雨降りと真夜中の本屋

黒本聖南

 ──雨が降ったら、会いましょう。


◆◆◆


 一時間もしない内に、日付が変わる。

 子供が起きていることは、適さない。

 の部屋に赴き扉を開けると、丸まった小さな背中が目に入る。


「ベッドにお入り、お嬢様」

「それならあなたは、ノックをして」


 声を掛けてやれば、勢い良く彼女は振り返り、笑みの形に歪めた口でそう答えた。

「失礼、女中と話し込んで、おやすみの時間に遅れてしまったものだから、慌てていたの。仕方ないことだわ」

「それ、毎度よ?」

「あらそう?」

「もう」

 くふふ、と彼女は笑うと、腰掛けていた椅子から立ち上がり、私がプレゼントした水色のネグリジェの裾と、長く艶やかなプラチナブロンドの髪を揺らしながら、私の傍へと来る。

「──オルディ」

 嬉しそうに私の愛称を口にし、右手で私の手を掴みながら、左手で私の赤い髪に触れる。両手を掴もうとして間違えた、わけではなく、彼女は私の髪が好きなようで、隙あらばよく指を絡ませてくるのだ。

 本当は肩くらいの長さまで切りたいのだけれど、一度そうしたら、小柄な彼女から届かないじゃないのと大声で泣かれ、以来胸元が隠れるくらいの長さに留めている。

 機嫌よく私の髪を弄びながら、ほんのり潤んだ瞳で見上げ、彼女は私にこう訊ねた。


「今夜はどんなお話を聞かせてくれるのかしら?」


 私はオールドローズ・スタフォード。

 故あって、とある王国の北部の領主・ブレイクスミス公爵家にて、子守りとして雇われている。

 主に、夜の。

「……悲劇と喜劇なら、どちらがお好み?」

「もちろん喜劇よ、夢見が悪くなる話はやめて」

 彼女ことクロエ・ブレイクスミスを抱き上げて、ベッドに運ぶ。

 そっと横たえて、掛け布団をかけてあげようとすれば、「オルディも寝るのよ」と言って拒んでくる。

「気付いてる? ──雨が降っているのよ」

「そのようね。部屋に向かう途中、窓から見えたわ」

「お昼頃からずっと降ってるの。全然やみそうにない。冬が近いせいか、寒いの。だから、一緒に寝て」

 私は寝ない、というか、起きてからそんなに時間が経ってないからその必要がないと言っているのに、たまにこうして、添い寝を所望してくる。

 ベッドの横に置いている丸椅子に腰掛けて、寝物語を聞かせたいのに。そしたら……。

「ねぇ、オルディ」

「……もう」

 結局私は、彼女の横に寝転んだ。

 満足そうに頷く彼女に布団をかけて、とんと軽く叩くと、私はさっそく語り始める。

「喜劇なら、これかしら。──ある所に、仲の良い姉妹がおりまして、二人はその日、プリンを食べることを何よりも楽しみにしていました。そのプリンは、普通のプリンとは違う、極上のプリンだったのです」

 女中から仕入れたばかりの話。

 彼女はよく、本を読む。

 私の読まない話を。

 ……そろそろ、ネタを仕入れに行きたいわ。

 口を動かしながら、そっと、カーテンの引かれた窓に目を向ける。

「オルディ」

「だったの、え?」

「極上のプリンを三回も繰り返してる。だからなんなの?」

「……失礼、気を付けるわ」

「……オルディ」

 私の方へ身を寄せて、私の身体に腕を回して。

「どこにも行かないで。朝まで私といて」

「……お嬢様」


 それは約束できないわ。

 だって今日は──雨が降っているのだから。

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