燻るメイラードは蜜の味

Planet_Rana

★燻るメイラードは蜜の味


 男をフったばかりの女が二人、一枚の網を挟んでトングを持つ。


「タレと塩、どっちが好き?」

「……焼肉のこと? 牛ならタレ、豚なら塩かな」

「うんや、肉は肉でも鶏肉の話」


 初めて来たというにしては慣れた風を装って、普段着飾りもしないという耳や指に装飾品がぎらついている。始めて引いたという口紅は薄いベージュのブルーベースで、肌の色とちぐはぐになっていた。


 とはいえ、それすらも気にならない薄暗さが夜の居酒屋の魅力でもある。


 相手の化粧ノリが悪くても、一段下がった台の下で足を組もうとも、斜めに対面して座れば何も気にならないのが特に良い。


 六人組で囲めばぎゅうぎゅうとできるような半個室で、彼女は口紅に肉の油を塗った。


「鳥肉を刺した串ものってあるじゃん。まあ『とりにく』といえば、雀でも鳩でも雉でも家鴨でも七面鳥でもいいわけだけど、ここで上げているのはニワトリのことね」

「はぁ。ようは焼き鳥ね」

「そう。日本人が大好きな食べ物の一つ、手軽に食べられてリーズナブルな、酒の肴というやつよ。それで、タレ派? 塩派?」


 言って、ストローに口をつけた。真っ黒なプラスチックが四角い氷をかきまわす。


 テーブルにはタレ皿と受け皿とノンアルコールなソフトドリンク。

 こちらはクリームソーダで、あちらはストレートティー。


 彼女も私も、焼肉を開始した時からお酒が入っていて。とてもじゃあないが車を運転して帰ることができなかった。タクシーを呼ぶ前に少しでも酔いを醒まそうと口にした甘ったるい炭酸飲料が、喉の奥で「じゅわり」と音を立てる。


 さて。ニワトリの話である。ニワトリ肉の話である。


 タレ派か、塩派か。そう聞かれて私は眉根を寄せた。この手の質問は先輩にも同級生にも元カレにもされたことがあったが、あまりいい思い出がないのだ。


 タレ派と名乗れば、相手が塩派だったときにバトルになる。逆の場合も然り。


 しかしどちらも好きだといえば「あぁこの人あんまり焼き鳥食べて来なかったんだなぁそれなら今からか……ちなみに私は〇〇派で!!」と、酒が入った故の長話に縺れかねない。何なら沼に引き摺り込もうとしがみついて来る人もいる。


 駄弁るのは嫌いではないが、押し付けはあまり好きではない。


「……美味しい方が好き」


 でも、取り敢えず本音で答えた方が後腐れは少ないだろうと判断して、私は素直な感想を述べた。


「このお店なら、タレの味が好みだからタレ、かな」

「そうなんだ」


 網にメラメラと火が点いている。豚の油と牛の油と、鳥皮がこびりついた所に着火したのだ。女性が店員に網の交換を申し出る。差し替えられたそれには新たな油が塗られて、焼く順番を気にしないのか、すぐに生の焼き鳥串が乗せられた。


 タレ串と、塩串が二本ずつ。


「まさかね。アタシもああなるとは思わなかったわけですよ」

「それは、そう」

「うん。だからさ、お腹いっぱい食べて吐き出すだけ吐き出して過去の男にしちゃおうよ。六股かけてやがったクズ野郎のちょっとした不幸を願うくらい、アタシらにも恨む権利があると思わない?」


 グリッターを塗った瞼が瞬いて、星が散るようにきらきらする。


「……恨むなんて、そんな」


 私は目を逸らす。

 目の前の彼女は首を傾げて、焦げ始めた鳥串をひっくり返した。


「優しいんだねぇ」

「そんなことはないよ」

「?」

「どうでもいいだけ。記憶に残すことすら、記憶要領の無駄使いだと思ってる」


 鳥串を回す。焦げになった塩串を受け皿にとって、上からタレをぶっかける。


 せっかくの塩味が台無しになるように。タレの甘辛さで塗り替えるように。

 噛みつくように引き抜いて、肉汁を舌で弄ぶ。堪能する。飲みこむ。


 食べ終える頃に顔を上げると、彼女は呆気にとられた様子でタレ串を頬張っていた。この女性は、何を考えているのかよく分からない。


「……結局、どっち派であって欲しかったの」

「いや別に。次誘う時、どのお店にしよっかなぁって」


 焼き上がったそれを口に運ぼうとして、受け皿の上に肉が落ちた。

 まだ暖かい鳥肉はタレの匂いをまとったまま。


 いや。そうじゃない。鳥肉の話だ。焼き鳥の話だ。


「次?」

「ええ。次」

「次って、私たちこの店で初対面なのに?」

「初対面だからこそ。二軒目行きたくない? 一晩じゃあ愚痴り足りないでしょ」

「……」


 それはまあ、そうか。


 私はじゃらりと指輪を鳴らす。耳には何連ものピアスとイヤーカフ。


 唇に空いた穴も襟首に覗く入れ墨も。これがペイントではなく彫り物だと知ったら、彼女はどんな顔をするのだろう。彼がつけた傷痕だと知ったら、どんな顔を。


 彼女は整った姿で、私は違う。

 脱色を繰り返してボロボロになった金髪と、染めを知らない一つ纏めの黒髪。


 違って、違う。


 けれどあの男は、彼女も私も虜にして、遊ぶだけ遊んで捨てたのだ。

 綺麗な彼女とボロボロの私を、同じように扱った報いを受けることになったのだ。


 何か余裕のある口ぶりをうっとおしいと思うのも、眼鏡の内側の視線が読めないのも。その事実ひとつでどうでもよくなった。どうでもよくなった自分が憎らしくて、愛しい。


 焼き鳥がなくなって、肉がこびりついた網があっという間に黒ずんでいく。


 見た目に、穢れを知らなそうな彼女は「クズ野郎」と口にした。私がどうしても言えなかった本音を代わりに口にしたようですらあった。


 似合わない口紅にグロスを塗りたくるように、焼き鳥が消えてゆく。


 私は嘘を吐いた。タレだとか塩だとか関係なく、私は鳥肉が嫌いなのだ。

 彼と始めて行ったデート先が、焼き鳥屋だったからだ。


 きっと、次の店で。彼女は焼き鳥を頼むだろう。私も焼き鳥を頼むだろう。


 お互いに何を思うかなんて知りたくもないけれど、今日のところは、思い出も胃の中に閉じ込めて溶かしつくしてしまえるように。


 ただただ、あの人が好きだったそれを飲みこむ彼女が滑稽だと思った。

 私はそれをみる為だけに、適当な相槌を打って肉に噛みついた。


 食らった記憶を吐き出すための千鳥足。

 貴方と私に、同じだけの呪いがありますように。




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