Heath
燐裕嗣
第1話 夏休みの日記 前編
一、夏休みと黒い謎
白い雲が浮かび、遠くからは雷鳴が聞こえる。
「(夕立が来る……)」
部屋の窓から見た空には、人影のようなものが浮かんで見えた。
机に広げたノートは、真っ白なままよだれの跡がついていた。
「……寝てた?」
七月最後の日。宿題をしようとノートを広げたまま、私は寝てしまったらしい。
自己紹介は早いめでもいいよね。
私、岩瀬鈴。
木や風と話せるのが特技。……とは言っても、周りには同じような特技を持った人がいっぱい居るんだけどね。
空に黒い影を見た次の日、しっかり寝坊した私は、山の中にある小さな広場に向かった。
「鈴! 久しぶり!」
顔を見るなり、喜ぶ犬の尻尾のように手を振ってくれるのは、小さい頃からよく遊んでいる友達。岡本美苗。
夏休みに入ってからは、しょっちゅうここに来てるみたい。
私は広場の中央近くに生えている木に話しかけた。
「木槿(むくげ)、何かあった?」
『うん。数日前に風が生まれたよ。ザワザワ』
「何号になるんだっけ?」
『これで三百六十二号。――それから、鈴、君の周りに変なものがうろついている。気をつけて。ザワザワ』
「変なもの……?」
私は昨日見た黒い影を思い出した。
気をつけてって言われてもね……。
考え事をしていると、突然背中が重くなった。負ぶさる形で美苗が乗っかかっていた。
「美苗……どいて」
「うん」
背中が軽くなる。
「木槿、わたしは?」
『……特に無し。ザワザワ』
その後は美苗と二人で川へ行ったりして遊んだ。
家に帰る頃には、木槿の言葉は記憶から薄れかけていた。
* * *
八月六日 金曜日 天気、晴れ
長い休みの中に、思い出したようにある登校日――は、もう終わって、ようやく家の門までたどり着いたんだけど……。
「!?」
――玄関の扉の前、そこには黒いものがあった。
木槿の言葉を思い出す。
『鈴、君の周りに変なものがうろついている。気をつけて。ザワザワ』
少し、恐かった。
確かめるために少しずつ近付いて触れようとしたら――動いた。
思わず手を引っ込めてしまった。
「(お、起こしちゃった…?)」
ゆっくりと体を起こす黒いもの……それは男の子だった。
歳は九歳くらい。髪も、目も、服や靴まで真っ黒の、まさに黒づくめの男の子。
こっちを睨みながらの開口一番、
「お前、だれだ」
《生意気な奴》それが第一印象。
「まず自分から名乗りなさいよ」
私がそう言うと、男の子は少し考えて
「…そっか。――人にはクロと呼ばせている」
と、(腕組みをしながら偉そうに)答えた。
「クロ……(見たまんまだ…)」
続けて、付け足すようにこんな事を言った。
「お前、この家の住人か。しばらく世話になるぞ」
「…………はぃ!??」
「もう決まったことだ」
いやいやいや。人の家いきなり来て「世話になるぞ」って……「もう決まったこと」って、何勝手言ってんのよ!
第一、
「クロって、どう考えても人に付ける名前じゃないし」
「人じゃないからな。……どう考えてもとか言うけど、お前らだってあだな位あるだろ」
ああ言えばこう言う。
言い合っていても終わりが見えてこないので、とりあえず家に入ることにした。
それから一時間もしないうちにお母さんが帰って来て、クロを見るなり、別の部屋へ連れていってしまった。
「………!???」
下の階から騒ぐ音が聞こえる。
……行った方がいいのかな…?
騒ぎはすぐに収まり、階段を上ってくる足音。
クロが疲れた顔をして戻って来た。さっきまでと着ている服が違う。
「お前の母親に着せ替えられた…」
そんな睨まれても……。
「真夏なのに黒いコート着てるなんて、見てるこっちが堪えられないわ」
そう言って扉から顔を出したのはお母さん。私を見ると、付け足すように
「そうそう、しばらく家に置いとくことにしたから。その子。喧嘩しないようにね」
言うだけ言って、部屋から出ていった。
「………」
言葉が出ないって、この事なんだな…。
まったく! 重要な事は先に言ってよ!!
クロを見る。
「さっきははぐらかされたけど、クロって何? 人じゃないってどういう事――っ!?」
クロは何も言わず、部屋の窓から出て行った。
まだ話の途中――っじゃなくて、何やってんの!!
窓に駆け寄ると、クロが戻って来た。左腕にはお母さんに回収されたらしい元の黒服、手にはカラスを捕まえて。
……それより――いや、それもなんだけど、今…下から飛んでこなかった? ここ、一応二階なんだけど……。
常識が壊されていく……。
カラスの体が羽を残して縮み、最終的にビー玉くらいの大きさになってしまった。
「……人間はおれ達をまとめて《悪魔》って呼んでるらしい」
羽の生えた玉をポケットにしまう。
「今のおれの対象者は《イワセ・スズ》――」
クロが顔をあげる。
目が合って、逸らせない。
「――お前だよな?」
日常が壊されていく……。
* * *
ニ、夏祭り
八月八日(日) 晴れ
日影に入っただけで、暑さはずいぶん楽になる。
「ただいまぁ」
階段を上って左の扉を開けると、そこが私の部屋。
コンビニの袋を引っ提げたまま入ると、
「おそい!!」
生意気な居候が出迎えて(?)くれる。
そこまではいい。
堪えられないのは暑さだ。
南向きの窓の部屋で、強い日差しが照りつける夏の真っ昼間に、エアコンも扇風機も付けずに窓を締め切って――そんなサウナのような部屋の中で、汗一つかかずに座っていた。
ありえない!
一旦コンビニの袋を廊下に避難させ――廊下の方がまだ安心して置ける温度に思えた――部屋に入ると、扉も窓も全開にした。
炎天下で熱された風が涼しく感じる…。
後ろでビニール袋の動く音がした。
「これ、何だ?」
クロがアイスを珍しそうに見ていた。
「さっき買ってきたの。…食べる?」
クロは私が差し出したアイスに勢いよく噛り付いた(まだ私の手が持ってる)。だけど……
「……なんだこれ」
「それ、ビニール取ってから食べるんだけど…」
よく分からないという顔をしているので、今度は個包装のビニールを取ってから渡した。
「おお! …うまいな」
目をキラキラさせて喜んでいる。
「(かわいいなぁ…)
クロのいた世界にはこういうの、無かったの?」
「なかった」
しばらく沈黙が続いた後、私は気になっていたことを聞いてみた。
「私が対象者…みたいな事言ってたけど、何の対象なの?」
ぴしっと音がするくらい動きを凍らせたクロ。
動揺してる?
視線だけで私を見ると、ぽそりと答えてくれた。
「……仕事」
へぇ~……………て、えぇっ!?
「こんなに小さい頃から仕事してるの!?」
私の反応に機嫌を損ねたらしく、不満げな声で反論する。
「小さいだと? おれはこう見えても九十年は生きてるんだ。お前ら人間と一緒にするな」
「(げっ九十!?)」
「――ま、それでもまだまだ子供だけどな」
九十年生きている小さい男の子(自称・悪魔)。
部屋はクーラーが効き過ぎたように冷たくなっていた。
夕方。
町に人が集まって来ているのを、クロは不思議そうに見ていた。
「何かあるのか?」
「お祭り。…行くでしょ?」
その言葉を聞いたクロの顔がぱあっと明るくなった。
うん。行きたいんだね。
「もう少ししたら出よっか」
日が低くなり、町に明かりが灯り始めた。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
私が言うと、クロは喜んで立ち上がった。
二人並んで祭りの会場まで歩く。
祭囃子が聞こえてきた。
「始まった」
会場に着いてまずした事はミナエ探し。
ぐるっと一周して、どんな屋台が出ているのか、チェックも忘れず毎年していること。
……見当たらないな。
「鈴、ミナエは誘わなかったのか?」
「言ってあるよ」
毎年誘ってるし、祭と聞けば、呼ばれなくても来るのに。
探して、待って、たまに踊って……。
残り三曲になった時、やっと思いついた。
………! まだ探していなくて思い当たる場所が一カ所ある。
クロを連れて山を少しのぼる。
「どこに行くんだ?」
「ここ登ると、祭りの最後、花火がよく見える場所があるの」
きっとそこにいる。
着いた。
祭りの灯がすぐ近くに見える。
逆光で浮かび上がった影は、周りに色んな物を広げて座っていた。
「……いた」
「うん? あ、鈴ちゃんだぁ。……と、このこは誰? 私、岡本美苗。十二歳」
「《クロ》と人には呼ばせている。歳はこう見えても九…ぅぐっ…」
「九歳なの。じゃ、自己紹介終わり」
――危なかった…。
私がクロの口を塞がなかったら、あのまま「九十歳」と言っていただろう。
人間じゃ、こんな九十歳ありえないからっ!
ミナエに近付くと、周りに散らかっていた物の姿がはっきりと見えた。
どうも私達を待っている間に屋台料理を全制覇していたらしい。
「驚いた?」
「まぁ…それなりに」
長い付き合いのせいか、ある程度は予測できる範囲だったけど。
「とりあえず、片付けよう」
私の一声で、ミナエの作り出した空容器の山を片付け始めて、全て片付け終わった頃に、夏祭り最後のプログラム、花火が上がり始めた。
「(祭りが終わってく…)」
「また来年もあるだろ」
……ん? 今私、口に出して言ったっけ?
クロも不思議な顔をしている。
無意識の能力…。
そして、気付けなかった違和感。
気付けないままに日は過ぎて――。
* * *
三、名前
八月十六日(月) 雨
祭りが終わった。
次の日から雨が降り出して一週間。今もなお降り続いている。
――なんか空白。
何が足りないんだろ。
………。
………。
………。
………あ。思い出した。
うちの居候・クロも、この一週間ほど行方不明になっていた。
……帰ったのかな?
そんな事を考えながら、窓の外を眺めていた。
降り続いている雨は、道に小さな川を作り出していた。
……風邪、引いてないと良いけど…。
視界の隅に、動くものがあった。暗くて黒くてよく分からないけど、確かにこっちに近付いて来ていた。
時刻は夜の十一時四十五分。大半の人は眠っている時間だ。
黒いものが外灯の下を通った。
「クロ!」
近付いてくる黒いものは、雨に濡れたクロだった。
私はタオルを手にして玄関に出た。
温い雨の中、覚束ない足取りで歩いて来たクロは――家の前まで来て力尽きた。
駆け寄ると、体は冷たいものの、呼吸はしっかりしていた。
バスタオルで包み、家の中に運び込む。
「…(クロが私より小さくて良かった)」
運び込んだところまでは良かったけど、そこから先はどうしたら良いのか分からない。
少し迷って、お母さんを起こしに行こうとした時、クロが身じろいだ。
うっすら目を開けて私を見る。
「……??」
「大丈夫? 怪我……どこか痛い所とか無い?」
私の問いかけに、たっぷり時間を置いてから――
「…鈴か。何でこんな所に…?」
――…答えてくれなかった。
「状況理解が出来ていないんなら、私に聞いても何も分からないよ。私だって分かってないんだから」
「……」
クロは口を開けたまま動かない。
きっと頭の中で必死に言葉を探してるんだろうけど――。
「起きれる? 自分で動けたらお風呂入ってきて」
クロは起き上がると、素直に風呂へ向かった。
* * *
風呂から出て来たクロは、いつも通りのクロだった。
兄の服を借りて、まだ濡れている髪にタオルを被せたまま、私の隣に座る。
「おかえり」
「…ただいま」
静かだった。
いろいろと聞きたいことはある。
そんなの後回しにしてさっさと眠ってしまいたい気持ちもある。
心の中がもやもやしてる。
「一週間も、何してたのよ」
ぼやいた。
クロはちらっとこっちを見ただけで、黙ったまま視線を戻した。
「……仕事」
ぽそりと呟きが聞こえた。
静かに話が続けられる。
「おれ達の仕事のひとつは《人を幸せにすること》。もうひとつは《ヒースを取り戻すこと》」
???
さっぱり分からない。
クロは出会ったその日に、自分で「悪魔だ」と言っていた。
《悪魔》は人を不幸にするもの。
人を幸せにするのは《天使》でしょう?
「…ちょっと違うんだ」
「何が?」
クロは首の後ろを掻きながら、言いづらそうに言った。
「………そういうのを《偏見》っていうんだ。おれ達も人間の願いを叶えようとする」
なんかしっくりこない。
「じゃあ、《ヒース》って何?」
「……分からない」
よく分からないままで「仕事」になるのだろうか…?
クロが思い出したように言う。
「そう言えば、その仕事が発表された時、クラスの何人かがおれの方見たな。――それからなぜかそいつらに狙われてさ……ふわぁ~」
欠伸をして、次第にまどろんでいくクロ。
眠る前に後ひとつだけ。
「クロの本当の名前、何ていうの?」
クロが片目を開いてこっちを見た。
「めんどくさい」とでも思ったのか、
「シャルトリューズ・G・タンブラー。……けど、まだこの名を呼ぶな」
と、名前の部分だけすごい早口で答えてさっさと眠ってしまった。
結局よく分かんなかったけど、
《ヒース》
悪魔達が狙ってて、クロとどこか関係してて、まだまだ謎の中に隠れているもの。
ようやく名前を知ることが出来たのに、「呼ぶな」と言われたので、私は今まで通り「クロ」と呼ぶことにした。
「おやすみ、クロ」
虫の声が聞こえる。
すでに雨は止んでいた。
空に浮かぶ二つの影は、勝利を確信したかのように言った。
「見つけたよ……ヒース」
その口元からは笑みがこぼれ、影は夜明けと共に消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます