『酔っぱらいのたわ言』

龍宝

「酔っぱらいのたわ言」




 にぎわいを見せる居酒屋の片隅で。


 レモンサワーのジョッキに口を付けながら、今藤いまふじ菜々ななは必死にんでいるふりをしていた。


 大学三回生、二十歳になったばかりの菜々は、決して下戸げこというわけではない。


 いや、むしろ下戸ならばどれだけ楽だっただろうか。


 早々につぶれれば、この地獄のような空間を中座して、そのまま何事もなかったように姿をくらませることもできた。




「い、いやー、ここのお酒美味しいねェ。チェーン店なのに、お酒進んじゃうなあ。はは、ははは……」


「………………」




 帰りたい。


 仮病でもなく胃が痛くなってきた菜々だったが、自分の眼の前で不機嫌さを隠しもしないまま、猛烈な威圧感プレッシャーを放ってくる幼馴染がそれを許してくれるはずもなく――。


 というか、どうして自分はマブダチの幼馴染にひたすら無言でにらまれているのか。




「純夏、食べ過ぎじゃない? そんなに美味しいの、それ?」


「………………」




 こんなに眼が合ってる状態で無視されることもあるのか。


 正面に座る女――佐野さの純夏すみかわった双眼に、菜々は戦慄せんりつすら覚えた。


 入店してからこちら、純夏が大量の焼き鳥串を食いちぎっては串を皿に積み、また食いちぎっては積んでいる様を見せられている。


 鶏に親でも殺されたのか。


 そもそも、話があると誘ったのは純夏の方であるというのに。




「お待たせしあしたー。こちら、追加の串と、テキーラですー」




 ふたりの間に流れる空気が見えないかのように、だるだるっとした感じの金髪おねーちゃん店員がテーブルにジョッキと皿を並べていった。




「これ下げますねー。ごゆっくりどぞー」




 手慣れた様子で空き皿を回収して去っていく店員。


 菜々は思わず、行かないで、と言いたくなった。




「………………」


「えっ? 純夏? そんな、えっ、全部? テキーラだよ⁉ そんな一気にいくやつじゃなくない⁉ あごの付け根がぎゅーってなってないそれ⁉」




 ジョッキに並々と注がれたテキーラを――コーラか何かで割ってあるにしても――ひと息に吞み干した純夏が、天井の照明を見上げたまま固まった。






「――何か言うことは?」






 感情のこもっていない、平坦な声だった。




「え?」


「何か、言うこと、あるでしょ? 〝も〟で始まる言葉だよ」




 純夏の表情は、ジョッキの硝子ガラスはばまれて見えなかった。


 幼馴染の意図が読めないながら、ここで答えあぐねるのだけはよくない、と菜々にも分かっていた。


 何か言わなければ。






「〝も〟――〝も〟う一杯頼む?」



「〝も〟うしわけありません、だよ――‼」



「ひっ⁉」






 勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけた純夏に、菜々は思わずった。




「あたしさ、あんたの幼馴染なわけ。小学校から一緒のマブダチなわけじゃん。十年以上ずっとつるんでさ、これもう実質彼女だよね?」


「論理の飛躍がすごい」


「こっちとしてはさ、大学でいつも通り過ごしてるのに、周りからあんたの女房役が板についてるね、とかからかわれてさ、それも満更まんざらでもないですよって感じのキャンパスライフを期待してるわけ。だから同じゼミとかサークル入ってるわけ。卒業したら同棲して結婚したいわけ。分かる?」


「分かんないよ⁉ 酔った上での発言だよね⁉ 決して素面しらふじゃないよね⁉ ね⁉」




 違う世界線からきた純夏の可能性を疑い出す菜々だった。


 通り掛かった店員にを頼んでから、純夏がテーブルに身を乗り出す。


 能面のように鬼気迫る表情を近付けてくる純夏に、菜々は背中が仕切り塀につくまでじりじりと後退していった。


 居酒屋の二人席は狭すぎる。




「昨日さ、サークルの後輩ちゃんと楽しそうにべたべたしてたでしょ?」


「え、うん。後輩ちゃん、いい子だよね。わたしにもなついてくれて――」


「ど、こ、がっ、いい子だっての‼ あれあたしに気付いてたからね⁉ もう見せつけじゃん⁉ あんたが自分のものだってマーキングしてるわけ! 分かる⁉」


「もう純夏が分かんないよ」



「それから、サークルの先輩さん! 新人歓迎役だったからって、今でもあんたにやたら距離近いし、意味深な発言ばっかするし、ていうかボディタッチするし⁉ もうあたしら三回だよ⁉ 先輩風吹かして後輩に手ェ出そうとしてるわけ! 絶対新歓の時から狙ってたわけ! じゃん⁉」


「先輩そんな人じゃないって。……今度、ふたりきりで旅行しようって誘われたけど」


「はいダメー! はいアウトー‼ 顔が良いからって年下の後輩食いまくってる人狼女ー‼」


「言い方」




 ばんばん、とテーブルを叩いてはしゃぐ純夏の勢いに、菜々は若干引いていた。


 あながち話に否定しきれないところがあるというのも、それはそれで何ともいえないが。




「あと、今年から講義に出るようになった、TAの院生! あれも絶対狙ってますわー。もう露骨! 明らかにあんたにレジュメ渡す時だけ時間掛けてるわけ! 服も、こうあんたの好きそうなのばっか選んで着てきてるわけ! 学部の連中みんな気付いてるわけ! はァ⁉」


「何で今キレたの」




 それから、近くの学生に人気のある定食屋の看板娘だとか、学生生活支援センターの事務員だとか、一般教養の講義担当である妙齢の助教授だとか、果てはふたりが一回生の頃からつるんでいる友人二人組が揃って狙ってるとまで。


 延々とあげつらう純夏の妄言は、店のラストオーダー飛んで閉店時間まで続いた。




「もう。帰るよ」


「まらいるっれ! あんらの下宿行こ! 泊まるよーあらしは⁉」


「ふらっふらだし呂律ろれつぐちゃぐちゃだしもう」




 足取りも覚束おぼつかない純夏に肩を貸してやりながら、会計に向かう。


 先ほど対応してくれた金髪のおねーちゃん店員がレジに立っていて、それなりの額になった精算をだるだるっと済ませてくれた。




「ありあとごあしたー。……これどぞー、お客さん」




 だるだるっとお辞儀のようなものをした店員が、少し間を置いて、財布をしまっていた菜々に何かを手渡した。






「――まじかー」






 レシートの上にもう一枚。


 仕事で使うのだろうメモ用紙の切れ端には、おねーちゃん店員のSNS・IDらしきものが♡ましまし甘め多めで書いてあった。




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