転移して、出会いと別れ

佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売

第一話


 春は出会いと別れの季節というけれど、ソラノの身に起こった出来事を考えると全くもってその言葉通りだろう。

 

ーーこちらの世界に来て、一年経った。

 

 グランドゥール王国の王都は一年中花と緑に溢れている。

 けれども、一番美しい季節がいつかと聞かれれば「春」だと断言できた。

 二度目の春を迎えた今、色とりどりの花が咲き乱れ濃ゆい緑に覆われつつあるこの都は、ソラノが見て来たどの場所よりも美しい。

 

 コンクリートで覆われた東京とは異なる光景に、ソラノの目は奪われる。

 

(あっちにも公園とかあって、都会でも緑はあったけど。そういうのとは違うんだよねぇ)


 店へと勤務に向かう途中に郊外の街を歩きつつソラノは思う。

 この王都は、街と自然が一体化しているのだ。煉瓦や石造りの建物の外壁に蔦が絡まり、窓という窓には花壇が設えられていて今が盛りの季節の花が溢れそうなくらいに花びらをつけている。


(一年前は、こんな世界に来るなんて思ってもいなかったけど……)


 歩きながら考えるのは、この世界に来たばかりの頃の事だ。

 卒業旅行でフランスの空港にいたはずが、気がついたら全く違う世界にいたのだから驚きである。思い返せば当時は不安とか、心配とか、そうしたネガティブな感情とソラノは無縁だった。来てしまったのだから仕方ない。出来る事をしよう。

 そう考えたソラノは、ビーフシチューをご馳走してくれた店の立て直しを手伝う事にした。それが今や、人気シェフを抱えるビストロ料理店になったのだから驚きである。

 店の営業が落ち着きつつある今、ソラノは地球にいる人に想いを馳せた。とりわけ心に残るのは、ソラノの大好きな兄の事だ。両親が共働きでほとんど家にいなかったので、ソラノは兄に育てられたようなものだった。自然、ソラノは幼い頃からずっと兄の後ろを追いかけていた。


(お兄ちゃん、元気かな)


 年の離れた兄はとうに結婚して家庭を持っているのだが、ソラノが急に行方不明になったと聞けば心配するだろう。捜索届けとか出されてるのだろうか。いなくなった場所が海外なので、何か事件に巻き込まれたのだとか、きっと思われている。


(私は元気にやってるって、伝えられると良いんだけどな……)


 地球とこの世界を行き来する方法は無いので、伝達手段が何も無いのがもどかしいところだ。いつしか足元を見ながら思考にふけっていたソラノの肩にポンと手が置かれた。


「ソラノちゃん、おはよ」


「あ、デルイさん。おはようございます」


 声をかけて来たのは最近恋人になったばかりのデルイだった。ハーフアップにした鮮やかなピンクの髪から覗く耳には、ソラノと揃いのピアスが嵌められている。

 デルイはソラノと並ぶと、ごく自然な動作でソラノの手を取って歩き出した。


「これから仕事?」


「はい。デルイさんもですか?」


「うん、そう。この時間からだと夜勤になるから、今日は店に寄れないんだよ……残念」


 そう言ってデルイは端正な顔立ちに悲壮な表情を浮かべため息をついた。彼は夜勤が入っている日以外はほぼ毎日店にやって来ては食事を楽しんでいる。聞いたところ、自炊は苦手らしい。最近ではソラノが家に行って料理を作ったりもしていた。まだ作れる料理は少ないけど、肉じゃがならなんとか人に出せるレベルに至っている。


「何か考え事?」


「ちょっと……故郷のことを思い出して。お兄ちゃん元気かなあって」


「ソラノちゃんはお兄さんと仲が良かったんだよね」


「それはもう。お兄ちゃんさえいればいいと思ってましたから」


 ソラノは力強く頷いた。彼女は重度のブラコンである。そんなソラノの様子を見てデルイは苦笑を浮かべた。


「俺も、ソラノちゃんのお兄さんに会ってみたかったな」


「私もデルイさん紹介したかったです」


 言ってソラノはデルイを見上げる。

 人を好きになったのは初めてだったから、聞けば兄は喜んでくれるだろう。


 会話をしながら飛行船に乗り込んで、勤務先のエア・グランドゥールへと向かう。上空一万メートルの高みに浮かぶ空港、その場所にソラノの勤める店があり、デルイは空港全体の治安を取り締まる保安部の人間だ。


(空の上に空港があるなんて、本当ファンタジーだよね)


 窓の外から小さくなっていく王都を眺めながらソラノはそんなことを思う。ふと、デルイの顔がソラノの顔を覗き込んで来た。


「今日のソラノちゃん、いつもと違うね」


「え……そうでしょうか」


「あっちに帰りたい?」


 単刀直入な質問に、ソラノの心臓はどきりと跳ね上がった。職務上観察眼が鋭いデルイに隠し事は出来そうに無い。しかし、その質問に「はい」と言えるかと聞かれれば、そんな事もない。

 なのでソラノは、少し迷ってからこう答えた。


「……行ったり来たりできるといいなあって、ちょっと思いますよね」


「ああ、それはそうだね」


「せめて私の無事を伝えられればなあって」


「うん」


「今の生活は気に入ってるんです。楽しいし」


「そっか」


 デルイはソラノの気持ちをただただ聞いてくれた。言葉にしてみると、自分の気持ちが整理できる。


「俺は、ソラノちゃんが来てくれて良かったと思ってるよ」


 言いながらデルイはソラノの頭を優しく撫でてくれた。細くて骨ばった彼の手でそうされると、ソラノはなんだか気持ちが落ち着く。多分そういうところに惹かれたんだと思っている。


「ソラノちゃんは俺を変えてくれたからね」


「そうですか?」


「そうだよ。ルドに聞いてみるといい」


 言われてソラノは、デルイの相方であるルドルフを思い浮かべる。確かにかつてルドルフは言っていたーー「あの破天荒をよろしく頼みます」と。ソラノに自覚はあまり無いが、どうやらデルイの無茶苦茶を制御しているようだった。

 

 やがて船内に到着のアナウンスが流れ、飛行船は静かに着岸した。

 出た所の第一ターミナルの大きな窓からは、抜けるように青い空が広がっていた。この場所に緑も花も無いけれど、纏う空気は着実に暖かく春の気配を感じさせる。


「春ですね」


「春だね」


 並んで歩き、ターミナル中程で立ち止まる。


「じゃ、俺はこっちだから」


「はい、お仕事頑張って下さい」


「うん、ソラノちゃんも」


 ソラノは職員用通行口に向かうデルイに言い、デルイは手を振って笑顔で去っていく。

 ソラノは第一ターミナルの隅にある自身が勤める店に向かって歩き出した。

 出来たばかりのその店は、ガラス張りの前面から柔らかい光が溢れている。

 立ち働いているのは、この一年様々な苦楽を共に乗り越えて来たカウマン一家の人たち。

 ソラノの気持ちは自然、高揚する。

 店の裏扉を開いて中へ入った。


「おはようございます」


「おぉ、おはよ」


「待ってたぜ、ソラノ」


「や、ソラノちゃん。今日もよろしくねえ」


 迎え入れてくれた人たちにソラノの口角は思わず上がった。

 春は出会いと別れの季節というけれど、この場所でソラノが出会い、築いたものは全て掛け替えのない大切なものばかりだ。

 だからソラノは心の中でこう思う。


(お兄ちゃん、私元気にやってるよ。だからお兄ちゃんも心配しないでね)


 この春にはどんな出会いがあるだろうな、とソラノは先ほどのセンチメンタルな気持ちから切り替えて本日の仕事に取り掛かった。


 

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