さらばツァラトゥストラ
コラム
第1話
君が出会う最悪の敵は、いつも君自身であるだろう。洞窟においても、森においても、君自身が君を待ち伏せているのだ。
(フリードリヒ·ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』)
私はこれまで魅力的な人に出会うたびに、相手の礼儀正しさ、謙虚さ、優しさなど、素敵だと思う人の魅力を取り入れようとしてきた。
そして相手と信頼関係を築き、友として付き合う。
だが、この繋がりは一生ものだと思っていた友人に去られて傷ついたことも多く、特に急に相手から離れられると自分の何がいけなかったのだろうと悩んで、もう友を作るのはやめようなんて思ってしまう。
反対にもう二度と顔を合わせたくない人も少なくない。
最初こそ惹かれ合い、長く続いた友情でも、別れるときはあっという間。
欠点のない友人を見つけようとしても、決して見つからないこと以上に、私自身に付き合うメリットよりもデメリットが目立ってくることもある(相手から見て)。
そういう意味で考えると、私には友人などいないのかもしれない。
だって気軽に食事に誘えるような人間など誰一人いないのだから。
ライフステージの変化によって友人が変わっていくのが一般的で当たり前だといわれているが、もっとそれ以上の問題が私にはあるのではないのか。
ここ数年、知り合いや職場のパーティーに誘われて参加しても、いまいち楽しめなくなってしまった。
もちろん相手に気を遣わせないために楽しそうに振舞うが、なんだか年々大勢の人と酒を飲んで盛り上がることに虚しさを感じる。
そうはいっても、家で独りでいたほうが楽しいのかというと、そういうわけでもない。
誰かと会っていても虚しく、独りでいても寂しい。
私はもう結構いい歳だ。
給料も安く、けして安定した仕事ではないが、これでも自分の稼ぎで暮らしている。
毎日家から会社の往復という暮らしで、先に述べた理由から、休日にどこかへ出かける気力などない。
こんな私に、これからどんな出会いと別れがあるのか。
きっと出会いがあっても、やはりうまくいかない気がしてしょうがない。
そもそも私自身が出会いを望んでいないのか、それすらももうよくわからない。
本当は、うまくいかない理由はわかっている。
それは私が人生に失敗しているからだ。
若いときの私にはやりたいこと――夢があった。
情熱に溢れ、才能がないことなど気にせずに、ただ好きというだけで夢を追いかけた。
だが今は夢に破れ、何も残ってはない。
人生に無駄なことなどないという人がいるが、客観的にみて私のこれまでの人生は無駄だった。
今はただ生きる自信がほしいだけ。
いや違う。
昔から、昔からだ。
私が生きる自信がほしかったのは。
「あの、すみません」
そんなことを考えながら、仕事帰りにトボトボと歩いていた私に、ある人が声をかけてきた。
知り合いだろうか。
正直見覚えはない。
「スマホ落としましたよ」
「あ、ありがとうございます……」
「いえ、気をつけてくださいね。それじゃ」
その人はそういうと、私の前から笑顔で去っていった。
親切な人もいるものだと思いながら、私は今日も生きる。
絶望を胸に、ただ生きる自信を求めて。
了
さらばツァラトゥストラ コラム @oto_no_oto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます