始末書:たったひとつの祈り

 これは、『マリー』が逃げ出したときの話。



 あれから多分、何年かが過ぎた。同級生たちはきっと小学校を卒業して中学生になってるだろうか。そうだ、それならお兄ちゃんも伶さんももう高校生か。二人ともどこの高校に行ってるんだろう。

 日付感覚が多分、と曖昧なのはほとんど部屋にいるからっていうのと、たまに仕事をするときはあの仮面を着けているせいで記憶が途切れているからだろうか。




 正直、もう限界が近づいていた。いつまで経っても願いを叶えてもらえるような気配は無いし、それよりも日に日に外に出たいという気持ちが大きくなっていってしまって、どうしようもなくなってしまっていた。


 少し前までなら、そもそもどうやってここから出ればいいのか分からなかったから考えてもどうしようもなかったが今は違う。一度だけ仮面が外れてしまった際、偶然にも出入口の場所を把握することに成功した。どうやら転送魔術を用いているらしい。


 ただいつも監視の目が光っている状態で、脱け出すなんてことは当然容易ではない。そんなことは誰だって分かっている。

 だから私はなるべく、早朝を狙って計画を遂行することにした。日が昇る前の、暗いうちならきっと誰とも鉢合わせることは無いだろう。




 そして計画当日。誰もいないことを確認しながら部屋を出る。もちろん、マリーも一緒に。詰められるだけ詰めた荷物も持って。ルートは頭の中で何度もシミュレーションしたから大丈夫だ。この角を曲がって、よし


「……誰かそこにいるんですか?」

 誰かがこちらに気づいた。瞬間、心臓が凍りつきそうになった。手先から血が引いて冷たくなっていくのが分かる。それにあそこにいるのは……


「あら、『マリー』。こんな早朝に何をして」

 『ルゥ』さんは私の表情を見て、これから何をしようとしているのか気づいたんだろう。どうしよう、バレてしまった。


「……あなた、まさか」

「えっと、これは、あの、違」


「なにがどう違うの、言ってみなさい」

「それは、それは……」

 まずい、言い訳を考える以前に言葉が上手く出てこない。終わった。



「……出口ならあっちよ」

「え……?」

 きっとこれから捕らえられるのだろう、と諦めて目を瞑っていた私にかけられた言葉は、あまりにも意外なものだった。


「私は他の人みたいに仲間のことは咎める気にはなれないわ。それにあなたの顔、今にも壊れてしまいそうだもの」

「え、あっ、えっとその」

「ほら急がないと人が来てしまうから、行きなさい」

「あ、ありがとうございます」

 『ルゥ』さんの言葉を無駄にしないために、私は全力疾走で出口に向かった。ここで転送魔術の装置を起動して……よし!

 ――さよなら、もう二度とここに戻ってきませんように。『ルゥ』さんと離れ離れになるのは残念だけど、出来ることならまたいつか会えますように。



「……『ルゥ』、こんな朝早くからここで何しているの。そういえばさっき転送装置が何者かに不正に使用されたみたいだけど見てないでしょうか」

「『アリア』……いや、少し確認してみたけどただの誤作動だったみたい。特に問題無いよ」



 *



 ――痛っ、……ここは? 草原?

 どうやら私は転送の衝撃で少しの間、気を失っていたらしい。飛び出してきたときはまだ明け方だったのに、気づけばすっかり明るくなっていた。少し遠くの向こうには街が見える。


 久しぶりにちゃんと吸う外の空気はとても美味しかった。ここからまた、『卯野原祈莉』としての生活が始まる。少し前までは、それが何てことない当たり前のことだったのに、今はとても幸せだった。



 街へ向かう足は止まることを知らなかった。早速どこへ行こうか。とりあえず前に行こうと思ってた図書館に行きたいな。あ、でもマリーが一緒だと入れないのか。じゃあ少しだけ観光でもしようかな。


 なんて街を歩いていたら、遠くにいた人がふと目についた。あ、伶さん、伶さんだ! 横にいるのは前に言っていたお屋敷の人たちだろうか。うん? もう一人誰かいる。そこにいたのは



「あれ、お兄ちゃん!? ……どうして」

 人違いなんかじゃない。正真正銘、紛れも無く私のお兄ちゃんだった。なんで? どうしてここに!? ソーサリアに!? まさか私のことを探しに?

 どうしよう、声をかけたほうがいいんだろうか。でも今更なにを話せばいいのか分からない。視線を感じる。きっと向こうもこっちに気づいている。どうしよう。……いつの間にか私は無意識のうちに物陰に隠れてしまっていた。


「は、あはは……私ってば本当に意気地なしだなぁ。ねぇ、マリー」



 *



 数日ならば持ち出してきたお金でなんとか生活することが出来たが、どれだけ節約だとか気をつけていてもすぐに底を尽きてしまった。

 歩いていたら質屋らしき店があったので、もしかしたら何かしら価値があるかもと思って持ってきたあの例の仮面を出してみたが、鑑定不可とのことで売ることすら出来なかった。

 これから東堂さんのところに行ってみようか。そもそも数日しかいなかった私のこと覚えてくれているだろうか。とりあえず動かなきゃどうにもならない。


 えっと、確かここの通りの、あった。金剛堂だ。よかった、東堂さんもいる。よし、深呼吸して。


 あれ、東堂さん以外にもちらほらバイトらしき人がいる。まぁあれから何年か経ってるし従業員も増えたんだろうな。……しかもあれ、もしかしなくてもお兄ちゃん、お兄ちゃんだ! なんでここにいるのかは分からないけどもしかしたら一緒に働いたり出来たりして。お兄ちゃんは誰かと楽しそうに会話していた。私も仲良くなれたらい



「――なんで、うそだ、なんで」

 お兄ちゃんの話相手の顔を見て私は頭の中が真っ白になった。と同時に体中の力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまった。


 お兄ちゃんが楽しそうに話している相手は、紛うことなき私そのものだった。どうして? 私はここにいるのに

 その瞬間、私は今までずっと忘れようとしてきた、あることを思い出した。


 まさか、あいつはあのときの土人形――!



 そこからはマリーを連れて逃げた。かつてあそこは私の居場所だったはずなのに、そこには私の形をした『なにか』と、嬉しそうにしているお兄ちゃんがいる。どうして、どうして、どうして! あいつはただの土人形なのに! あんなの偽物なのに!


 食べることも休むこともせず、ただ人のいないところに隠れ続けた。機械人間だからか、いつもは摂っていたはずの食事を摂らなくても平気だったし、不思議と疲れることも無かった。皮肉にもそれが、私自身も既に人ではない『なにか』だということを嫌でも思い知らせてくる。私が二人いる、でももう卯野原祈莉はどこにもいないのかもしれない。



 どうしようもない絶望の中、私はあることを思いついた。


 そうだ、前に売ろうとして結局売れなかったあの趣味の悪い仮面。この仮面をつけたら記憶が無くなる。なら記憶が無いうちに全て終わらせてしまえばいいんだ。あいつさえいなくなれば、きっとお兄ちゃんだって話せれば私だって分かってくれる。


 決行は明日。記憶が無くなるのは怖いけれど、そんなこと言ってる場合じゃない。絶対にやるんだ、そして私の居場所を取り戻すんだ――



 *



 ……


 …………


 気がついたら私は、何もない空間で一人横たわっていた。辺り一面が真っ白に塗られた、言葉通りの無。でも不思議と眩しくはなかった。どこだろう、ここ。体は特に痛くはない。とりあえず起き上がろう。

 ああそうだ。私はあの後、土人形を倒すことには成功したけど、誰かに仮面を取られて。それでどうしたんだっけか。思い出せない。

 ……あれ、マリーがいない。どこに行っちゃったんだろう。でもきっとお兄ちゃんたちが見てくれているだろうし大丈夫だろう。


「災難でしたね、『マリー』。『アズ』が少し乱暴なやり方をしたみたいで、怪我は無いですか」

「え……?」

 振り返るとそこには、『リンネ』さんがいた。


「あれ程、連れ帰ってくるだけでいいと言っておいたのに。『アズ』には後で厳しく言っておきますから。でもまさか、あなたも逃げ出すなんて。そんな度胸があるとは思わなかったです」

 『リンネ』さんはそう呟いて、どこか向こうへ歩いて行ってしまいそうになった。


「ねぇ! 待って、やっとちゃんと会えたんだから話がしたいの! 私あなたのことをどこかで見たの! どこかは覚えてないけど、でも確かにあなただったの!」

 私が言い終わる前に、『リンネ』さんがピタッと立ち止まった。そして振り返る。


「……ええ、そうね。まさか、あなたが覚えているとは思わなかったけど」

「やっぱり。じゃあ一体どこで」

「――申し訳ないけど時間切れ、ね。この話の続きはまたいつかしましょう。そうだ、私からも言いたいことがあるの。これから先、ソーサリアでとても大きな災厄が起こると思うの。でも大丈夫、安心して。祈莉だけは助けてあげるから」

 『リンネ』さんは嘘も偽りも無いような表情でこちらに笑いかけていた。でもそこに何か底知れない恐怖のようなものを感じたのは気のせいなのだろうか。



 その瞬間、ひたすら続いていた地平線が予兆も無しにまるでパズルのピースが落ちていくかのように崩壊していく。一体何が起こって、


「これは……!? っ、そんな、どうして!? 何が起こって」

 『リンネ』さんもどうやら動揺しているようだった。マズい、このままじゃ落ちてしまう! どこか掴めるものは


「きゃあああああああ!」

 間に合わなかった。私たちはなす術も無く、そのまま崩壊に飲み込まれてしまった。ただ、なぜか体を持っていかれるかのような感覚ではなく、どちらかというと空中に浮かんでいるかのような不思議な感覚だった。




「……っ、あれ、痛くない?」

 思ったよりもゆっくりと落ちていき、やっと地面に足が着いた。また変なところに迷い込んでしまった。『リンネ』さんはどこにいるのだろうか。


「やっとここまで来ましたか、こちらへ。出口まで案内します」

 急に後ろから声をかけられた。振り返るとそこには優しそうな女の人が立っていた。とりあえず外に出たいし、私は彼女に言われるがままに着いて行くことにした。



「……えっと、あの。さっきまで私と一緒にいた人がいるんですけど」

「いいですか。これからもし、何があっても絶対にあの方の言うことだけは聞かないことを約束してください。あれは――」

 優しい声であるにも関わらず、底知れない威厳となにか複雑な思いを感じて思わず黙り込んでしまった。



「失礼、私としたことが少し話し過ぎてしまいました。さて、この先が出口です。……最後に。貴女は貴女の思うまま、魔術をずっと信じていてくださいね。それでは、またいつか会いましょう」

 そう言い残して彼女はどこかへ行ってしまった。そういえばあの人、誰だったんだろう。またいつか、って言ってたし聞いておけばよかった。

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