Mの悲劇
サビイみぎわくろぶっち
1.
その日、私はミツヒコの家に行く予定はなかった。
でも、仕事帰りに立ち寄ったスーパーの入り口に、焼鳥屋の販売移動車が止まっていて、非常に香ばしいにおいを辺り一面に漂わせていたのだ。
ミツヒコと私は1か月前から付き合っていた。ミツヒコの一人暮らしのアパートの合い鍵ももらっていた。
よし、家に真っすぐ帰るのは止めだ。ミツヒコの家に、焼き鳥とビールと肉じゃがの材料を買って行こう。
ミツヒコは残業で遅いかもしれない。でも、もしも、ミツヒコの帰りを待ちきれずに、先に帰ることになっても、焼き鳥や肉じゃがは冷蔵庫に入れていけばいい。
ミツヒコの部屋の鍵を抜き打ちで使うのは初めてだった。
鍵穴に鍵を差し込んで、ドアを開けると、部屋の中から人の気配を感じた。照明も付いている。
「ミツヒコ?帰ってたんだ!」
しかし、1Kの狭いアパートの短い廊下をバタバタと歩いて、居間の入り口にやって来た私の目に飛び込んできた光景は、いつもこの部屋にある小さなテーブルに向かい合って座る、ミツヒコと知らない女の人の姿だった。
「ミツヒコ…?」
「アヤ…」
ミツヒコが気まずい表情で私の名を呼ぶ。
向かいに座っていた女性は、初めのうちはうつむいていた。しかし、すぐに顔を上げて、私を見た。
「悪いけど、帰っていただけますか」
女性の言葉は鋭かった。
ミツヒコは何も言わなかった。残酷な沈黙だ。その女性のほうに同意していると
いうことになる。
「今は帰るけど、ミツヒコ、後でちゃんと説明してもらえる?」
私のこの言葉に、ミツヒコは何も返さなかった。
自分が手に持っている焼き鳥のにおいが妙に鼻についた。このにおいは、おそらく二人の鼻にも届いていただろう。
***
「で、それからどうなったの?」
「何もなかった。それで終わり」
「ええっ!!」
焼き鳥屋に一緒に来た女友達は、この結末に目を見開いた。
「なにそれっ?!普通はそれで終わらせないよ」
「う~ん、でもなんか、私のほうが冷めちゃってさ」
「その女の正体も分からずじまい?」
「うん」
ミツヒコとはSNSを通じて知り合ったので、共通の知り合いも勤務先も分からない。
「あり得ない…」
「まあ、本人がそれでいいならいいじゃない」
でも、普通に考えたら二股だろう。
どういうシチュエーションの二股なのかまでは分からないけど。遠距離恋愛とかかなあ…。あ、今さら深く考えるのはやめよう。
そして、実はこのお話しには、さらなる結末がある。それを目の前にいる女友達に話そうか、話すまいか、私は迷っていた。
もう少しお酒が入っていたら、パっと暴露しちゃっていたかもしれない。でも、そうなっていなくて良かったかもしれないとも思う。
「う~んとね、他に分かっていることもあるんだけど…聞きたい?」
「聞きたい!」
「うふふ。どうしようかな~」
「何それ?」
翌日のニュースで知ったことだが、ミツヒコはあの日、亡くなったらしい。
”東京都江戸川区のアパートで、スズモトミツヒロさん(28歳)が知人の女性に鈍器で頭を殴られて亡くなった”と、そのニュースでは言っていた。
あの合い鍵は捨てた。
私だってショックを受けなかった訳ではなかった。
でも、忘れてしまうしかないんだと思う。今さらどうする術もない。
「ねえ、教えてよ」
「う~ん、ちょっと考える」
「ひどい」
頭の整理がつくまでには、もう少し時間が必要だ。
せめて焼き鳥を食べて、ミツヒコの冥福を祈ることとする。
Mの悲劇 サビイみぎわくろぶっち @sabby
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