ネバーランド

ネバーランド

兄のテンマがハミングを始めた。

弟のトムは助手席で、窓の外を見ている。

前後に車はなく、ふたりの乗るレンタカーだけが走っている。

カーオーディオから流れるのは、１０年ほど前の人気アイドルユニットの曲だ。

「来年就職でしょ？　中学生向けの恋愛ソングなんて、子供っぽいよね」

兄が、すでに解散したユニットの曲ばかり聞くのは困る。

そろそろ止めさせないと、テンマの彼女も迷惑だろう。

「テンマはこの１０年、同じ曲ばっか聴いてる。そろそろさ、別のジャンルにも手を出したら？　なんたら坂とか、動画配信系とか」

「今どきのアイドルはよく分からん。俺って、テレビとか見ない派だから」

「新聞も読まない派だよね。小学５年生の弟の方が社会問題に詳しいのって、おかしくない？」

「おかしくない。俺は見たくないものは、見ない」

テンマはうそぶいた。

今日のドライブは、珍しくトムが兄におねだりしたものだ。

「目的地はどこって言ったっけ」

「テンマ、忘れっぽいのもいい加減にしてよ。『ネバーランド』だって」

「だってさ、カーナビに登録されてないじゃん」

「次の角を右、１キロ先が目的地です」

トムは電子音声の真似をした。

目的地は牧歌的な趣のある集落だった。

ただ道路標識も住所表示もないので、ここが正しい目的地か分からない。

テンマは車を停めた。

すると道路脇からトムと同じくらいの歳の子が４０人ほど駆けて来て、周囲を取り囲んだ。

「なんだ、この土地の子か」

トムは首を左右にふった。

「テンマ、さようなら」

兄は突然のことに、目を丸くして弟の横顔を見た。

トムは微笑んでいる。

「意味わかんねえ。トム、なんでだよ」

「都合のいいことだけ忘れないでよ。テンマ、今、何歳？」

「２２歳、だけど」

「僕は今、何歳だっけ」

「俺とふたつ違いだから……、２０歳か？」

「僕は永遠に１０歳だ。出会った時と同じ、小学５年生のままだよ」

トムは悲しげに眉根を寄せた。

「１０年前、本物のトムは事故で死んだんだ」

兄は現実を受け止められなかった。

「テンマが弟の死を受け入れられるようになるまで、『忘れロボット』の僕がトムをすることになった」

現実との差は年ごとに開いて、とっくに限界は過ぎていた。

「僕はテンマの元を去る。本当は何年も前にそうするべきだった」

テンマは何も言わず、ただ涙を流している。

「さようなら、１０年前のテンマ」

トムはドアを開け、仲間達と去って行った。

日が暮れてから、車は来た道を戻り始めた。