スタンドアップ・ボーイズ! セカンドジャンプ

和泉茉樹

スタンドアップ・ボーイズ! セカンドジャンプ

     ◆


 秋口になろうかという時、不意な来客があった。

 俺は仮眠室でうとうとしていて、祖父は生活の場である裏手の家にいて作業場には不在だった。

 鳴り響くブザーで身を起こし、時計を確認するともう十八時だ。

 こんな時間に誰だ? 閉店として表を閉めておくんだった。

 仮眠室を出ると開け放した大扉の向こうには夕日が沈んでいくのが目に入る。

 稜線に差し掛かろうとする眩しい光を背景に、トレーラーが停まっていて、俺に気付いた客が勝手に作業場に入ってくる。

「よお、オリオン! 俺を覚えているかい」

 野太い声に、眠気が一瞬でふっとんだ。過去の記憶の一場面が蘇る。

「ソートン? ランニングマンのソートンじゃないか!」

 俺は足早に彼に近づき、はっきりと間近に顔を視認した。

 間違いない。古い知り合いだ。全てのサイズが大きい固太りした男は、その眉も鼻も唇も耳も全てが巨大だ。昔のままだ。

「元気そうだな、オリオン」

 野太い声に、笑ってしまう。記憶のままだ。

「そっちこそ、ソートン。何年ぶりかな。四年か、五年か?」

「いや、六年だ」

「そんなに経つのか」

 握手しながらそんなやり取りがある。

 ソートンは「仕事を任せたい」と本題に突入していく。時間に余裕がないのだろう。

 無意識に、ここ、ハッキン州で行なわれている二足歩行ロボット、スタンドアッパーの多種目競技会、ハッキンゲームのスケジュールを記憶の中で検索していた。

「短距離走に出るんだな? 明後日、いや、明日か?」

 俺の方からそう言葉を向けると、「話が早くて助かる」とソートンが人好きのする豪快な笑みを見せる。

「明日がレース当日なんだが、微調整を任せるはずの整備屋に逃げられた。ここでなんとかできるか? 他に知り合いもいない。もちろん、昔のようにお前もレースに出るなら無理には頼まないが」

「俺はもうハッキンゲームには出ていないよ。トレーラーを中へ入れてくれ。仕事は歓迎だ」

 ありがとう、と野太い声で、心からの感謝をソートンは示した。


      ◆


 高校三年になりたての時、ハッキンゲームは短距離走の季節になっていた。

 我らがチーム、アイアンバニーも参加することになっていた。夏の間の格闘トーナメントで戦った結果、そこそこの知名度の代わりに莫大な整備費が必要になり、結局、アイアンバニーの面々は財布が極端に軽くなるという結末を甘受するしかなかった。

 短距離走、スピードレースなどと呼ばれる種目は、四百メートルをスタンドアッパーで走るだけの競技で、これが簡単に見えて、そうもいかない。スタンドアッパーを自動操縦で走らせることもできるが、制御プログラムがまだ甘いため、マニュアル、手動操縦で走らせた方が速くなる。

 転びさえしなければ大きな破損をすることもない、というのが大方の常識だ。

 というわけで、我らがリーダー、ダルグスレーンは短距離走にエントリーしたのだった。

 レース前日、俺が自宅でもある祖父経営の整備工場シュミット社で、ダルグスレーンの(親父の)スタンドアッパー、パワーウイングⅧ型を整備しながら微調整をした。

 それから満を持して練習だ。

 整備工場の裏手にある広場で、俺と仲間のシャンツォ、マオが見ている前で、ダルグスレーンが乗り込んだパワーウイングⅧ型が立ち上がる。

「合図を出してくれ」

 マオが手に持っている端末から、ダルグスレーンの声が流れる。

 はいよ、とマオが端末を操作すると、レディ、と機械音声が告げる。

 セット。ぐっとパワーウイングⅧ型が腰を落とす。

 ゴー!

 跳ねるようにスタンドアッパーが駆け出す。風が渦巻き、地面が揺れる。

 事前に適当に用意した百メートル地点の目印で折り返し。一周四百メートルのトラックで練習したいが、そんな広大な敷地の持ち主はいない。

 振動と轟音が戻ってくる。

 スタート地点の目印で、また折り返す。

 そんな具合で二往復して、おおよそ四百メートルになった。

「タイムは?」

 ダルグスレーンの声はやや息が上がっている。パワーウイングⅧ型は熱を帯びて空気を揺らめかせている。金属がシンシンと澄んだ音を立てる。

 マオがタイムを告げ、ダルグスレーンは満足したようだ。

 駐機姿勢になり、ダルグスレーンが機体を降りようとした時だった。

「ちょっといいかな!」

 離れたところからの声に、俺が真っ先に振り向いた。マオは端末をいじっていたし、シャンツォはパワーウイングⅧ型のそばにいた。

 声の方にはトレーラーが停まっており、ずんぐりした男が手を振っている。

 それがソートンだった。

 彼は簡単に自己紹介すると、「練習のためにこの空き地を使わせてもらえるかな」と言った。俺としては特に気にすることはないので、どうぞ、と応じた。

 その時にはダルグスレーンは機体を降りており、俺のそばに来てソートンと挨拶をした。

 ソートンの仲間がトレーラーの荷台の覆いを外すと、小さなスタンドアッパーが現れる。

「スチムドールの新型かよ!」

 ダルグスレーンが素っ頓狂な声を上げる。

 小型のスタンドアッパー、スチムドールⅢ型は紛れもない第三世代モデルだった。特殊部隊で運用されていた軍用機がモデルと言われるものだ。

 あっという間にソートンの仲間が機体を整え、ソートンがその操縦席に入っていった。

 立ち上がると、スチムドールⅢ型はやっぱり小さい。パワーウイングⅧ型の肩辺りに頭がくる。

 俺たち四人が見ている前で、スチムドールⅢ型はパワーウイングⅧ型の横を抜け、スタート地点に着く。

 さっきの俺たちのようなやり取りの後、目の前でスチムドールⅢ型は走り始める。

 機敏だ。無駄が全くない。躍動とはこういうことを言うのだろう。

 二往復なんてあっという間だった。ダルグスレーンと俺が耳を澄ませている前で、ソートンの仲間が彼に無線で伝えたタイムは、ダルグスレーンの乗るパワーウイングⅧ型のそれより三秒は早かった。

 ソートンたちは丁寧に礼を言って去って行った。

 その日のうちに、翌日のレースにはダルグスレーンではなく、俺が操縦士としてエントリーすることになった。

 夜が明け、ハッキンゲーム当日。客で会場は賑わい、喧騒は祭りそのものだ。

 俺が整備スペースの一角で準備運動をしていると、先のレースを見物していたダルグスレーンが戻ってきた。彼にはシャンツォのような整備技能も、マオのようなプログラミング技術はない。偵察と買い出しくらいしか役目がなかった。

「昨日の奴はランニングマンっていうチーム名で、機体のパーソナルネームは「ファステス」だ」

「名前はどうでもいいよ。タイムは?」

「昨日より一秒速い。不愉快なことに、昨日は試しだったんだろう」

「だろうね。その一秒速いタイムだって、予選向きだ。本気になればもっと速い」

 機体の差があるからなぁ、と歯軋りするような調子でダルグスレーンが言う。

 もっとも、パワーウイングⅧ型もそれほど悪くないのだ。

 まずは一次予選。一組八機で競い、それが十五組で行われる。

 これはなんとか通過した。

 二次予選はやはり一組八機で、それが六組。これは各組の上位二機が先へ進める。準決勝で十二機の中でタイムの遅い六機が落とされ、決勝は六機でのレースだ。

 二次予選、俺はソートンと同じ組になった。一次予選のタイムをチェックすると、パワーウイングⅧ型のタイムではだいぶ厳しい。

 レースが始まる。

 スタート地点。

 精神を集中。

 レディ、セット、ゴー!

 ピタリとタイミングが合った。

 あとは一瞬だ。バランサーをフルオートではなく、セミオートにしている。転倒寸前の恐怖を伴う姿勢の乱れさえも加速に利用する。

 本レースは陸上トラックのようなものが作られているので、折り返す必要はない。

 ゴールが目の前。先を走る機体は三機。

 そのままゴールした。敗退だ。

 トップはソートンのスチムドールⅢ型だった。

 しかし、この年の短距離走の優勝はとソートンではなく、地元出身の大学生チームだった。

 ハッキンゲームではどんな競技の後でも後夜祭のようなものがあるが、そこで俺はソートンと顔を合わせることになった。

「なかなか面白かったよ、少年。そういえば名前を聞いていないな」

 片手にビールか何かの缶を持っている男は、夜の薄暗さの中でも頬が赤いのが見て取れる。

「オリオンだよ」

「オリオンか。若いよな」

「十七。今年、十八」

 羨ましいな、とソートンは低い声で言った。

 俺は反射的に言っていた。

「来年も来るよね。次はもっといい勝負ができると思う」

 男が破顔する。

「子どもらしいことを言うじゃないか。大人には仕事とか、家庭とか、色々なしがらみがあるのさ。覚えておくといい」

「それはつまり、来年は来ないってこと?」

「未定だよ。未来はいつだって未定だ。そうだろ?」

 かもね、と俺はコーラの缶を傾けておいた。

 それからソートンと会うことはなかった。次の年も、その次の年も、ソートンや彼の仲間が顔を見せることはなかった。

 ハッキンゲームではよくあることだ。

 そして世界のどこでもそうであるように、出会いと別れは際限なく、どこまでも、無限に繰り返される。


     ◆


「懐かしいよ」

 作業場に寝かされ、ジャッキアップされたスタンドアッパー。

 スチムドールⅢ型。もう新しいとは言えない。同機種の最新モデルはⅥ型だったはずだ。

 外装パネルに傷一つなく、綺麗に塗装された表面は滑らか。

 横にソートンが立った。

「俺にはこの街も懐かしいな。何も変わっていない。あの頃の空気のままだ」

「それは、どうかな」

「お前も変わっていないよ、オリオン」

 あんたもな、と答えようとして、しかし俺はそれが簡単には言えなかった。

 変化しないものなんて、きっとこの世にないだろう。

 ソートンはどこか、頑として何かを変えようとしない強固な意志を滲ませている。

 変わることも、変わらないことも、個人の自由だ。

 ただ、今のソートンの態度を少しだけ寂しいと感じる俺は、誰のことを寂しがっているのだろうか。

 ソートンをか。

 それとも俺自身をか。

「仕事をするよ」

 俺の言葉に「頼む」とだけ短い返事があった。



(了)

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