もうひとつの盟約 ☆伍

夜警やけい……ですか?」


 竜之介が目を丸くして反芻はんすうした。玲子が重々しく頷く。


「はい」


 生徒会室には、満瑠以外の役員と、Aクラス担任の鵜飼、そして三人の一年生、計九名が集結している。


 昼休み、ゆらと梨々花は言われた通りに生徒会室を訪れると、すでに竜之介が来ていた。


 三人がそろうと、玲子はさっそく本題に入った。


 そうして告げられた話はこうだ。


 現在、ある妖異――通称〝羅刹らせつ〟が各地で人間を襲い、食い殺しているという事件。


 いまだ調伏ちょうぶくできていないどころかその正体も掴めておらず、被害は出続ける一方。事件解決は難航しているのが現状。


 しかし調査を行う中で、降魔士側はある法則を見つけた。ひとつは、〝羅刹〟は三~五日の間隔かんかくで街や村を襲っていること。


 それからもうひとつ、被害のあった地を結んだときに、〝羅刹〟はどうやら一直線に南下しているようだ、ということ。


 そして、〝羅刹〟が軌道変更せずそのまま南下していくと仮定した場合、二つほど街をはさんだところで嘉神かがみ学園の最寄りである地区、香弥こうやの市街を通ることになるのだという。


 次に襲われるであろう街でも厳重に警戒態勢を取り、そこで迎え撃って調伏するつもりでいる。


 しかし、万が一そこを突破されてしまえば、香弥の地が狙われる可能性がぐっと高くなる。


 各地の降魔士は、普段から夜半時やはんどきに市街警備を行っている。香弥市管轄かんかつの降魔士も現状を鑑みて、警備体制を強化する方針を取るつもりだった。


 そこで降魔士側からの要請で、嘉神学園の降魔科生に出動依頼が来たのだ。〝羅刹〟からの被害を抑えるために、力を貸してほしいと。


「といっても、我々降魔科生は標的を調伏することが目的ではありません。あくまで被害を抑えることが最大の任務です」


 住民に被害が及ばぬようにすること。それが降魔科生に科せられた役割だった。降魔士が標的の調伏に集中できるようにするためである。


「もし、〝羅刹〟が現れた場合、降魔科生は即刻避難。交戦は降魔士が行います」


 必要があれば生徒会も加勢することになっているが、それ以外の降魔科生は守りに徹すること、との通達だ。


 そこで、その人員をAクラスから出すことになった。生徒会役員六名を筆頭に、三年生と二年生総出で任務にあたる。


 ――と、本来であれば、一年生を抜いたこのメンバーを作戦に参加させる予定だった。一年生は実戦経験が浅く、事件内容的にさすがに危険だと判断されたからだ。


 しかし、向こうの要請で、竜之介、梨々花、響の三名には出動の指名があったのだという。


 なんでも、この間の雷獣事件での活躍を認め、それに携わった響たちにも参加してほしいとのことだった。


 先月の百鬼夜行ひゃっきやこうの件に雷獣らいじゅう事件を経て、嘉神学園の降魔科生が非常に評価されている。ゆえに期待をかけられているのだ。


「そんな重要な案件に俺たちが……」


 竜之介の眼がきらりと光る。自分の実力が評価されていることが、竜之介には堪らなく嬉しかった。


 反面、梨々花は少しだけ不安を抱いていた。くだんの妖異は何十人と人を襲い、食い殺している。いまだに正体が明かされず、降魔士が取り逃がしているほどの非常に危険な存在であることに変わりはない。光栄なことだが、恐怖を抱いてしまうのは仕方ないだろう。


 けれど、こんなチャンスはめったにない。もし出没しても、戦うのは降魔士であって自分たちではないし、生徒会の先輩たちもついている。それなら大丈夫だろう。


 それに、こんなところで怖気おじけづいていては、立派な降魔士になることなんて夢のまた夢だ。


 己を鼓舞こぶし、梨々花は気を引き締め直した。


「――――」


 そんな中、響だけが呆然とその場に立ち尽くしていた。


 夜警? 夜警だって? 無理だ、そんなこと。できるはずがない。


 いつものものぐさを発揮したわけではない。これは面倒だとか、それ以前の問題だった。


「夜警は一週間後に始まる。このあとの特別授業の時間を使って、降魔士立ち合いの元、詳細を説明することになっている」


 話は以上だ、と言って鵜飼はいくらか語調を緩めた。


「昼休みにわざわざ悪かったね。きみたちには先に話しておかないとと思ってな」

「とんでもありません。こちらこそ、わざわざ知らせていただきありがとうございます。精一杯務めさせていただきます」


 生真面目に答えた竜之介は、それでは失礼しますと言って退室していく。それを追おうとした梨々花だったが、響がその場から動かないことに気づいた。


「響?」


 梨々花が不思議そうに声をかけると、響を一瞥いちべつした玲子がそっと口を開いた。


「――如月さんには別件でお話があるため、残っていただくことになっています」

「え、あ、そうだったんですか」


 納得した梨々花は、じゃ、先行ってるねーと響に一声かけ、一礼して生徒会室を出て行った。


 そうして、その場に流れたのは静寂だ。


 玲子が言った、響には残ってもらうことになっている、というのは嘘だ。そんな示し合わせは一切していない。けれども、こうなることを見越していたため、ああ言ったのだ。


 玲子が一年生三人を呼び出したのは、カモフラージュ的側面のほうが強い。この話は、本当は響に一番話しておきたかったことだったからだ。


「…………どうして、ですか」


 しばらくして、顔をうつむかせた響が絞り出すように声を発した。


「どうしてわたしまで……知ってるでしょ、わたしのこの〝さわり〟のこと」

「ええ、あなたが輝血かがちであることは承知の上です」


 一切のためらいもなく頷く玲子に、響は暗い目を向けた。


 警備は夜間に行われる。闇夜は妖異の活動領域だ。そんなところに響がいればどうなるか。輝血である響の血肉を食らって力を得んと、そこら中の妖異が寄ってくるだろう。


 隠形おんぎょうの術を使えば己の気配を絶てるのでまだなんとかなるかもしれないが、市街を警備しなければならない人間がそんなことをしてどうするという話になってしまう。


 事情を知らない降魔士や降魔科生にも不審に思われる。ただの臆病者おくびょうものと後ろ指を差されることになるだろう。


 別にそれ自体はいい。臆病者だろうがなんだろうが、周囲にどう思われても響にはこれっぽっちもこたえない。


 けれど、妖異に極上の餌として狙われるこの身をさらすのは嫌だった。否が応でも、妖異を引きつけてしまうことになる。


 そうなれば、被害は自分だけではなく、周囲にまで及んでしまう。〝羅刹〟どころか、関係ない妖異まで集まってきてしまえば、混乱に陥って作戦どころではなくなる可能性まで出てくる。


 そして、響が輝血であることの露見はまぬがれない。


 ちり、と微かな痛みが頭の最奥に走った。いつかの記憶が脳裏に顔を覗かせる。


 ずっと前、自分がいたせいで、巻き込んでしまったことがあった。


 ぐっと握った手のひらに触れる指先が冷たい。伏せた表情には微かに苦渋が滲んでいる。


 輝血は妖異を呼び寄せる。本人の意思に関わらず。


 ゆえに、響がこの作戦に参加するわけにはいかなかった。感情論を抜きにして、実際問題として逆に危険性を高めてしまうからだ。


 それを生徒会や鵜飼が承知していないはずがない。嘉神学園内で響が輝血であることを知っているのは、生徒会役員六名と鵜飼だけ。それなのに、どうしてそんなところに自分を含めたのか。


 もしや、それが狙いなのか。輝血である自分を利用して、〝羅刹〟をおびき出す。そういう策略なのか。


 響がキッと玲子を睨もうとして目線を上げる。ほぼ同時に、玲子が口を開いた。


「あなたをおとりにしようとしているわけではないわ。それは絶対よ」


 まるでこちらの心を読んだかのような言葉は揺らぎない意志がこもっている。機先を制されたことと、その力強い言霊ことだまに響はわずかにたじろいだ。


 玲子は一度息を吐き出してから、言葉を繋げる。


「けれど、降魔士からの要請は基本的に断れないの。こういった有事の際に人手として求められるのが、降魔科生なのだから」


 それに降魔士を目指している者が実戦に参加できなければ、降魔科に属している意味がないのだ。


 玲子とて、鵜飼から話を聞いた当初は悩んだ。響を参加させるべきではない。それは鵜飼ですらも思ったことだ。


 けれど指名が入ってしまった以上、断ることは困難であった。


 拒むには、相応の理由が必要となる。それに学園側としては、降魔科生が期待されているというのはとても名誉なことだ。結果を出せば、降魔士養成機関としての実績にも大きく繋がる。となれば、学園はこういった場面で降魔科生を積極的に送り出していきたいのだ。


 そして、降魔士側がこんなことを言ってきたのも、裏を読めば雷獣を倒したという響たちの実力を見定めておきたいという意味合いが強い。


 降魔士は、常に有望な才ある人材を欲している。人の常識を外れた化け物との戦闘という危険が伴う役職であるため、人の入れ替わりが激しいのが実情だ。


 だから、今のうちに目をつけておくのである。優秀な降魔士候補をできるだけ早く確保するために。


 そしてこれは降魔科生にとっても、自分の実力を見せる大きなチャンスでもあった。降魔士の目に留まれば引き抜きなどもあり得、降魔士への道がぐっと縮まって有利になる。


 両者にとって、とても大事な機会となり得るのだ。


 とはいえ、生徒会や鵜飼が手を回せば、響の作戦参加を取り下げること自体はできないことはない。しかし、それを実行に移しづらい理由があった。


 それは、響につきまとっている悪評である。


 降魔科最高クラスに所属しているにも関わらず、やる気がない上に今や廃れた古い術式を使う鼻つまみ者。


 それが現時点の響への評価だ。


 今はだいぶ落ち着いたが、ついこの間までは響が生徒会にこびを売り、気に入られているといったような噂が流れていた。


 生徒会メンバーや鵜飼は響についての諸々を承知しているので――承知した上で降魔科へと転科させたので、親身とも取れる対応をしている。だが、事情を知らない降魔科生からしてみれば、やる気のない転科生に生徒会がやたら目をかけているとしか思えないのだろう。それは仕方のないことだ。


 そういったことがあり、生徒会が下手に介入することもできない。周囲から、また響を特別扱いしていると捉えられかねないのだから。


「つまり、自業自得ということか」

「…………」


 氷輪がはっきり言うと、響はばつの悪い顔で黙り込む。


 玲子もそれについては何も言わない。言わないがしかし、わずかに目を逸らしたのが何よりの答えだろう。


 響がフリでもいいから、降魔科生に溶け込む努力をしていればこんなことにはならなかったはずだ。これは、響自身が招いた結果に他ならない。


「それはそれとして、だ」


 鵜飼が真剣な面持ちで響を見つめた。


「如月。こういうことはままある。降魔科生である以上、そしてAクラスにいる以上、これは避けられないことなんだ」


 そう言った担任の表情は厳しい。


 鵜飼も響の気持ちはわかっているつもりだ。今回に限っては、響は周囲への影響を考慮した上で自分が行くべきではないと言っているのだから。


 鵜飼は少し安心した。響は普段から周囲に対して無関心な態度ではあるが、きちんと周りのことも考えられるのだと。


 ……いや、だからこそ無関心にならざるを得なかったのかもしれない。そのほうが自分も他人も傷つかずに済むのだから。


 鵜飼は響の過去を知らない。無理に聞こうとも思わない。輝血である響の生い立ちなど、おいそれと聞いていいものではないだろう。これは玲子を筆頭にした生徒会メンバーも同じで、徐々に知っていければいいという考えだった。


 そんな響の心情をおもんぱかればこそ、彼女の意志を尊重すべきだ。しかし、今回ばかりはそうも言っていられなかった。


 今回の決断は、彼女のためでもあるのだから。


 もっと投げかけるにふさわしい優しい言葉もあっただろう。しかし、鵜飼は教師として、あえてこんな厳しい言葉を選んだ。


 実際問題そうだ。今後もこのような事態に陥ることは絶対ある。その度にあれこれ理由をつけて響を出さないというのは、さすがに無理がある。それこそ、多方面に支障が出てしまう。


 それは本当にどうしようもないときに使う切り札として残しておきたい。今回の夜警には生徒会メンバーがいる。響のそばにもつけるつもりだ。だから、まだ大丈夫だと踏んだ。


 鵜飼に続き、玲子もまた響を説得にかかる。


「如月さんを参加させる理由はもうひとつあるの。それは、単純にあなたが戦力になるからよ」


 響は嘉神学園を襲った窮地きゅうちを救い、雷獣事件においても雷獣調伏の一役を担っただけでなく、市街一帯によどんだ陰気を一掃せしめた。


 心持ちや性格に難があれど、その実力は確かなものだ。今では軽視されている古式降魔術をあれほどまでに使いこなせるのだから。


 それを玲子は目の当たりにしている。だから転科の際、他でもないAクラスに所属させたのだ。


 この作戦に参加させるに足る力が響にはあると、玲子は確信をもって言える。それに、ここで響の活躍が降魔科生の目に触れれば、少なからず周囲の彼女への評価も変わるはずだ。まぁこれは玲子の個人的な望みが入っているので、口には出さないが。


 自身の力が正当に評価されている。だというのに、それでも響の首はなかなか縦に動かない。


「私、は……」


 違う。あれらは成り行きでああなっただけで、自分が望んでやったことではない。だから、勝手に変な期待をかけないでほしい。


 だって自分は、他人のために降魔術を身につけたわけではないのだから。


 その気持ちが、響をかたくなにする。


 黙りこくった響に、玲子は何を思ったのか優しい口調でこう付け加えた。


「あなたが輝血だと露見しないよう、私たちが全力でサポートするわ」


 響が輝血だと知っているのは、生徒会と鵜飼以外では、玲子の父である幸徳井こうとくい定俊さだとしのみ。その他には一切隠している。


 降魔科生が実は輝血だったということが知られてしまうのは、色々と厄介だ。


 輝血を術者にしてはいけない、という厳密な決まりがあるわけではない。しかし、輝血が術者になればどうなるかは過去の文献通りなので、わざわざ術を教えようなどと思う術者もいるわけもなく。


 輝血にカデイ式は使えず、古式も教えられるほどの術者が今はほとんどいない。だから規則で禁じるまでもないとの判断で、暗黙の了解程度の認識となっているのだ。


 とはいえ、降魔科生に輝血がいることが露見すれば、大騒ぎになるだろう。きっと肯定的に捉える者は少ない。学園も言及を免れなくなる。


 その学園でさえあざむいているのだから、さらに面倒な事態になることは間違いない。


 ゆえに、響が輝血であるということは、なんとしても隠し通さなければならないのだ。


 そこで、愛生が声を上げる。


「ま、お前さんが出張るまでもなく、アタシらゴールデンコンビがその妖異ぶっ飛ばしちまうかもしれねーけどな。なぁ? ピース」

「ラブ、言葉が野蛮やばんだよ。でも、そうだね。ボクらもキミに負けてられないからね」


 相棒をたしなめながらも、和希は勝気な表情を響に向けた。


 要一も楓も、響を見ながら力強く頷く。


「私たちを信じてもらえないかしら」


 玲子の双眸そうぼうにまっすぐ見つめられ、響の瞳が揺れる。


 そこで口を開いたのは、それまで机の上に座って黙って聞いていた氷輪ひのわだった。


「響、諦めよ。これ以上駄々だだをこねるのは、時間の無駄であるぞ」

「別に、駄々なんか……」


 もごもごと反論する響を無視し、氷輪が目をきらりと光らせた。


「それに、そのあやかしとやらに興味がある。この白澤はくたくがひと目見れば、正体を見抜くことなど造作もない」


 氷輪は〝羅刹〟の正体を見極めたかった。何より、響を戦場に赴かせたいと思っている。


 輝血である響が、己の運命に立ち向かう姿を氷輪は見たいのだ。それが、幾星霜いくせいそうを生きる神獣が人間の式神に下った理由なのだから。


 場の視線が一斉に響へと注がれる。


「~~~~~~っ、あーもうっ」


 逃げ場を失くした響は諦めて、がくりと肩を落とした。


「わかりましたよ……」


 もうどうなっても知らないぞ、という半ば自棄やけの気持ちである。


 玲子がほっと息を吐き、眉を下げた。


「無理を言ってごめんなさい。でも、ありがとう」


 同じく安堵あんどで表情を和らげた鵜飼が、顎をさすりながら言う。


「とはいえ、まだそうと決まったわけじゃない。こちらの出番まで回ってこないかもしれないしな」


 次の出没予想地域には、厳重な迎撃態勢がかれる。名のある降魔士が何人も配置されるとのことで、そこで仕留められればこちらにお鉢が回ってくることもないのだ。


「そう上手くいくと、なんじは本気で思うておるのか?」


 氷輪が試すように一瞥を投げかけると、苦笑交じりに鵜飼は肩をすくめた。


「どうでしょう。上手くいってほしいところですが、こればかりはなんとも」

「ほう」


 氷輪はひゅんと尻尾をひと振りする。どうやらそこで会話は終わったようだ。


 そうしてこの件に関しての話は終わり、お開きとなった。






 ――その三日後。事態は急展開を迎えた。


 また、〝羅刹〟による被害が出てしまったのだ。


 最悪なことに降魔士の予測が大きく外れ、襲われたのは厳戒態勢をとっていた街ではなく、そこから随分と離れたところの小さな村だった。


 数十人の死傷者を出し、村は半壊。民家は破壊され、土地も大きく荒らされていた。まるで嵐が過ぎ去った後かのようなひどい有様。


 被害状況は、一連の事件の中で過去最大となってしまったのだった。



   ▼    ▼



「なんか、大変なことになっちゃったなー……」


 梨々花が暗い表情でぼそっとこぼした。その横にいる響は無言だ。


 二人は両手に荷物を抱えながら校内の廊下を歩いていた。例によって生徒会の手伝いである。


 玲子からの指示で資料室からいくつかの書類を持ってくるように言われ、目的を果たして生徒会室に戻る途中であった。


「ね、響もそう思わない?」

「そーかもねー」

「思ってないでしょ……」


 響の張り合いのないいつも通りの反応に嘆息し、梨々花は廊下の窓から外を見やる。薄暗い曇り空だが、雨は降っていない。視線を落とすと、グラウンドが目に入った。


 二階であるここからだと、全体が見渡せる。本来であれば、放課後の今時分は普通科生が部活動に勤しむ姿が見られるのだが、現在人影は皆無。連日の雨でグラウンドはすっかりぬかるみ、所々に大きな水溜まりを作っている。これではとてもじゃないが、外で活動するのは厳しいだろう。


 梅雨明けはまだ遠い。この先一週間もほとんどが雨予報だ。


 鬱屈うっくつとした気分が広がる。天候的にも、この現状においても。


 梨々花は重々しいため息を吐いた。


「まさか、降魔士の予想が外れちゃうなんて……」


 そのことを知ったのは、今朝のニュース番組だ。今や各種メディアでも大きく取り沙汰ざたされている。


 朝食時に食堂の大型テレビに映し出された被害にあった村は、見るも無惨むざんな状況であった。


 画面外から音声に混じったすすり泣きのような微かな声が痛々しく、事件の凄惨せいさんさをより物語っていた。食堂が暗鬱あんうつな空気になったほどだ。


 そして現在、予測を外してしまった降魔士が大バッシングを受けている。予測をあてにして他の地域への警備をおこたってしまったのだから、当然と言えば当然だろう。


 マスコミが行った街頭インタビューでは『市民の怒りの声』などと銘打って、民間人の降魔士に対する不満など、事態終息への早急な対応を求める声を取り上げていた。


 この事件が発生した直後から降魔士は動いてはいるのだが、結果を出さなければなんの意味もないと、今や降魔士への風当たりが強い。


 ともあれ、これで〝羅刹〟がどこに出てもおかしくない状態となってしまった。


 事態は一刻を争う。周辺各地の市町村に降魔士が配備され、香弥市でも来週に決行を予定していた作戦が今晩からに繰り上げられた。


「響は不安じゃないの?」

「何が?」

「夜警のことに決まってるでしょ? あたしたち、一回目から当番じゃない」

「不安ねぇ……あ」

「え、なに?」

「起きてられるかなぁ」

「そこ!?」


 響は肩をすくめた。不安というか、自身の輝血という障りについての懸念事項ならある。けれど、それ以外は特に思うところもない。思ったところで、どうにかなるものでもないのだ。


 もう知らねーの精神である。つまり投げやりだった。


「なんか、響を見てたら大丈夫なんじゃないかって気がしてきたわ……」


 頭痛に悩まされるように首を振った梨々花だったが、毒気が抜かれていくらか緊張がほぐれた。


 しばし無言が続き、二人が角を曲がると、三階に続く階段がすぐ目の前に現れた。ここを上って行けば、生徒会室にたどり着く。


 階段に足をかけ、少し上ったところで梨々花がふいに立ち止まり、後ろにいた響もつられて足を止めた。


 なにしてるんだといぶかりながら視線を上げると、梨々花の背中越しに踊り場にいる二人の女子生徒の姿が目に入った。こちらに背を向けてなにやらひそひそと話し込んでいる。響たちにはまだ気づいていないらしい。


 梨々花は目を瞬かせた。


佳澄かすみ?」


 見知った姿に思わず呼びかけると、びくっと肩を動かし驚いたような顔を向けてきたのは梨々花の寮の同室相手、早瀬川はやせがわ佳澄であった。


「梨々花……」


 話しかけてきたのが友人とわかった途端ほっとする様子を見せた彼女は、梨々花より頭半分ほど背が高い。腰まである髪の毛先はウェーブがかっており、切れ長の目は少しきつめの印象を与える。


 佳澄は梨々花が抱えている荷物を見る。


「生徒会の仕事? こんなときでもあるんだ」

「まぁね。でも今日はこれだけだって。こんなことになっちゃったから、先輩たちも忙しいしね」


 と、二人が話し始める。


 自分までそんなことに付き合う義理はないので、その脇を普通に通り過ぎようとした響だったが、佳澄たちにちょうど進行方向を塞がれてしまっているため、通るに通れず立ち往生する羽目になっていた。げんなりとして嘆息する。


「佳澄たちは、こんなとこでどうしたの?」


 言いながら、梨々花がちらと視線をずらす。佳澄と話し込んでいた小柄な相手にも見覚えがあった。響の同室相手の小坂まきなである。


 目が合うと、まきなが少しおどおどしつつ軽く頭を下げてくる。梨々花もどうもと軽く挨拶をした。


「う、ううん、なんでもない。ちょっと話してただけ」


 何かを誤魔化すようにぎこちない笑みで首を振った佳澄の目が、ふいに梨々花の一歩後ろにいる響へと向いた。まったくこちらに興味がないとでもいうように、窓の外をぽけーっと見ているその横顔を見て、佳澄が侮蔑ぶべつの表情を浮かべる。


「……梨々花、そんな子と仲良くしてるんだ」


 棘のある言葉に、梨々花は一瞬たじろぎつつも頷く。


「え、ああ、うん。ほら、せっかくなら仲良くやりたいからさ」


 努めて明るく返すと、佳澄はふぅんと冷ややかな声を発した。


「相変わらずだね、梨々花は。……それじゃ、私たちはもう行くから。夜警、頑張ってね」

「あ、ありがと」


 佳澄とまきなが階段を下りていく。そうすると必然響たちとすれ違うことになり、響の横を通り過ぎざま、二対の視線が一瞬響を睨んだ。


 それを響は無言で受け止め、すっと階段を上り出す。梨々花を追い越してすたすたと進んでいくと、あがりきったところで背後から声をかけられた。


「あの、ごめんね、響」

「何が?」

「え、いや、友達の態度がちょっとあれだったから……」

「はぁ、別に」


 そう返した響は、本当に気に留めていないようだ。


 どこまでも無関心で無頓着な当事者に対し、梨々花のほうが戸惑っていた。佳澄は見た目のせいできつい印象を持たれがちだが、接してみると普通に気のいい子なのだ。


 それなのに、そんな友人があんな態度を取ることに、梨々花は内心動揺していた。それに一緒にいたまきなの雰囲気も、氷輪から聞いていたとおりだった。梨々花に対しては普通だったが、響を見る目はどこか険悪で敵意を持っているようにすら感じられたのだ。


 近頃、友人の様子がなんだかおかしい気がする。付き合いが悪いのは、あちらにも都合があるのだろうし、こちらにも生徒会の手伝いなど事情があるので仕方ないにしても、あの態度は引っかかった。一体どうしたのだろう。


 気にはなるが、今は色々と立て込んでいて余裕がない。落ち着いたら、一度きちんと話してみよう。


 そう心のうちに決め、梨々花は響に話題を振る。彼女なりの気遣いのつもりなのだろう。それに対して、響は鬱陶しそうにしながら適当かつ雑な対応をする。


「――――」


 そんなやり取りが行われる中、響の頭上に載った氷輪が剣呑けんのんな表情の下で思考を広げていた。


 考えていたのはまきなたちのことだ。最初のうちは、ここまで嫌われるといっそ爽快だなと冗談半分に思ったものだったが、さすがに度が過ぎているような気もする。


 氷輪もまた、梨々花同様の違和感を持った。あの二人の女子生徒の雰囲気に、不穏な影を感じたのだ。


 その正体まではわからない。おかしなちょっかいをかけてこないといいのだが。


 氷輪は背後を一瞥し、何かを振り払うように尻尾をひとつ振った。


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