第235話 『史上最悪の怒鳴り合い』
一方、バンクーバー警察署には空港から通報が入った。
数分前、空港の車寄せでスポーツカーに乗って現れた男が高校生ぐらいの少女を一人肩に担いで連れ去った。との事だった。スピード違反で追っていた車と同じだった。
『猛スピードで国際空港から北上、住宅街に入った模様。相当のドライビングテクニックです。何者か不明ですが注意してください』という無線だった。
その界隈をパトロール中だった刑事のゴーンは一緒に乗り合わせた同僚と顔を見合わせ、拳銃に手を置いた。そして一大事だと思いながら車の方向を変えた。
「どこの男か知らんが、少女を担いで誘拐するなんてどんな悪党だ?」
「手遅れになる前に見つけましょう。ここからはそんなに遠くない。追いつくかもしれません」
「そうだな。どうせ一方的でわがままな凶暴な男に違いない。高級車に乗ってるだと?」
「はい、カラマだそうです。確か一台二十万ドル以上する車ですよ」
ゴーン刑事は眉をしかめた。
「金持ちだな。どんな関係だ?」
「金では買えないほど良い女なんでしょうか?」
「追跡してみるとしよう」
二人は暴走車を探しに北上を始めた。
その頃、エイチの車の中では台風と竜巻が同時に起こり、全ての家々をなぎ倒しながら荒れ果てた荒野にしていく様な悲惨な言い合いが続いていた。
「物凄く忙しいはずでしょ!?一体ここへ何しに来たわけ!?それとも、たまたま空港で私たち二人を見かけたわけ?」
「ああそうだ!」
エイチの低い声が轟く。
「おろしてっ!」
マチも怒りに任せて叫ぶ。
エイチは空港から十キロ程走り、閑静な住宅街に入ると急ブレーキを掛けて公園脇に車を止めた。マチが前のめりになって悲鳴を上げた。
「きゃあ!」
そして、車が停車したのを見るとマチは直ぐに扉を開けて外に転がり出た。
そこは住宅街が一瞬途切れた地区で、何も無い芝生が永遠と続く広大な公園が広がっていた。遊具もベンチもグラウンドも何もない。ただひたすら芝生が続く緑の公園だった。
ところどころに太い楓の木が並び、冬のバンクーバーの暖かい日差しを受けて、風の通り道なのか爽やかな風がそよいでいた。時折小鳥がさえずり、木々が揺れる音が心地良い。
世の中はこんなに平和で穏やかだと言うのに、ここに来た二人の心は猛烈に逆立ち、互いを攻めずには居られなかった。今ここに一対一の大戦が始まった。
マチが車から降りたのを見て、エイチが直ぐにそれを追いかけた。
「待てよ!人の話を聞け!」
エイチは血が沸騰するのを感じた。怒りが恐怖と混じって今まで感じたことが無い程の腹立たしさだった。口がマチを容赦なく責める。でも目は別の事を語っていた。
エイチは逃げて公園の中に走るマチに長い足で直ぐに追いついた。
「もう放っておいてよ!自分が気に入らない人と私が一緒にいるだけでどうしてそんなに怒るの!あなたみたいな変な人どこにも居ないわ!」
マチは顔を真っ赤にして怒っていた。目が真っ赤で泣きそうだった。
「エイチが私に意見する資格なんてどこにも無いわ!それに、あなたこそプロの選手になった途端おかしくなっちゃったじゃない!毎回毎回、違う女の人と噂になって、シルトと同じじゃない!調子に乗っているんだわ!」
マチは今まで思っていた事をつい言ってしまい、はっとした。
「なんだと?」
エイチの目が燃え上がり、低い声がとても恐かった。
「調子に乗ってる?誰に向かって言ってるんだ!それにシルトの事を悪く言うんじゃない!女の方から寄って来て勝手に裸になるくせに、それと遊んで何が悪いんだ!説明してみろ!このガキが!俺の何がいけないのか言ってみろ!」
「なんて下品な事を言うの!エイチはそんな人じゃなかった!凄くモテたけど、そんな人じゃなかったじゃない!あなたらしくないわ!」
「俺らしいくない?お前は俺の何を知っててそんな口を叩くんだ!何も知らないくせに!」
二人は大声で罵りあいながらどんどん公園の中に進んだ。
広大な芝生の公園に二人の怒声が響き渡った。
「調子に乗ってるなんて何で責めるんだ!お前にそんな事言われる筋合い無い!関係ないだろ!」
エイチは続けた。
「お前はいつも優等生ぶってる!自分の事を棚に上げるなよ!誰でもベットに向かい入れる女のくせに!」
「何ですって?!」
マチの黒い瞳が侮辱に耐えられないと叫んでいた。
「誰でもなんてどう言う意味?あなたと何度も同じベットで寝た事を責めてるわけ?そんなの好きでやった事なんて一度も無いわ!毎回あなたが強引で仕方なくそうなったんじゃない!第一そうなったって今まで何も無かったでしょ!」
「それは俺を男と思って無いからだろ!」
「あなたは男よ!男意外に見えないわ!」
「見え方じゃない!手を出さない安心な奴だと思ってるはずだ!それに、俺としか寝てないみたいな言い方だな!嘘付け!ハジメと寝たくせに!カマトトぶるんじゃない!」
「なっ!なんて事を言うの!」
マチが目を剥いた。
「俺はこの目で見た!見間違えるわけが無いだろ!ホテルで同じ部屋に入って寝たくせに!なんでウソを付くんだ!」
喉が苦しかった。胸が苦しい。あの日は本当に悔しくて発狂しそうだった。今思い出すだけでも吐き気がした。
「・・・・・つけて来てたの?」
マチが声のボリュームを落として、眉間に皺を寄せて責めるようにエイチを睨んだ。
「うるさい!ずっと出てこなかっただろ!ドアを蹴破って男を殴ろうと思った!でも止めた!どうせ、お前が怒り狂って俺に正しい事をぐちゃぐちゃ言うだけだろ!」
「そうよ!もしそんな事したら許さないわ!どうしていつもそんな風に発想が凶暴なわけ!」
「凶暴にもなるだろ!なんであんな男と寝たりしたんだ!お前とどれぐらい付き合ってる?!この前会ったばかりだって言ってたくせに!この尻軽女が!」
「酷いわ!なんて事言うの!最低だわ!そんな言われ方!侮辱よ!第一エイチになんて関係ないじゃない!」
「俺の気も知らないで!俺がどれぐらい苦しんだかも分からないだろ!」
心臓がきしんだ。
「苦しんだですって?ふざけないで!自分の思い通りにならないと他の人より自分が苦しんでると思うわけ?エイチこそ私の気持ちも知らないくせに!ずっと虐めたじゃない!馬鹿にされて、何度もひどい目に遭ったわ!ずっと私が苦しんでいる事なんて全然知らないくせに!」
自分の過去を責められて身体中が痛い。
エイチは恐い顔をしてマチの前に更に進んだ。
「イーストケースにお前が来た時、本気で追い出しておくべきだった。二度と俺の前に姿を見せられないようにしておくべきだった!お前みたいな女はどこにも居ない。見た事が無い!この俺に向かって来て、正しい事をぐちゃぐちゃ言うのなんてお前だけだ!頭に来る!」
「誰も正しい事を教えなかったからこんな風になっちゃったんでしょ!」
「こんな風?!どんな風だ!俺を人間とも思ってない言い方だな!」
「そんな事言ってないわ!エイチは本当は出来るのに、我慢しないだけよ!直ぐに手を出して、人を殴っちゃうでしょ!口も悪くて一体今までどれぐらいの人が恐い思いをしたか分かってるの!?どうして止められないのよ!私だって、エイチに酷い事を言われたくなんて無い!」
「お前の残酷さに比べたら俺の口の悪さなんて何でも無いはずだ!」
「残酷な事なんて何もして無いわ!」
「知らないからそんな事が平気で言えるんだ!お前は世界一残酷で凶暴で人を傷つける天才だ!」
「もう、あなたに何を言っても無駄だわ!その悪さは治らない!諦める!もう会わないほうが良いのよ!会うたびに怒鳴りあってる!何も生み出さないわ!高校時代、仲間になれたんだと思って嬉しかった。でももう、そんな事にすがるのは止めるわ!もう身が持たないもの!いつまでたっても私達は仲良くなんてなれないわ!」
「こっちの台詞だ!」
「もう会わないって言っておいて、私の事が大嫌いなくせにどうしてまた目の前に現われたりするのよ!見かけたって知らん振りしてればいいじゃない!私の事なんて構わないで放っておけばいいのに!」
「うるさい!そんな事出来ない!」
「一体ここに何しに来たのよ!」
エイチは歯を食いしばると、大声でマチに叫んだ。
「好きだって言いに来たんだ!」
こだまするほどの叫び声だった。
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