平穏が崩れる音
相手が何を言ったのか、理解するのに少しだけ時間がかかった。でも確かにはっきりと聞こえた。『卯野原祈莉を始末する』、と。
一体、祈莉が何をしたっていうんだ。祈莉はそんな誰かの恨みを買うような奴じゃない。確証は無いが、断言は出来る。
だから。そんなことさせない。絶対にされてたまるものか。せっかくまたこうやって会えたんだ。今度こそ手放したりはしない。
「祈莉とアンは下がってろ! 東堂さん、この間みたいに後ろからの支援、お願いします!」
「お、おう。君一人で大丈夫か? ……まぁ言っても止まらないか。分かった。<奥底に宿りし力よ・秘められた力を解き放て>――とりあえず、これから助けを呼んでくるからそれまで待っててくれ」
よし、いける。勝てるなんて自信は勿論だが無い。でも今回は相手が一人しかいないんだ。例え倒すことが出来なくても、せめて守るくらいなら出来る。
「お前、『マリー』とかいったな? 来い! 祈莉じゃなくて俺が相手だ!」
強がって宣戦布告してみたものの、いつまで経っても相手が俺に攻撃してくる気配が無い。それどころか仮面の下からこちらをじっと覗いているかのように思えた。傍にいる猫のような生き物が『にゃあ』と呑気に、気だるげに欠伸をしている。
「何だよ、あんなに始末するとか言っといて攻撃してこねぇのか」
「はぁ。……
「なにを……っ?!」
『マリー』が命令すると同時に、
気づけば俺は
「……あなたはしばらく、そこでじっとしていてください。さぁ。卯野原祈莉、大人しくこちらに来なさい。さもなくば」
「分かった、行くよ」
祈莉は毅然とした態度で、はっきりとそう答えた。
「祈莉!? 俺のことはいいから、頼むからそいつに着いて行くな! 行ったらお前はきっと殺される! 祈莉!」
「なんて言うとでも思ったの? <大地の恵よ・私たちを守る力を貸して!>」
祈莉がそう唱えると、俺の周りにいた
「私だってあなたと同じように錬金術を使えるの。……ここからは、私も戦うよ」
「……はぁ、
直後。先程とは比べ物にならないくらいの轟音、いや爆音が一面に響いた。土埃どころじゃない、目を開けたままだと破片が目に刺さりそうだ。
十数秒後。やっと目を開くことが出来た俺は、そのあまりの光景に絶句した。
さっきと全く同じような造りの
「……さぁ、
「……ああ、そう」
アンは心底複雑そうな表情をしていた。かつて味方だったはずの、敵にこのような形で守られて。彼女にとってはありがた迷惑もいいところだろう。
「……アンさんにまで嫌な顔させて! いい加減にしてよ! いっけぇええ!」
痺れを切らした祈莉が全速力で
だが俺の予想とは裏腹に、
「……な、なんで、どうして!?」
『マリー』は動揺したかのような、情けない声を漏らす。
「知ってる? 錬金術の基本。生成される物の強度は素材によって変わるの。私が持ってる剣はあなたが生み出した
「……なら! それなら数を打てばどうにだって」
「もう、やめようよ。私に何の恨みがあるのか、知らないけどこんなことしたってきっと意味無いよ」
祈莉は『マリー』に近づいて、手を握って、寄り添おうとしていた。……が。
「……ふ、あはは、あはは。無意味? それをあなたが言うの? こうやって話して分かり合えるなら魔術なんていらないんだよ!」
微かな希望が見えたような気がしたのもつかの間、『マリー』は祈莉の手を乱暴に振り払った。
「なっ、お前! 一体何のつもりだ! 祈莉が向き合って話し合おうとしてるのにそれを」
「……うるさい、うるさいうるさい! あいつは私の、私の大事な……ひぐっ、うぐっ、」
叫んでいたかと思えば急に泣き出してしまった。どうしよう。敵とはいえこうやって泣かれてしまうと弱い。
「……絶対に許さないから、私はあなたを始末するまで」
「いい加減にしろ。俺の店とうちの従業員をこれ以上傷つけるのはやめてくれるかな」
いきなり、ものすごくドスの効いた声が聞こえてきた。俺に向けられたものではないはずなのになぜか汗が吹き出てきそうだ。
店の入り口のところには、今にも怒りが噴火しそうな状態だとひと目でわかる東堂さんと、腕を組んでこちらを睨んでいる一颯さんがいた。
「遅くなって申し訳ない。……ところで。
一颯さんは、そう優しく言いつつも半ば強制的に『マリー』の腕を縛る。あんなに魔術素がどうとか言ってた割に、抵抗するような素振りは一切見せなかった。
「はぁ。一件落着、かな? しっかし、最近変な客ばっかりだ。しばらくこの店開けない方がいいのかな……」
さっきまでの怒気はどこへやら、東堂さんは苦虫を噛み潰したような顔をしながら奥の部屋に戻って行った。
俺も片付け手伝わなきゃな。なんて床を見ていたら何かが落っこちているのを見つけた。あれ、どこかで見たことあるような。
「これって……?」
そうだ、見間違えるはずが無い。祈莉が今朝、無くしたって言ってたあの髪飾りじゃないか。どうしてこんなところに? あぁ。もしかして、ここで落としてそれっきりだったのだろうか。早く教えてあげなきゃ。
「なぁ祈莉、これってもしかしてお前の髪飾り」
その瞬間、入り口の方から目にも留まらぬ速さで何かがこちらに飛んできた。思わず目を瞑る。
……あれ。痛く、ない?
同時に、誰かが倒れる音が聞こえた。瞬間、皆の悲鳴が周囲に響き渡る。
その視線の先に目をやると――先程飛んできた何かが首元に刺さって倒れている祈莉の姿があった。そこを中心として真っ赤な血がみるみるうちに広がっていく。
「え、は、え」
あまりにも衝撃的な光景に上手く声を出すことすら出来ない。
「祈莉ちゃん! えっと、何か巻くもの、止血出来るものとか、とりあえずこれで」
奥の部屋から東堂さんが包帯のような物を持って走って来た。先程まで『マリー』を連行していた一颯さんもこちらに駆けつけて来る。
「……みん、な」
「声を出さないで! 大丈夫、きっとまだ助かるから!」
「お兄、ちゃ、ん」
「いの、り。だいじょ、うぶ、だから、な、ほら、この髪飾り、あったんだぞ、ここに」
せめて祈莉が少しでも安心出来るように、あの髪飾りを握らせようと手に触れたそのときだった。
祈莉の手の感触が、明らかにおかしい。少なくとも人間のものじゃない。
まるで土のような、砂のような。触ったところから徐々に崩れていきそうな。
幸い、爪先に触れた辺りですぐに異変に気づいて手を止めたから完全に崩れるような事態だけは避けることが出来たが。
「は、え、どうなってんだよこれ! なんで祈莉の手がこんな」
「お兄、ちゃん……今まで、ありがとう、ごめん、ね」
動揺する俺を差し置いて、祈莉はそのまま目を閉じてしまった。
「祈莉ちゃん! 祈莉ちゃん!」
「……祈莉、どうして……」
「くそっ! あたしが横にいたのにどうしてこんなことに……」
そこにいた皆が目を伏せる。俺もそのまま祈莉のそばに寄って大声を上げて泣きたかったが、不思議と涙は流れてこなかった。一瞬の間に、色々なことが起こりすぎたからだろうか。整理が出来ない。だけど、
「……お前のせいだ! お前のせいだ! どうせその仮面の下で薄ら笑ってるんだろ! 妹の仇は俺が絶対にとってやるからな!」
俺はまとまっていない、ありったけの感情を、怒りを、全て『マリー』にぶつけた。こいつだけは、こいつだけは絶対に許さない。
「……」
縛られたまま突っ立ってる『マリー』に掴みかかる。
「……勝手にあいつに触られそうになったから、仕方ないでしょう」
「何を意味分からないこと言ってんだよ。さっき祈莉に何をした。言え。何で祈莉の手が土みたいになってたんだ、言え! お前が何かやったんだろ!」
「……だから私は、私の一番大事なものだけはあいつに触られたくなかっただけって言ってるでしょう。そしてあれはただの時間切れ、だってあいつは」
「もういい、何も通じないんだな。俺には祈莉みたいに言葉で和解することは、お前と同じで無理みたいだな」
俺はそのまま剣を抜こうとした。……なんでこいつ、ここまでしても抵抗する素振りすら見せないんだよ。
「ストップ! とりあえず手を止めろ!」
ずっと横で見ていた一颯さんが、急に大きな声で制止した。
「やめてください一颯さん! 見てたでしょう、こいつは妹の仇で」
「いいから! ずっと気づけなかったんだけど、あたしが渡した情報に一つだけ間違いがあったんだ! その子は」
一颯さんが放った魔術がマリーにヒットした。咲織ちゃんが使うようなつむじ風くらいの威力に調整されていたから無傷なようだったが、それが上手い具合に仮面に当たって、そして割れた。……同時に素顔が顕になる。
「……え?」
思い返せば、気づけなかっただけで、確かに少しの違和感はあった。
何故か最初から祈莉だけを狙っていたこと。それから絶対に俺相手に攻撃を仕掛けてこなかったこと、そして抑えられても抵抗してこなかったこと。
そうだ、今朝の会話の『
極めつけはあの髪飾りを、他の人から見たらただのおもちゃのような髪飾りとしか言われないようなものを、『私の一番大事なもの』と言ったこと。そのことを知っているのはきっと伶と、俺と、祈莉だけで……
「……は? いやなんでそんなことあるはず、あるわけない、どうし、て」
その素顔は、さっき倒れたはずの祈莉と瓜二つ。いや、まさに祈莉そのものだった。
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