第181話 『離れようとしてる』

 マチが乗り移ると直ぐにエイチは車を発進させた。

「すごくハラハラしたわ!エイチ大丈夫だったの?パパラッチだなんて凄く恐いわね!人気者って大変なのね」

 心底同情するように言うマチを見てエイチは笑った。

「そうだ、俺は苦労してるんだ。やっとお前にも分かったか」

 しばらく大通りを走るとしつこいパパラッチの車がまたどこからとも無く現れて追いかけてきた。彼らは無線と携帯を使って仲間を集める。どんどん数が増えて後ろに付かれた。

 マチが居るのに・・・エイチはそう思いながら彼らに対してイライラし始めた。

 このままスピードを出して巻くか?

「・・・・大変!エイチ、後ろから沢山車が付けてくるわ」

「分かってる。お前は見つからないように頭を下げて隠れてろ!」

 このまま自宅に向かってもいいが時間が掛かる。それにガレージまで追いかけられてめんどくさいな。

 ホテル?そうだ、ホテルはセキュリティーがあるからあいつらは入れない。

 エイチは不気味に笑うとマチに言った。

「マチ、そこにある鞄の中に入れ。ホッケー選手はラッキーだ。大きな鞄を持っていても疑われない。お前なら小さいから余裕でそこに入れるだろ?」

「ええ?この中に入るの?」

「いいから早くしろ!見つかりたいのか?」

「嫌よ!写真なんて絶対撮られたくないわ!」

「だったら黙って早く入れ!時間が無いぞ!」


 こうして車はホテルの地下駐車場に入った。諦められない何台かが追いかけて入って来る。

 エイチは絶対どこかで女を拾って後ろに乗せたはずだ!

 スクープを撮りたい!エイチが隠すなんて珍しい。今晩は誰を乗せてる?女優?モデル?


 エイチは車をホテルの地下駐車場に停めると、ヒラリと降りた。

 また激しいフラッシュが浴びせられる。

 鞄の中に入ったマチにもそれがわかる。後部座席を開けるとエイチはマチが入った鞄に小声で言った。

「絶対声を出すなよ」

 マチは息を殺した。冷や汗が流れた。

 パパラッチが直ぐに後部座席を望遠レンズで撮影する。

「あれっ!誰も居ない?」

「エイチ!どうして女と一緒じゃないんだよ!」

 エイチは無視してバックを肩に担いだ。

 車に向かってセンサーキーでロックするとそのままホテルの裏口に向かった。

「荷物だけか?おい!お前が女と居ないなんて金にならないじゃないか!」

「ここまで追いかけてきたのに!」

 エイチは扉を開けて去り際に彼らに言った。首をかしげて鞄の方を向き、

「女がここに入ってるとは思わないのか?」

と眉を上げておどけて見せた。

「!」

 パパラッチ達は鞄を凝視した。

 しかし、人が入るにはそこまで大きなバックでは無い様な気がする。

 ホテルの中に消えたH・ハンドクルーの憎らしい姿を見つめながらパパラッチ達は苦い顔をした。

 マチは心臓が止まるんじゃないかと思いながら緊張して鞄の中で膝を抱えていた。

 ホテルのエレベータが来るのを待っていると

「ハンドクルーじゃないか!すごい!スターがなんでこんなホテルに?」

 グレードの低いホテルに北米一人気があるホッケー選手がいるのを見てレストランから出て来た老人が叫んでいる。その孫が寄って来て家族中で大騒ぎし始めた。

 エイチは何も言わない。

「H!サイン頂戴!」子供が興奮して大声を上げる。鞄を担いだままエイチはかがんで子供の服か何かにサインした様だった。

 チンっと音がしてエレベーターが来てエイチは乗った。

 先に一人の女性が乗っていた。彼女は乗り込んで来たのがあのH・ハンドクルーだと気が付いて息を呑む。

「はぁっ・・・・!」

 スターが乗って来た事にも驚愕したが、近くで見る本物のエイチは物凄くハンサムだった。

 目が釘付けになって何も言えない。

 エイチはそんな視線にはすっかり慣れっこで、そのまま扉は閉まった。

 エイチが言った。

「何階だ?」

「・・・・」

 一緒に乗っていた女が返事する。

「?え?・・・・あの今なんて?」

 動揺して聞く。自分が降りる十二階はもうボタンが押されてる。

「九階・・・」

とても小さい声がどこからか聞こえてエイチが九階のボタンを押した。

 一体どこから?

 女は慌ててエレベーターの中を見回した。私と彼しか居ないのに!

 ふと彼のバックに目が留まった。

「・・・・・」

 まさか!・・・・・うそよね?

 九階が開いてエイチは降りた。

 エレベーターに残された女はエイチがスキャンダルにまみれているのを思い出して感心した。

 こうやって女を連れ込んで毎晩遊んでるんだわ!口を開いたまま立ち尽くした。

 扉が閉じた。エイチは可笑しくて思わず一人で笑った。

 九階のフロアには誰も居なかった。鞄の中から手がこっそり出て部屋の鍵をエイチに渡す。

 ようやく部屋に入って扉が閉まると、マチが入った鞄はベットに下ろされチャックが開いた。

「もういいぞ、出て来い」

 マチは固まった身体を起こして鞄からグチャグチャの髪で出て来た。

 それを見るとエイチは腹を抱えて笑い出した。

「酷いわ!エイチ!なんて事言うの?女が入ってると思わないのかって自分で言っちゃうなんて!心臓が止まりそうだったわ!」

「そう言った方が嘘くさくないだろ?」

 マチはぐったりしてエイチを睨んだ。

 この男は人に迷惑が掛かる事に無関心で、わがままで自分勝手で、強引で!

「もうっ!」

 マチは怒った。

「怒るなよ。仕方ないだろ?少しは協力しろよ」

「十分協力しました。ホテルまで送ってくれてありがとう」

 マチは睨んだままエイチに言った。

「ねぇ・・・・あんなにパパラッチが外にいるのに・・・・あなたどうやってここから帰るの?」

エイチは馬鹿にしたような顔をマチに向けると言った。

「帰れないな」

 成り行きで、上手くホテルに転がり込んだ。

 ラッキーだ。





 マチは大騒ぎしていた。

「事情はよく分かるけどここにはベットは一つしかないし絶対駄目よ!」

「もう少ししたら帰って!」

と説得した。エイチは何食わぬ顔でベットに座わり、怒るマチを見上げていた。しらっとして話に耳を傾けないエイチには何を言っても無駄なようだった。マチは肩で息をすると

「もういいわ・・・・分かったわ。私がロビーのソファーで寝るからいい。この部屋はあなたに譲ってあげる。あなたはロビーなんかで寝たら大変な事になるでしょ?」

「一つのベットで二人で寝ればいいだろ。なんか問題があるのか?」

 エイチの目がマチをイタズラに見ている。

「問題ですって?エイチ、よく聞いて。私は女なの。男友達なんかじゃない」

 そんなの分かってる。

「だからエイチなんかと一緒に泊まりたくないの」

「・・・・」

「あなたが何もしないのは分かってる。私なんかに何かするはずが無いのは知っているの。でももうこんなふざけた事しないで欲しいの。あなたはいつも強引で、わがままで私がどんな風に思ってるのか考えた事も無いでしょ?もういい加減にして」

 マチは真っ黒な目をエイチに向けて真剣にそう言った。


 マチが本気だ。しかも俺の事を責めてる。一緒に居たくないって言われた。

 エイチは急に暗い気持ちになった。

 確かに毎回ふざけて二人きりになろうと強引に運んでる。でも、表向きはふざけていても本心は違う。ふざけてるわけじゃない。距離を縮めたいだけだ。こんな事でもしないと、お前は俺と一緒にいないだろ?断るだろ?分かっているからつい強引になる。でもそれが駄目だというならどうすれば良いんだ?俺には分からない。


 エイチはいつも以上にマチが真剣に自分と居る事を拒むので、不愉快だった。

 悔しくなってだんだん頭に来た。頭に血が上ると思ってもいない事が口をついて出てくる。

「分かった。帰ればいいんだろ!」エイチの声は低くて大きい。

マチも怒り出す。

「そうよ!ここは私のホテルなのよ?自宅が近くにあるんでしょ?」

「うるさい!お前は俺の事がもともと嫌いだ。ずっと会う度に喧嘩腰だな。何を言っても俺に反論してつっかかかってくる。俺を憎んでいる証拠だ!」

「エイチこそ私の事なんて大嫌いなくせに!他の子はこんな目に遭わせないでしょ!困らせたりしないでしょ!私だからこんなに嫌がらせを繰り返すんだわ!」

「嫌がらせ・・?」

 奥歯を食いしばる音が骨に伝わる。

「もう、会わない方が良いわ!今回だってたまたまシルトから用事を頼まれたから来ただけよ。自分からあなたになんて会いに来ないわ!私達は初めから考え方が違うのよ!お互いにいがみ合ってるんだから二度と会わない方が良いのよ!」

「もういい!お前になんて二度と連絡しない。二度と会わない!俺の前に二度とその顔を見せるな!」

 エイチは乱暴に扉を開けると部屋を後にした。




 


 翌日、飛行機の中でああでも無いこうでもないとスケジュールの話を立て続けに説明するマリアンヌの話をエイチは一切聞いてい無かった。

「・・・・・・」

 頭の中が昨日の事で一杯になる。

 エイチは今回彼女と会って気がついたことがあった。エイチは鈍い男じゃない。


 卒業以来、距離をおいたのは自分の方からだった。その結果、もともとあった距離はさらに伸びた。そしてまた会うように努力してるのにその距離が全然縮まない。どうしてなのかずっと不思議だった。理由を探ろうと何度か会った。今回マチに会うのは四度目だった。それなのにやっぱり縮まなかった。ずっと理由は自分側にあるとばかり思っていた。でもどうやら違うみたいだ・・・・

「二度と会わない方が良いのよ!」

 彼女が・・・距離を置こうとしてるんだ。 

 俺から離れようとしてる。そう感じだ。

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