第五章 彼岸淵の砂海 探索編 2
市外遠征探索──それは異界都市局の
出発の朝、目を覚ますと目の前にハチの胡乱な瞳が俺を見ていた。
「うわっ!」
慌てて起き上がろうとすると思い切りハチの額に頭突きする形になってしまい、俺たちは揃って悶えた。
「ってぇ……」
「えっ? えっ、えっえええ、何っ!? 何!?」
痛みより驚きが先に出てくる。
「いや、よく眠っているなぁと思って……とんでもない任務の前にさぁ」
ハチが額にできたコブをさする。すぐに腫れが引いたが、それでも痛そうに顔をしかめていた。
「だって遠征の前だろ。ぐっすり眠って何が悪い」
「それはそうだが……ふてぶてしいな」
俺の答えにハチは気を抜くように笑った。しかしすぐに表情をこわばらせる。
「さ、準備しろ。楽しい楽しい遠征だぜ」
言葉とは裏腹にやる気のない声音だった。
いつもの制服の上からフード付きのケープを着て装備品を詰めたリュックを背負う。いつもの刀の他、拳銃と弾倉、短剣を装備。同じ装備をしたハチとともに冥路荘を出る。そのまま町を抜け、中心地の本部へ向かった。
「ここから市外へ行くの?」
訊くとハチは「あぁ」とあくび混じりに答える。本部へは最近あまり寄り付かなかったので、なんだか久しぶりに来た気分だ。
制服姿の局員が忙しなく行き交う中をすり抜けるようにして通る。途中でミヤさんに会ったので「いってきまーす」と手を振った。手を振り返すミヤさん。
「よそ見すんな」
ハチが俺の頭をがっしり掴む。ゴキュッと首が鳴った。廊下を歩き、普段は立入禁止の区域である迷子課
「おっそーい!」
出会い頭に銃弾がぶっ放され、ハチと俺は揃って首を傾けて避けた。フウ様の弾丸が廊下の壁をぶち抜く。
「おい、フウ、やめないか」
ノウさんが困ったように言い、ため息をついた。その後ろではキュウが朗らかに笑って手を振っている。そしてその横には凛とした佇まいのハトさんがいた。
「えっと、それじゃあ……このメンバーで探索に?」
「そうだ。局員が足りなくなってなぁ。
俺の問いにノウさんが簡潔に説明する。
「有志……別に志願してないのに」
キュウが呆れたように言った。
「まぁいいじゃないの。これで討伐数も稼げるぜ。現世への生還もすぐそこだ! 集え、若人よ! はははははっ!」
ノウさんは豪快に笑った。俺とキュウは顔を見合わせた。フウは拳銃を仕舞っており、ハチはあくびをする。ハトさん一人だけが静かに直立していた。
対策部は畳の和室に黒い円卓、桐箪笥、本棚、戸棚がある。障子窓は全部閉まっており、天井から吊るされた提灯の中ではホタルのように光る羽虫がバタバタもがいている。
「さて、メンバーが揃った。今回探索するのは──」
ノウさんが黒いテーブルの上に置いた地図を指し示した。
「
「砂海……って何?」
誰にともなく訊く。いや、彼岸淵もよく分からないけれど。キュウを見れば首をかしげていた。ただ、ハチとハトさんの顔が強張っている。鼻歌を歌うフウは聞いているのかいないのか分からないほど表情が変わらない。
「砂海、砂の海。すなわち砂漠ってとこかな。見渡す限り大砂原ってやつだ。この異界の六十パーセントは砂海だと言われている」
ノウさんは平然とそう言った。
「はぁ。どうやってそこまで行くんですか?」
まだ要領を得ない俺は問う。するとノウさんは待ってましたと言わんばかりにニッと笑った。
「まずは港へゆこう」
そう言って、ノウさんは障子窓を開けた。窓の向こうに廊下がある。一人ずつ窓から出て長い廊下を歩いた。緩やかな傾斜を降りていく。廊下の所々に行き先が書かれているのでとても分かりやすいが、やはりこの本部は不可思議な造りになっていてまるで迷路だ。設計者がデタラメに設計したのか、それとも設計者はおらず誰かが勝手に廊下や部屋をくっつけたようにも思える。
やがて廊下を抜けると明るい出口が見えてきて、船着き場のような板の上に出た。
「フウ、頼む」
ふいにノウさんが言う。
「ほーい」
フウは心得たように先頭へ行き、腰にくくりつけた小瓶を二本取り外した。コルクを抜き、外へ放り出す。出てきたのはムカデのように無数の節脚を持った大きな
「うわっ!」
「調教済みだから大丈夫よぉ」
俺が大げさに驚くものだから、フウがめんどくさそうに説明する。そういえば、彼女は
フウは慣れた様子で二体の
「おい、レイ。ぼーっとすんな。置いてくぞ」
ハチに頭を小突かれ、俺は慌てて車の中に自分の荷物を詰めた。全員乗り込んでも窮屈さは感じないが、細い車輪の頼りなさに不安を覚えた。
「砂海をこの車で走るの?」
「バカ。走れるわけねぇだろ」
すかさずハチが小馬鹿にする。俺はムッとした。
「途中まで車輪を転がす。砂海についたら車輪を外す。さながら船のように進んでいく」
それまでまったく口を開かなかったハトさんが気難しそうな顔つきで言った。
「あ、ありがとうございます」
なんとなく苦笑いしながら礼を言うと、彼女は車の隅に座って目を閉じた。
「……ハトさんって、どういう人?」
キュウに訊く。しかし彼は肩をすくめるだけで頼りにならない。
「オレもよくは知らない……けど、美人だよな。おっかなそうだけど」
雰囲気だけでそう悟っているキュウだが、俺も同じ感想を抱いていた。なんだろう。局員の人たちは多種多様だが、とりわけハトさんはハチやフウ、ノウさんとはまた違う独特の、孤高なオーラをまとうひとだなと思う。切れ長の目はピクリとも動かなかった。女性の風貌をしていなければ侍なのではないかと思うほどである。
「ハトちゃんはとっつきにくいからねぇ。でも意外とかわいいとこもあんのよ?」
フウがうずまきキャンディを舐めながら言う。
「自分の目玉を落っことすの」
聞き間違いだろうか。
「あの、もしもし? フウさん? 今なんて?」
キュウがおずおずと訊く。するとフウはけだるげに間延びした声で言った。
「だーかーら、目玉だってば。ねぇー、ハトちゃん! 今日は目玉はくっついてるかーい?」
その声に、ハトさんは右目を開いて言った。
「確かめてみろ」
「あら、今日はちゃんとあるじゃなーい!」
フウがケラケラ笑う。ハトさんは右目をつむり、また瞑想に入った。
「じゃあ、何? 義眼ってこと!?」
キュウが訊く。フウは親指を突き上げて肯定した。俺は気まずいので目を伏せるしかなかった。
「なんだっけ? 生前に目をくりぬかれたからそんなことになっちゃったんだっけ?」
人の過去をズバズバと言うフウ。対し、ハトさんは反応しない。空気が冷えていく。
「あれ? 何よ、どうしたどうしたー? そんな気まずそうな顔しちゃって」
俺たちの顔色を見るフウの無邪気な声だけが車内に響く。
「だって、そんな聞いちゃいけないような話……なぁ?」
キュウが俺に同意を求めてくる。やめろ。俺を巻き込むんじゃない。
「昔の話さ」
瞑想していたハトさんが静かに言う。途端、俺とキュウは彼女に注目した。
「君たちのような反応には慣れている。気にするな」
ハトさんはわずかに口元を緩めた。
「それにフウの軽口にも慣れている」
「あ、それなら良かった」
キュウがホッと胸をなでおろす。俺も密かに安堵の息を漏らした。
「なあ、せっかくだしトランプしようぜ。暇で仕方ねぇ」
窓を見ながらタバコを吸っていたハチが言い出す。一服済んだらしく、吸い殻を外に投げ捨ててこちらに振り向いた。袖からボロボロのトランプを取り出す。
「じゃあババ抜きしよー!」
フウがすぐさま飛びついた。
「嫌だ。大富豪しようぜ大富豪」
ハチが却下する。
「俺、大富豪のやり方わかんない」
つい口を出すと、ハチがにんまり笑った。
「おい、フウ、大富豪だ。レイをこてんぱんにしてやろうぜ」
「おーけい! ノッた!」
「こういうのは初心者に手加減して遊ぶもんじゃない!? てか、フウ! お前、ババ抜きがいいんじゃないのかよ!」
あんまりな裏切りに抗議すると、キュウが肩をぽんと叩いてきた。憐れむような目で笑っている。お前まで俺を裏切るのか……!
絶望を感じて肩を落とすと、ハチがトランプを手際よく切りながら言った。
「なんで弱いやつに合わせる必要がある。必ず勝てるゲームのほうが楽しいに決まってんだろ」
「逆だろ!? 強いやつに勝つからこそ楽しいんじゃないの!?」
「弱いやつをいたぶるのが楽しい」
ハチが平然と言う。フウが深く頷く。ひどい連中だ。
「なぁ、ハトさん。大富豪、どうですー?」
ハチが柔らかく訊く。彼女はカッと目を見開いた。
「よかろう」
「やるの!? やるんだ!? 絶対やらなそうな人なのに!」
さっきまでの冷えた空気はすでになく、ただ俺だけが背筋を震わせる車内。にぎやかな遠征探索が始まろうとしていた。
ハトさんに大体のルールを教えてもらい、なんとか八切りの意味を理解したが五回ほどゲームをしても貧民から這い上がることはできなかった。そしてハチとハトさんが常に一騎打ち状態になり、大富豪の座を静かに笑いながら奪い合っていた。だがフウがふてくされてトランプを引きちぎったせいでゲーム続行が不可能になった。
「おい、どうすんだよ。これじゃあどう足掻いても七並べくらいしかできねぇぜ」
ハチがため息をついて言った。
「足掻いても無理だべ」
フウがしれっと言う。そもそもお前がトランプを引きちぎったのが悪いんだろ。
「七並べはルールが分からんぞ」
ハトさんがトランプを放り投げながら言った。
「あーあ、もうすぐで大富豪になれたかもなのに」
俺は俺で少し残念。スペードとクラブの2が揃っていたのでいいところで出してやろうと思っていた。貧民から抜け出して下剋上したかったのに。
そうして各々好き勝手に言っている中、キュウの姿が消えていることに気がついた。
「あれ?」
そういえばキュウはゲームの最初だけいたが途中からいなくなっていた。前方の外座席ではノウさんが外の様子を見ている。そちらにはおらず、後方の外座席にキュウの後ろ姿があった。
「キュウ? どうした?」
赤い荒野を駆ける
キュウの横に座る。彼はぼんやりと遠くを眺め、口を開いた。
「大富豪、勝てたか?」
「いいや。無理だ。フウがトランプ破いたからお開き」
「そっか」
キュウは苦笑した。普段ならもっとおしゃべりなくせに、なんだか調子が悪そうだ。
「……何かあったのか?」
聞いても良いものか悩みつつ、口は勝手に心配していた。キュウがパッと笑みを浮かべてごまかそうとする。
「何も……って、言うには無理があるか」
いつもの自分を自覚しているようで何よりだが、彼の口の重たさにこちらまで神妙になってしまう。
「……えーっと。オレ、こういう話苦手なんだけど」
「うん」
「なんつーか、ほら、キャラじゃないからな」
「そうだな」
しばらく言いにくそうにモゴモゴとするキュウ。辛抱強く待つ。
「ええい、単刀直入に言うぞ……オレな、ちょっと今回の任務、怖いんだ」
キュウは笑顔のまま言った。よく見れば指が震えている。
「かっこわりぃよなー。いつもなら市内で薙刀ぶん回してんのにさ。いつでも怖いんだぜ、本当は。あの大鴉のときもさ」
昨日の大鴉との大立ち回りを思い出す。そういえば、キュウは途中から出てこなかったな。
「……なんだ。そうだったのか」
俺は小さく言った。キュウが「ん?」と片眉を上げた。
「いや、キュウってさ、フウのせいで脳筋になってんだと思ってて……だから恐怖とかそういう感覚ないんだろうと。でもお前もちゃんと人間なんだよな。安心した」
慌てて言うとキュウは目を瞬かせ、フッと噴き出した。
「なんだよ、レイ。そんな風に思ってたのー? ひどくね?」
「ひどいのか?」
「あぁ、ひどいね! オレを脳筋呼ばわりはひどい!」
そいつはすまないな。
頬を掻いてごまかしていると、キュウは愉快そうに笑った。つられて俺も笑う。
「まぁ、俺も怖いよ。いつでも怖い。でもまぁ、俺にはハチがいるからさ、なんとかなるんじゃねーかなって。今日もハチいるし」
「うわ、楽観的ぃ」
キュウはからかうように言ったが、すぐにさびしそうに息をついた。
「オレはそういう、頼りになる人がいないからさ……」
まぁ、フウはそうだよな。だからなんとか自力で這い上がるしかないんだ。
キュウは肩を落として気を抜くように言う。
「レイ──蜘蛛の糸って、知ってるか?」
そんなことを言いだす彼の目はどこを見ているかわからない。
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