお部屋だわ。でもドレスばかり刺繍をしていて、王女様に謁見したことがないの」


 暫く、やわらかいベッドに腰を預けていた。


「手持ち無沙汰ね」


 仕事部屋で刺繍道具の針や針山、幾つかの糸を使い易く整頓していた。

 そのとき、三度のノックが聞こえ、戸が開いた。


「こんばんは、刺繍の乙女」


 銀髪で碧眼の気品ある同い年位の女性がすらりと立っていた。


「あの……。その銀糸のドレスは、本日お渡ししたばかりでございます。王女様にお渡しされた筈ですが」

「私が、シャーロット・ド・フランネ王女よ」


 アリスティアは、一張羅でさっと礼をした。


「は! 初めてお目に掛かります。アリスティアと申します」

「知っているわ。どう? この部屋を気に入ってくれたかしら」

「はい、さようでございます」


 面を上げることなくじっとしている。


「堅苦しいのを止めましょう。お針子さん、私と出会えてどう?」

「大変、光栄に思います。眩しくて、こうしているしかできません」


 この出会いを切っ掛けにして、王女のシャーロットの方から、仕事室へよく遊びに来る。

 二人の話は弾んだ。


「ねえ、私は十九歳なの。お針子さんとあまり変わらないようだけれども、おいくつ?」

「気が付きましたら、年老いた母に育てられておりました。年齢は幼少の頃に捨てられた為、分からないのです」


 王女は、興味深そうだ。

 頷きながら聞き穿る。


「まあ、では、フランネの国民でもないの?」

「母は城下町で働いていたと聞きます」


 それには少し王女も同情的な感じで話していた。

 また、二人の共通の話題、刺繍のことになる。


「ふーん。それで、今度の刺繍はどんなのかしら」

「愛らしさのあるピンクでございます」

「それは、楽しみ。できれば、明日にでも袖を通したい位でしてよ」


 アリスティアは、夜通し刺繡を施した。

 彼女の刺繍は、仕立てたドレスに施しても裏地に響かない優れたものだった。


「明日、シャーロット王女様がお召しになるわ。がんばらないと」


 ◇◇◇


 ――或る日のこと。

 全身真っ黒のうさぎが、城門を潜った。


「隣国の使者がお見えです」


 フレデリク王は、仔細を聞くと、謁見を許した。


「オースリー国から参った。富国強兵の為、我が王子とそちらの姫と婚儀を交わしたい」

「そうか、下から二番目の娘はがよく熟れておる。後は大臣に任せた。我は、葡萄酒が飲みたい」


 王が玉座から去ろうとしたときだ。


「丁度、飲み頃の葡萄酒をお持ちした所です」

「そうであるか。オースリー国は武器の生産が得意だと思っておった」


 王は、毒があろうと、高笑いをした。


「農業がなければ、人力が付きません」

「さようであるな」

「この話、断るとムーア渓谷が沈むやも知れませぬ。王様」


 王と隣国の使者は、当のシャーロットと王子の意向を無視して、話を進めた。

 その晩、王に呼ばれて、王女は驚愕する。


「第四王女よ、オースリー国へ嫁ぐことだ」

「お父上、それは惨うございます!」

「決まったことだ。何も言うではない」


 別れは、突然にやって来た。

 王に名も覚えて貰えない王女にとっても、郊外に一人いたアリスティアにとっても、かけがえのない友情を仄かに感じ始めていた所だったのに。


「アリスティア! アリスティアはどこかしら?」

「シャーロット王女様、仕事場で見掛けましたが」


 メイドが小さく声を掛ける。


「仕事場なら真っ先に行ったわ」


 城内を闇雲に探して歩いた。


「アリスティア?」


 仕事場の前でお針子と出会った。


「よかった、アリスティアなのね」

「はい、王女様どうなさいましたか?」


 王女は、自分の煌びやかな部屋よりも、このお針子の部屋で落ち着くことにした。


「私、隣国の王子と結婚しなくてはならないの。つまりは、フランネ国を出なければならないの」

「どちらへ行かれるのですか」

「オースリー国と、もう、国境付近のムーア渓谷で、和平の引き換えを取り決めたみたいなのよ」


 アリスティアは、暫く考えていた。


「その王子は、王女様のお顔をご存知でしょうか」

「さあ、肖像画も家に全て保管してあるから、誰も知らないわ」


 お針子は、立ち上がり、王女の手を取る。


「私が、身代わりになります」


 シャーロットは、泣き崩れる。


「ああ、出会ったばかりのお友達と別れなくてはならないとは……。こんなにも胸の締め付けられる思いをしなくてはならないのね」

「私もお別れしたくありません。きっと、帰って参ります。王女様は、王宮のお部屋で静かにお暮しください。それがアリスティアの願いです」


 二人で抱き合い、憚ることなく涙した。


 ――決行の日が来た。

 ムーア渓谷へは、最低限の近衛兵と、白いドレスを着た女性が乗っている馬車が列をなしていた。


「シャーロット・ド・フランネ王女様――! おなーりー」


 敵国とも言える隣国の王子が、渓谷に建てた小屋で、契約を待っていた。


「お前は、シャーロットではないな!」


 いきなり、顎を掴み、口づけをした。

 アリスティアは、毅然としていた。

 あの友情を交わしてくれたシャーロット王女様なら、こうするだろうと。


「滅相にもございません」


 細い手で、掴んでいる腕を払った。


「その気位の高さは噂通りだ。俺は、オースリーの第一王子、ハイムだ。一緒にいて、損はないさ」


 そのまま、契約は履行されて、シャーロットとして、アリスティアが連れて行かれた。


 ◇◇◇


 和平の後、直ぐに、隣国との間で諍いが起きた。

 オースリー国は、人質がいては攻めて来ないと高を括っていたからだ。

 国境付近の警戒が激しくなる。

 ムーアの谷は、行き来できない難所となった。

 それから、一年が経過した。


「また、第四王女との間に子ができぬ!」

「お怒りをお静めくださいまし。ハイム王子」


 王子は、アリスティアを靴のまま顔を四度蹴った。


「お前が! お前が悪い! 産まず女め!」

「落ち着きください」

「もう、怒った。お前のような女は要らぬわ――!」


 もう一蹴りあった。

 だが、アリスティアはその言葉を聞き逃さなかった。


「分かりました。お暇させていただきます」

「あーあー、出て行けよ! そのドアから出て行くがいい」


 王子が振り向くと、風のように、アリスティアは消えていた。


 ◇◇◇


「シャーロット王女様、再び、会えますよ。私、がんばりましたから」


 元々、畑仕事でも鍛えていたアリスティアは山道も駆けるようだった。

 あの小屋、検問所に着く。


「ドレスなどを着ていては、バレてしまいます」


 茶うさぎはドレスを脱ぎ捨てて、検問所横を野良作業をしている振りをしながら過ろうとした。


「おい、どこへ行く? フランネとは今喧嘩中だぜ」

「は、はい。山菜を採りに」

「俺達にも分けるんだぞ」

「はい。それはもう」

「通ってよし」


 小屋の見張りが酒を飲んで賑やかになったのを聞くと同時に、アリスティアは駆けて行った。


「シャーロット王女様! お取次ぎをお願いいたします」

「お前は、アリスティア」

「ステイツ執事殿!」

「ご内密にな」


 城の奥へ通された。

 王も知らないと言う。

 あの大好きなシャーロットが、やつれていた。


「どうなさっておりましたか? ご心配申し上げておりました」

「何も……。言わなくていいわ……」


 二人は、歯が当たって痛い程、駆け出して抱き合った。


「ご無事で、よかったです」

「よくぞ、戻ってこられた」


 二人共、嬉しい涙で濡らし合っていた。

 そのときの王女のお召し物は、あのときのピンクのドレスだった。

 偶々かも知れなかったが、王女が大切にしてくれている姿に、お針子は胸を打たれた。


「アリスティア。さあさ、そんな姿では寒いでしょう」


 差し出されたのは、銀糸のドレスだった。


【了】

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