第四章:もうひとつのシナリオを

顛末書:最期の神頼み

 ――この世界には『勇者』なんていない。『神様』だっているはずがない。こんなもの、誰かが勝手に画いたようなただの御伽噺だ。そんな当たり前のこと、きっと私が誰よりも知っているし分かっている。



 過去に向かう道のりの最中、徐々に途切れていく意識の中で私は自分の半生を振り返っていた。……半生って呼べるほど長くもないけれど。


 ああ懐かしいな。あの日からずっと忘れた気になっていたけど、折角の機会なんだ。こうやって思い返してみるのも悪くないのかもしれないな、なんて――



 *



 ――私の父と母は、揃って人目につかないような山奥にある、いわゆる『神様』を祀る家の出身だった。二人はそんな『神様』のことをずっと、他の誰よりも深く信じていた。


 そしてそんな親を持つ私だって、同じくらい『神様』のことが大好き。小さな頃から『神様』にいつか認めてもらえるように、魔術の勉強も人一倍頑張ってきた。大きくなってからは、少しでも何か役にたてるようにと部隊に入って東部陣営を守るための活動なんかもしていた。


 ……最も、両親が幼い頃にはその手の文化は既に廃れきってしまっていたらしいから周りの人にはあまり理解されなかったけれど。だから私は大きくなるにつれて家のことを友人らに隠すようになってしまった。みんながどんな反応をするかは目に見えていたし。いつしか祈りだって疎かになっていた。

 それでも、晩御飯のときに二人から聞く『神様』の話がいくつになっても、なによりの楽しみだった。



 ――だがそんな幸せは、なんの前触れもなく崩れていってしまった。



 もう十年以上も前の話だろうか。父さんと母さんがほぼ同じような時期に病で倒れてしまった。

 原因不明とのことで医師からも早々に匙を投げられてしまった。もしかしたら私の潜在魔術でなんとかなるかもしれないと試行錯誤してみたがそれでも手の打ちようが無かった。


 それなら、と私はかつてのように毎日欠かさず『神様』に祈りを捧げた。どうか二人の病気が治りますように、これからもずっと一緒にいられますように、まだ聞けていない『神様』の話をもっと聞けますように、と。




 ――でも現実はそんなに甘くなかった。二人はあっけなく亡くなってしまった。ほんの数ヶ月前まではあんなに元気だったはずの両親はみるみるうちに痩せこけ、最期には見る影も無くなってしまっていた。


 二人を看取ったときも、葬式が終わっても、墓の前まで行っても、泣くことはなかった。というよりは泣くことが出来なかった。私の心の中には、いつまで経ってもどうしようもない遣る瀬無さと、虚無感だけがただただよっていた。



 これはきっと私が『神様』のことを恥ずかしがって隠していたせいだ。忘れていたせいだ。見られていたんだ。罰が当たったんだ。上辺だけの祈りじゃ意味が無かったんだ。これは私のせいなんだ。だから私に泣く資格なんてものはない。



 *



「……色々と大変だったね、氷緒理。あたしが協力できるようなことがあったら何でも言ってね、いつでも力になるから」

「ありがとう、一颯ちゃん。でもそんな気を使ってもらわなくても大丈夫よ」

 部隊の集まりの帰り道、私は一颯ちゃんといつものように話しながら帰路についていた。


 一颯ちゃんは部隊に入る前から付き合いのある、いわゆる幼馴染。副隊長も任されている、ソーサリアでも五指に入るくらいの凄腕の魔術使いだ。

 ――本人は隠したがるけれど、本来ならば自分たちなんかが関わってはいけないくらい上の階級の出身なのに、こうやって誰にでも分け隔てなく接してくれる優しくてとてもしっかりとした子だった。私よりも何歳か年下なのに、まるで姉のような存在だな、なんて思ったこともある。



「それにしても、まさか氷緒理の御両親とほぼ同じ時期に隊長まで亡くなってしまうなんて、ね」

「香奏さん……どうして」

 香奏かなでさんは私が信頼していた大人の一人だった。部隊の誰もが尊敬するような隊長で、東部陣営の総督さんの奥さんで、炎と幻惑の魔術を使ったら向かうところ敵無しだった。あんなに強い一颯ちゃんですら一度も勝てたことが無いらしい。


 ――そんな人が全身怪我を負った状態で見つかった、だなんてきっと少し前の自分に言っても絶対に信じないだろう。未だに信じられないし。


 相次いで大好きな人たちがいなくなっていく。これもきっと『神様』からの私に対する罰なんだろうな。なんて一颯ちゃんの前では口が裂けても言えないけれど。



「香奏さんが突然いなくなってしまってみんなきっと混乱してるだろうからさ、副隊長のあたしがしっかりしないとね。……もう既に何人か抜けちゃったけど。幸歌ゆきかとかさ。まさかあの子がいなくなるなんてね。まぁ香奏さんのことめちゃくちゃ尊敬してたし、なんならそれ以外とは口も利かないくらいだったから無理もないけど、さ」

 幸歌ちゃん、か。声も知らないくらい無口だったけど強いという話は何度か聞いたことがある。そういえば彼女、手合わせで一度だけ一颯ちゃんのことを打ち負かそうとしていたこともあったっけな。一颯ちゃんが近距離攻撃に特化しているのとは反対に、遠距離攻撃の天才だって言われてたっけ。

 そんな子が部隊を抜けるだなんてこちらにとって計り知れない損失だし、一颯ちゃんが思い悩んでいるのも分かる。



「……でも一颯ちゃん、無理だけはしないでね」

「あはは、うん、大丈夫……そうだ、隊長のとこの娘ちゃんもまだ小さいのに。どうするんだろうね」

「雅美ちゃん、だっけ」

「そうそう、風晴かざはるさんも忙しくて家にあまりいないだろうし、寂しい思いをしてなきゃいいけど」



「そういえば、一颯ちゃんのとこの子も似たような年だったっけ? 元気にしてる?」

「……うん、大事な大事な跡継ぎだからって生まれてからほとんど閉じ込められてるようなもんだからさ、あたしですらあまり会えてないけど、元気だよ」

「……そう、それなら良かった」

 嘘だ。言っていることと表情が合っていない。それくらいきっと誰でも分かる。長い付き合いの私なら尚更だ。でもこれ以上聞くのはやめておこう。どう考えても私が立ち入っていい問題でもないし。



 *



 ……あれからどうも気が滅入ってしまって。家にいるときはしばらく自堕落な生活を続けていた。

 でもそろそろ前に進まないと駄目なんだろうな。なんて、まずはずっと放置していた両親の遺品を整理しようとしていたときだった。


 ――私は父が寝ていた布団の下からメモらしきものを見つけた。なんだろうこれ。もしかして遺書とかいうやつだろうか。遺書ってなんかこう、もう少し綺麗に封されているイメージだったけど。まあいいか。大事なことが書いてあるかもしれないし、とりあえず読んでみよう。


 ぐしゃぐしゃになってしまった紙に酷く乱れた字で、そこにはこう記されていた。



「氷緒理へ

 お前にずっと伝えたかったことをこんな形で伝えることになってしまって申し訳ない

 きっとすぐには受け入れられないだろうが、どうか飲み込んで、そして許してほしい


 この世界には神様なんてものはもういない



 ……なにこれ、うそだ、こんなのきっと何かの間違いだ。そもそもかつての達筆だった父の字とは似ても似つかないくらいの汚い字なんだ、そうだ、これが父が遺したものなわけがない。そうでしょう?


 怖くて先を読むことが出来ない。家には誰もいないはずなのに人の足音が聞こえてくるような気がする。私の心臓の音か。……怖い。でも、読まなきゃ。



 ――きっと私たちが生まれた頃にはもういなかったんだ。父さんも母さんもずっと気づけなかった、だからこんなことになってしまったんだ


 氷緒理もこの家を出て、全てを忘れて幸せに暮らしなさい

 それが両親である私たちの最後のねがいです」



 ……なんで、なんで。どうして。二人ともあんなに楽しそうに話してくれていたのに。あんなに信じていたのに。あれほど、何よりも大事にしていたのに! あの話は全て嘘だったの?


 紙を持つ手が震える。更に早くなった心臓がそのまま止まってしまいそうだった。ああ、なんだか文字が滲んで読みづらい。――このとき、私は両親を亡くしてから初めて泣いた。



 *



 ――それからどうしたんだっけか。ああそうだ。あれから私は言われた通りに家を出て、ひたすら部隊のことを、魔術のことだけを考えるようになったんだ。


 そして運の悪いことにちょうどその頃、体を壊すことが増えてきて。医師に見てもらったら度重なったストレスが原因の魔術素欠乏症だって診断されたっけな。本来なら体を休めたら回復するはずの魔術素が回復しなくなって最期には身体にも影響を及ぼす、いわゆる不治の病。もちろん、心配なんてかけたくなかったから誰にも言わなかったけれど。


 ……そこからは本当に酷かった。危険なんて顧みなかった。いつ死んでしまってもいいと思うようになってしまった。みんな人が変わった様だって言っていたけど、そんなことどうでもよかった。ただ『神様』のことを忘れることに必死で、それで、いつの間にか気づいたらあんなことに






 ……ここだ。思い出したくも無いあの瞬間。かつての私が『アズ』の両親を殺してしまった過去に、『あの日』に戻ってきたんだ。


 向こうには何も知らない『アズ』、もとい蒼唯さんとその両親が仲良さそうに並んで歩いている。かつて聞いた通り優しそうな、機械人間の彼とはまるで別人のような表情だった。私が壊してさえいなければ――いや、そんな未来を変えるためにこうやって戻ってきたんだ。

 確か私はここに武器を仕込んで……あった。これさえ回収すれば



「ここでなにをされてるんです? それは私が仕掛けたもので……っ!?」

 後ろから誰かに声をかけられた。声の主は……過去の、『あの日』の私だった。鉢合わせるのはもちろん想定内だ。


「私はあなたの罪を救うために九年後の未来から」

「私の顔を騙って! 一体何者なんですか!? まさか西部陣営からの刺客? ならばこの手で始末するまで!」

 なんて、当時の私に言っても聞いてくれるはずないか。それにしても私がここまで話の通じない人間だったとは。恥ずかしい。



「<凍てつく大気よ・まずはあいつの動きを封じなさい>」

 ……まずい。なんとか避けることには成功したものの。こんなことしている場合じゃないのに。早くしないとタイムリミットがきてしまう。


「ねぇお願い! もう時間が無いの! だから話を」

「へぇ、思ったよりも素早いのですね。本当に腹立たしい。ならこれは」




 ……その瞬間。辺り一面に凄まじい悲鳴が響き渡った。遅れて、小さな子どもが泣き叫ぶ声が聞こえてくる。声がするほうに目をやると、そこには血だらけで倒れる蒼唯さんの両親の姿があった。



 ――ああ、ああ、ああ。間に合わなかったんだ。全てが終わった。過去を変えようとしても無理なものは無理だったんだ。そんな、どうして、そんな


「……は、あれは私が仕掛けた防衛用の……そんな、まさか、何の関係も無い通行人に、なんで、そんな」

 『あの日』の私が、かつての『あの日』の私と一言一句違わぬ言葉を洩らしながらその場にへたり込んでしまった。こちらに気づいて恨めしそうに睨んでくる蒼唯さんの視線があまりにも痛い。



 ――そうか。全て終わったと思っていたけれどもう一つだけ出来ることがあるじゃないか。これだけはやりたくなかったけれど。でも卯野原君の妹さんを救うために、蒼唯さんが『アズ』にならないようにするために。


 彼がやろうとしていた復讐をこの手で終わらせてしまえばいいんだ。幸い、観衆は向こうに気を取られていてこちらを気にしている人は蒼唯さんくらいしかいない。それに、今なら不意をつけるだろう。過去に遡る際にほとんどの魔術素を使い果たしてしまったから上手くいくか分からないけれど……よし。



「<氷の柱よ・目の前のもう一人の私を切り裂きなさい>……さよなら」


 詠唱は成功した。『あの日』の私の悲鳴は野次の声に掻き消された。武器の素材が氷だからきっと証拠も残らない。これで良かったんだ。


「……あの、えっと、あなたは」

「ああ、瑠佐蒼唯るさあおいさん。もしよろしければ私と一緒についてきてくれませんか?」



 *



 それから私は、遠く離れた町で蒼唯さんと二人で暮らした。一颯ちゃんたちのことが気がかりだったが、もう今の私に確認出来るような術は無かった。

 蒼唯さんも私のことを親のように慕ってくれていたし、かつてじゃ考えられないくらい良好な関係を築けたと思う。


 ――もう、思い残すことは無いな。


 ……でも最後に一つだけ、やり残したことがある。二十八年間の人生では気づけなかったけれど、同じ時をもう一度繰り返してやっと見つけたこと。


 『勇者』を信じるあの子達がまるでかつての自分のようで。そんな彼らのことを見ていたらまた『神様』のことを信じてみるのも悪くないかなって思って。


 今からやろうとしていることが命と引き換えになるのは重々承知しているけど、どうせもう残り短い命なんだ。遺言状は既に蒼唯さんに託した。よし。


 私は一人、かつての自宅に向かった。また『神様』に会うために。最期の神頼みをするために。

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