片恋

兎緑夕季

片恋

 高原拓也は伸びをした。

今日も一日が終わろうとしていた。

いつも朝早くに来て、仕事をして帰る。

それがルーティンだ。

デスクの上の書類に埋もれたカレンダーが視界に入る。

そこには今日の日付に「結婚記念日」と書かれていた。

そういえば去年は忘れてしまい、ひどく怒られた。

拓也は重むろに腕時計を見る。


「19時か…」

何か買うにはビミョーな時間だ。

居残り組の同僚たちに挨拶をして、そうそうに会社を後にした。


拓也はあてもなくさまよっていた。

落ちぶれた物だと思ってしまった。

既に40代後半に差し掛かっている。

もっと別の道があったのではないかとすら思ってしまう。ビルの間に収まる巨大モニターに美しい女がほほ笑んでいた。


意識が20年以上前に遡っていく。


「はじめまして…」

大学のサークルで彼女を見た時、可愛い子だと思った。

俺の描いた絵を素敵だと褒めてくれた彼女。

その後、なんとなく付き合い始めた。


一番、楽しい頃だ。


だが…あの日は晴れていた。

レンガ調のおしゃれな歩道を二人で歩いていたのは覚えている。

「ここでいいわ」

今よりもあどけなくて可愛らしい彼女はそう言った。

「分かった…」

居心地が悪くて言葉が紡げない。

「じゃあ、行くわ」

逆に彼女はすでに吹っ切っているようだった。


こんなにもあっさりと終わるのか?

二年も付き合ったのに?

こんなのは嫌だ!


何か言わなければ…。

「待て!」

思わず彼女の腕を掴んでしまった。

「何?」

「その…がんばれよ。応援してるから」

結局、ロクな言葉も出やしない。

思わず肩が落ちた。

「うん。そっちもね」

記憶の中の彼女は屈託なく笑った。

昔はデザイナーになりたかった。

夢に溢れていた。

だが、今は冴えない中間管理職だ。

好きな仕事でもない。


有名になりたいと上京した彼女とは大違い。

今や夢の中の人間だ。


「俺には手が届かない」


何とも言えないもどかしさが体を巡っていく。

彼女とはもう道が違うのだ。

夢の中の女に背を向けて、拓也はスマホを手に取った。

耳に見知った妻の声が響く。

『珍しいわね。電話なんて』

「たまにはいいだろう。結婚して何年目だっけ?」

忘れたの?と笑う妻に思わず頬が緩む。

すぐそばには若いカップルがいちゃついていた。

拓也は足取り軽く繁華街を通り抜けていった。


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片恋 兎緑夕季 @tomiyuki

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