烏は肉を啄むか
歩島七海
烏は肉を啄むか
「焼肉のルールにうるさい人っているけどさー、焼き鳥にはいないよね」
2杯目のジョッキを空にして先輩が世迷言を吐いたのは、まだ日の沈みきらない18時半のことだった。
賑わいだした焼き鳥屋の片隅、窓際の席で。空のジョッキを握り締める先輩は、小動物のような愛嬌と、触れようとしたら消えてしまいそうな妖しさが同居した不思議な存在だった。
視線を逃がすようにお通しの枝豆をつまみ、グラスを傾ける。水のようなハイボールで枝豆を無理やり喉奥に流し込み、口を開く。
「普通にいるじゃないすか。串から外したらめちゃくちゃ怒る人とか」
「焼き鳥串から外すの!? 何それキミ人間じゃないでしょ!!」
「……先輩がそうとは思わなかったすけど」
「信じらんない! あ、店員さーん! 生2つ追加でー!」
私の飲んでいるものが見えてないのか、或いは2つとも先輩が飲むつもりなのか。半分ほど中身の残った自分のグラスを見て、おそらく後者だと思うことにした。
「ペース早すぎないですか? まだ串一本も来てないすよ」
「そう? アタシいつもこんなもんだよ。キミもほらほら、今日はたくさん食べなよ! 飲み会だとすぐ配膳係みたいになっちゃって可哀想だなあっていつも思ってたんだよー?」
愉快そうに顔を近付ける先輩から距離を取り、ぐび、とハイボールをあおる。まだ氷の残るハイボールは、想定よりも量を減らしていた。
「そっかー、キミ串から外す派かー。人間じゃ無い派だったかー」
「別に、私が外すとは言ってないじゃないすか。ルールにうるさい人がいる例として上げただけっすよ」
「ふーん、なら良いんだけどねー」
「ていうか、それだけで人間じゃ無いとかどんな偏見なんすか。流石に過激すぎでしょ」
「でもキミ、人間じゃ無いでしょ?」
思わず、グラスを持った手が止まる。ゆっくり先輩に視線を移すと、先程までの愉快そうな笑顔のまま私を見つめていた。
「……えっ、どんな冗談すかソレ。笑えませんけど」
「えー? 冗談じゃないよ。事実を言ってるだけ。キミ、人間じゃ、無いでしょ?」
騒がしいはずの店内の喧騒が遠く、自分の喉がゴクリと鳴るのが聞こえた。先程潤したばかりの口の中が急速に乾いていく。
返事の出来ない私を笑顔で眺めながら、先輩は話を続ける。
「鳥串ってさあ、ちょっとモズの早贄を思い出さない? とか言って、アタシ都会っ子だから本物は見たことないんだけど。アレってモズの非常食なんでしょ? 獲物の少ない冬場に向けて干物を作ってるって聞いたんだけどさー」
ちょうどそこで鳥串が運ばれてくる。盛り合わせの中からハツを掴んだ先輩は、無造作に、がぶ。と一噛みして、尖端を私に突き付ける。
「アタシのことも非常食にするつもりだった、とか?」
賑わう焼き鳥屋の片隅、窓際の席で。夕焼けの赤、宵の紺色、点き始めた街灯の黄色、全てに照らし出された先輩は、とても可憐で美しくーーーー神々しかった。ただ……、
「私、そういうのじゃないっす」
ただ、言っていることは的外れだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「私、そういうのじゃないっす」
アタシを獲物にしようとしている(はずの)後輩は、端正な顔を緩めずにそう告げた。
ガヤガヤと店の喧騒が遠い。顔に向けた串の行き場に困って、そっと皿の上に置き直す。
それでもアタシの退魔師としての勘は、目の前の人物が人間では無いと伝えている。
「…………え? いやいや、誤魔化されないよ! これでもアタシ退魔の家系のエリートなんだから。いくら擬態が上手でも、人間と化性のものを間違えることなんて無いから!」
「まあ、人間じゃ無いのはその通りすけど。別に人間を取って食うとかそういうのじゃ……」
「え、えええ!? 嘘ウソ!! だって、気配的にはなんか獣的なアレで、この満月の日に飲みの誘いって……絶対狼男的なアレでしょ!?」
退魔師としての素顔を隠し、普通の会社に就職して早2年。後輩として入ってきた人外が悪さを出来ないように片時も目を離さず、表の仕事も裏の仕事も両立するアタシは天才だと自負していたのに……!
後輩の語る言葉は、嘘破りの法術でいくら探っても本音のままだった。
「じゃあ何? 狼男の誘いに乗ってやるって気を張ってたのも、出鼻を挫くために用意してたモズの早贄の話も、心臓に杭を刺す暗喩として食べた串刺しの心臓(ハツ)も、全部的外れだったってこと!?」
「そうなりますね……というか、その為にわざわざ店は焼き鳥屋が良いって駄々こねたんすか?」
「駄々こねたとか言わない!! 雰囲気作りは退魔師には大事なの!!」
アタシが拘って作り上げていたはずの雰囲気がボロボロと崩れていく。
「じゃあキミは一体なんなわけ!? 人間を襲わないけど、それでいて犬とか狼っぽい気配でしょ!? 人間を襲わない派の狼男とか!?」
「さっきから気になってたんすけど、間違うにしても狼女って言いません?」
後輩の指摘に手が止まる。沈黙が痛い。人食いの化性と思い込み、友好的な種族である可能性を排除していた私の落ち度に、さらに落ち度が積み重なる。
「……怒らない?」
「どのくらい失礼かによります」
「…………騙すための……女装だと思って」
「今日イチの失礼更新すね」
後輩の表情は崩れない。高く通った鼻梁。冷たくも妖しい瞳。琥珀のような虹彩。常に余裕を崩さない佇まい。そのどれをとっても……
「だって! イケメンじゃん!!」
「それは褒められたと思っていいんすか?」
「なんで今日飲みになんか誘ったの!?」
「純粋な好意からですね」
「イケメンじゃん!!!」
「先輩はバカで可愛くて美人すよ」
「バッ……! かわっ…………!?」
「お返しです」
妖しく歪んだ後輩の顔に危うく魅入られそうで視線を落とす。友好的でも化性は化性だ。気を抜いてはいけない。心臓の鼓動が早いのは、なんか、決してときめきとかそういうのじゃない!!
「結局! キミは何!?」
「犬といえば犬ですけど……どちらかというとコレに近いですね」
鳥串をひとつ摘み上げながら後輩が言う。かぷりと小さなひとくちで、その中のネギだけをついばむように食べてから、ふたたび口を開いた。
「天狗の末裔です」
そう告げた後輩は、酒のせいか夕焼けのせいか、それとも別の要因か。真っ赤な顔をしていたのだった。
烏は肉を啄むか 歩島七海 @poland125
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