陰陽師の弟子 ☆漆


 ゆらはむすくれた顔で生徒会室の椅子に座っていた。


 そんな響に、要一よういちが鋭いにらみを利かせている。響がなんらかのアクションを起こそうとすれば、即座にそれを食い止めるために動き出すだろう。


 居心地が悪いったらない。響は暗澹あんたんたる気持ちで深々とため息を吐いた。


 この場に三人も生徒会メンバーがいるのに、そんな暴挙ぼうきょに出るほど響は馬鹿ではない。第一、先ほどの模擬戦のせいでそんな力はもう残っていなかった。


 なんなら最初は術で拘束されそうになったぐらいだ。玲子れいこの制止がなければ、今頃がちがちに束縛されていたことだろう。


 要一ほど露骨ろこつ過剰かじょうではないが、かえでもまた神経を研ぎ澄ませて響へ視線を送っている。


 響は気づいていないが、二人がこれほど警戒するのも仕方のないことだった。先の模擬戦で見たことがない術を使い、Aクラストップの実力者である玲子と渡り合っていたのを目の当たりにしたのだ。彼らは響に対して得体の知れなさを感じており、少なからず畏怖いふの念を抱いていた。


「さて――」


 響の正面に座していた玲子が口を開いた。


「結果として、あなたは勝負に負けました」


 響は悔しげに表情をゆがめながらも、続きの言葉を待つ。


「まず確認します。先ほどあなたが使った術。あれは、古式こしき降魔術ごうまじゅつですね」


 玲子の言葉に、楓と要一の眼がきらりと光る。それには気づかず、響は頷く。


そう、響が使っている術法じゅつほうは古式降魔術――元は陰陽術おんみょうじゅつと呼ばれていたものだった。


 陰陽術とは、まだ陰陽師おんみょうじと呼ばれる役職があった時代に陰陽師たちが駆使していた、陰陽道にのっとって構築された術のことである。古代中国から生まれた思想を元に、神道しんとう・道教・仏教など様々なものを取り入れた結果、日本独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系だった。


 その中で、神仏に助力を請い、神の力の一端である威徳いとくを利用して妖異を祓い滅する調伏法ちょうぶくほうのことを、今は古式降魔術と呼んでいる。


 この陰陽術は神仏の力を使うために非常に強力なものだが、結印けついんなどの正しい所作や長い呪文を唱えなければならず、なにかと手間が多い。それに霊力の消耗しょうもうが激しく、長期戦に向かなかった。


 そして、一番の問題は安全性だった。


 神仏の力を借りるというのは、その実非常に危険な行為でもあった。呪文や所作の中で少しでも間違えれば術が正しく発動されないばかりか、最悪の場合術が術者自身に返ってくることがある。


 これが、いわゆる〝たたり〟である。


 神の力をその身で受けると、精神に甚大じんだいなダメージを及ぼしてしまう。そのせいで、現役を退くこととなったばかりか、その後の生活すらまともに送れなくなってしまった術者が少なからずいたのだ。


 こういったデメリットが多いことが問題視され続けていた陰陽術だったが、そんな折に新しい呪術形態が提唱ていしょうされたことによって、斯界しかいで大きな改革が起きた。


 それが今現在汎用はんようされている降魔術――カデイ式と命名された改良型降魔術である。


 すべての始まりは、『霊晶れいしょう』の発見だった。


 霊力が充満している神聖な場所にのみ発生することが確認されたその鉱物は、なんと術式を記憶させておくことができるものだったのだ。


 それだけでなく、その鉱物は壊れにくく、ほんの小さな粒状の大きさでも効果を十分に発揮した。


 のちに霊晶と命名されたそれを、どうにか降魔術に取り入れられないかと研究と実験を重ねた結果、できたものがカデイ式降魔術なのである。


 つまりカデイ式とは、『霊晶を加工して作られた術具に予め術式を記憶させ、そこに霊力を注ぎこむことで刻まれた術を速やかに発動させる』という降魔術であった。


 誤作動防止のため、始動語を必要とするものも多いが、それでも爆発させる術ならば『ばく』といった任意の一言を添えればいいだけなので、長い呪文や所作などを必要としなくなったことが大きい。


 効率性、実用性、安全性が格段に向上し、カデイ式降魔術は瞬く間に降魔士たちの間に広まり、行使されるようになった。


 それにともない、カデイ式と区別するために古式降魔術と呼ばれるようになった陰陽術は必然的に廃れていき、今は確立されたカデイ式降魔術が主流となっている。


 降魔科生の制服に装備されている適霊機にもこの霊晶が使われており、符盤ふばんを始めとしたカデイ式術具のほぼすべてに組み込まれている。


 古式降魔術自体は、使ってはいけないというわけではない。だが、発展が進んだこの現代であえて古式を使う者は、よほどの目立ちたがり屋か命知らずの馬鹿ぐらいしかいない。


 現在第一線で活躍しているプロの降魔士ですら、実用性を重視してめったに使わないぐらいだ。嘉神学園降魔科を含めた降魔士育成機関で現在カリキュラムされているものも、当然カデイ式である。


 だというのに。


 玲子は響をじっと見つめた。先ほどの模擬戦で感じたが、響は目立ちたがり屋でも命知らずの馬鹿でもない。


 そんな半端なものではなく、事実、古式を使いこなしていた。実際に一戦交えたからこそわかる、紛れもない本物だった。


 そこで、玲子はある確信を得ていた。模擬戦中もずっと気になっていたことだ。


「あなたは土御門つちみかどと関りがある。そうですね?」

「…………」

如月きさらぎ響――これは偽名?」


 玲子の畳みかけるような問いに、響はようやく口を開いた。


「……本名ですよ」


 はぁっと息を吐き、ぼそりとこぼす。


「自分は土御門の人間じゃないですし」


 響の言葉にいつわりがないことはわかる。だが、少なくとも『土御門』のことは知っている口ぶりであった。


「ではなぜ、あなたは古式を使っているの? 誰があなたにその術を教えたのかしら」

「…………」


 またもや響が黙りこくる。そのとき、ダンッと机が叩かれる音が室内に響いた。ふいに立ち上がった要一が響に詰め寄り、そのむなぐらを鷲掴わしづかみする。


「いい加減にしろ!」


 ガタンッと音を立てて椅子が倒れ、半ば持ち上げるような形で響は強引に立たされた。


「貴様は勝負に負けた! こちらの質問に答えるという約束を破るつもりか!」


 首が締まっているため響は少し苦しげに、だがこの期に及んでもなお、ふてぶてしい態度を崩さなかった。


「一方的に、言われただけで……約束した覚えは、ない、ですけど」

「この……!」


 頭にカッと血が上り、要一が腕を振り上げた。


「やめよ、この阿呆あほうめ!」


 響を殴りつけようとした要一の腕が止まる。その表情が驚愕きょうがくに彩られていた。


 振り上げられた要一の腕にくさりが絡みついている。重りのついた鎖で、ピンと張られているせいで動きが封じられたのだ。その鎖の先は、楓に握られている。


「その手を放しなさい、副会長」


 次いで別の方向から放たれた強い言霊ことだまに、響の襟元えりもとを掴んでいた手が離れた。酸素が一気に入ってきて、響は軽くせき込んだ。


 鎖が緩まり、要一はがばっと振り返る。その先で、玲子が険しい表情を浮かべていた。


「以後、あなたが動くことを禁じます」

「だ、だが」


 言い募ろうとする要一を、玲子がえとした視線で遮る。


「これ以上勝手なことをするのであれば席を外してもらうわ、不破ふわくん」

「……申し訳、ありませんでした」


 要一は言葉を飲み込み、すごすごと自分の席に戻った。


 響は呼吸と襟元を整え、倒れた椅子を起こして座り直す。


「大丈夫か?」


 少し心配そうに声をかけてきた楓に、響はええまぁと返す。


「仲間の非礼をびます。ごめんなさい」


 玲子が頭を下げる。それを見て慌てた要一が、ばつが悪そうな顔をしつつ彼女にならって軽く頭を下げた。ただ響と視線を合わそうとはしなかったが。


 子どもかこの人は……と響が呆れていると、案じる風だった楓の表情が一転険しいものへと変わった。


「じゃがな、おぬしもなぜそうかたくなに答えようとせんのじゃ。そんな態度では、誰もがよく思わんじゃろう」


 楓の正論に響はぐっと言葉を詰め、口をへの字に曲げた。


「それは……」


 もごもごと口を動かしたものの、結局それ以上言葉を続けずに響は目を伏せて押し黙る。楓が再び口を開くより先に、玲子が言葉を発した。


「――口止め、されているのね」


 響の肩がぴくりと小さく跳ねる。


 その反応だけで十分伝わり、玲子はふぅと息を吐くと瞑目めいもくした。


「それならば、仕方ありません」

「玲子?」


 戸惑う楓に、玲子はそっと目配めくばせする。その意味を理解した楓はそのまま口を閉ざした。


「とはいえ、あなたをこのままにしておくことはできないわ」


 玲子の言葉に、響が憂鬱ゆううつそうに顔を上げる。


「如月響さん。あなたの処遇を今ここで決めることはできかねます。なので、正式に決定するまでは保留」


 そしてと繋ぎ、玲子は厳然げんぜんと言い放った。


「今後、降魔術の行使を固く禁じます」


 それを聞いた途端、響は思い切り顔をしかめた。それは困る。めちゃくちゃ困る。


「なんでですか」


 不服感丸出しでたずねると、玲子は表情を変えずに答えた。


「降魔の資格を持たない一般人による術の行使が禁止されているからよ」


 降魔士はみなライセンスを持っている。降魔士だけでなく、正規の降魔科生ももれなく降魔術を扱う公認の証が必ず付与されており、それらはすべて国で管理されている。なぜなら、降魔術を妖異調伏以外で悪用されるのを防ぐためだ。


 悲しいかな、降魔術を使ったことによる犯罪は普通にある。それに、しかるべきところで正しい術の使い方を学んで理解していないと、思わぬ事故を起こしてしまいかねない。こういったトラブル防止のため、非正規の人間が呪術を使うのは法令で禁止されているのである。


 響の表情が強張こわばる。そのことについては響も知らないわけではなかった。けれど、だからといって素直に従えない事情が、響にはある。


隠形おんぎょうは? それもダメなんですか?」


 せめてもの思いですがるように問うたが、玲子は非常にも頷いた。


「ええ、術の使用を一切控えてください。これに従えないというのであれば、今この場であなたを拘束させていただきます」


 その言葉に、要一と楓の身体に力がこもる。いつでも動けるように気を張っているのだ。


 響は押し黙り、再びうつむく。


「――じゃあ」


 少しして顔を上げた響は、玲子を半ば睨みつけるようにして言葉を吐き出した。


「もし妖異に遭遇したら? 抵抗せず食われろって、そう言うんですか」


 今までにない迫力に、さしもの玲子も一瞬言葉に詰まった。


「……っ、いいえ、そうは言っていないわ」

「ならどうしろと? 術を使わず丸腰まるごしで戦えって?」


 玲子は奇妙な感覚に捕らわれた。これまでの響は、何があっても低めのテンションを保ったまま飄々ひょうひょうとしていた。それが今は、静かだが明確な激情をはらんでいる。


 たしかに、自分の行動を制限されることは、誰しもいい気のするものではないだろう。しかし、響の場合はそれだけではない気がした。


 降魔士となるべく鍛錬を重ね、研ぎ澄まされたかんが玲子にそう告げている。


「少し、待ってくれるかしら」


 そう言って、玲子はポケットから正方形のチップのようなものを取り出した。


式鬼しき、起動」


 始動語に反応したチップがカッと光り、一羽の真っ白い小鳥の姿をとった。


 これは式鬼を召喚するためのカデイ式術具『召喚核しょうかんかく』という名称のもので、これを核として式鬼が実体を得るのである。


 式鬼がバサバサッと翼を動かし、玲子の指に乗る。本物の鳥と遜色そんしょくのない動きだ。


「監視として、この式鬼をあなたにつけます」


 小鳥型の式鬼を自身の目前まで持ち上げ、玲子は続ける。


「これに備わっているのは、霊力と妖気の感知能力。つまり、あなたが術を使ったり、妖異と遭遇したりした際に、それが私に伝わるようになっています」


 視覚と聴覚は機能していないから、最低限のプライバシーは守られるわ。そこは安心して。


 玲子はそう付け足したあと、今度は符盤を手にして式鬼にあてがった。


「――術式、結合」


 すると、符盤が淡く輝き、その光の粒子が式鬼に降りかかる。式鬼が一瞬光をまとい、まるで吸収するようにしてその光が収まった。


「それと、万一妖異に遭遇した際に、自動的に結界が展開されるように術を施しました。同時に式鬼から発信される妖異と遭遇の知らせを受けて、生徒会が駆けつけます。その間、この式鬼があなたを守ってくれるでしょう」


 これでどうかしら、と玲子は響の表情を窺う。胡乱うろんげに式鬼を見ていた響は、無遠慮ぶえんりょに小鳥を指さして訊ねた。


「それ、すぐ破られたりしないですよね」

「よほど妖力の高い妖異でもない限り、破られることはないと保証しましょう」


 玲子の確信に満ちた返答に、先の模擬戦で彼女が展開した結界を思い出す。


 これはもう従うしかない。どう食い下がったところで、これ以上の事態好転の見込みはなさそうだった。


「……わかりました」


 響は依然いぜんとして固い面持ちだったが、観念したように肩を落とした。


 それに玲子はほっと息を吐くと、再び表情を引き締めておごそかに告げた。


「生徒会で協議を重ねていき、意見がまとまり次第、追って連絡することとします。以上」






 生徒会室の引き戸が閉まるのを確認し、玲子はそっと息を吐いた。


 室内に張り詰めていた妙な緊張感も弛緩しかんしていく。知らず空気が重くなっていたようだ。


「やれやれ、とんでもないやつがおったものじゃ」


 疲れたように首を振って独りごちる楓に、玲子も同意を返す。


「何かあるとは思っていたけれど、想像以上だったわ」


 予感がした。牛鬼ぎゅうきを倒し、神獣を式神として連れているあの下級生がただ者ではないことはわかっていたが、それ以上に何か大きなものを隠し持っているのではないか――と。


「わざわざ模擬戦を持ちかけたのはそのためじゃな?」


 片目をすがめて視線を送ってくる同期に、玲子は黙然と頷いた。


 楓の言う通り、その予感の真偽しんぎをこの目で見定めたかったのだ。そのためには模擬戦が一番効率的だと判断した。相手の技量を手っ取り早く知ることができるからだ。


 そして、それは予想を遥かに上回る結果を残した。


「しかし、おぬしがあそこまで追いつめられるとは思わなんだがの」


 響の最後の一撃。普段の玲子であれば、相手の思惑を看破かんぱし、術中にはまることはなかっただろう。


「ええ、冷静さを欠いてしまったわ。私もまだまだね」


 玲子は素直に己の失態しったいを認める。響の使った術を目の当たりにして動揺どうようしてしまい、判断力が鈍った。


 それを抜きにしても、本当にギリギリの勝負だった。自分に制限をかけていたとはいえ、正直、あそこまで苦戦するとは玲子は思っていなかった。別に相手を侮っていたわけではないが、相手の技量が想像の範疇はんちゅうを超えていたのだ。


 降魔科主席の実力を持つ玲子がそう思うほどに、響の能力は極めて高かった。その実力は、Aクラスに匹敵ひってきすると言っても過言ではないだろう。


「でも、あれが『土御門家』によるものなら納得だわ」


 だから、模擬戦とはいえ相手と一戦交えている最中であるにも関わらず、玲子は一瞬我を失ってしまったのだ。


 玲子が険しい面持ちで呟いたのを聞きとがめ、気になっていたことを訊ねようとした楓はふと目線を移した。先ほど、玲子に一喝いっかつされてからじっとしたまま動かない要一を見て呆れる。


「ほれ、要一。おぬしはいつまでそう不貞腐ふてくされておるつもりじゃ」

「べ、別に、不貞腐れてなどいない」


 慌てたように言った要一は、そろそろと玲子を見やった。それを受けて、玲子が息を吐く。


「私は、乱暴なことは好きではないの」

「……浅慮せんりょだった」


 要一はがくりと肩を落とす。すぐ頭に血が上る彼に非があるのは間違いないが、あまりの痛々しい姿に若干の憐れみを感じさせる。


 楓はやれやれと首を振ると、仕切り直した。


「して、玲子よ。土御門とはどういうことじゃ」


 楓の言葉に反応し、居住まいを正した要一の表情も真剣みを帯びた。


「それは俺も気になっていた。まさか、あの」

「ええ。……土御門は、百五十年前まで、幸徳井こうとくいと並んで陰陽道の先陣を切っていた家門よ」


 土御門はその昔のうじ安倍あべ、幸徳井はその昔の氏を賀茂かもといった。


 この両家は、平安の世で大活躍していたあの安倍あべの晴明せいめいと、その師である賀茂かもの忠行ただゆきをそれぞれ祖先とする陰陽師の血筋である。


 陰陽道の二大巨頭であった安倍と賀茂は、時代を経てそれぞれ土御門と幸徳井に姓を変えてもなお、追随ついずいを許さず変わらぬ栄華を誇っていた。


 ――新しい降魔術が生み出されるまでは。


 新降魔術を提唱したのは、幸徳井家だった。幸徳井家が密かに陰陽術改良の研究を行っており、政府の改革で陰陽師という機関が廃止される直前でついに完成させた新降魔術――それが、幸徳井の別称からカデイ式と名付けられた降魔術なのである。


 古式で懸念されていた問題点をクリアし、効率性、実用性、安全性を説き、実際に妖異調伏に用いて古式よりも有用性があることを証明して見せたのだ。


 陰陽師稼業かぎょうの先陣を切り続けてきた名門中の名門たる幸徳井家が説いたのだから、その信憑性しんぴょうせいは折紙付き。降魔士たちはこぞってカデイ式を取り入れ始めた。


 そして、実はこのカデイ式降魔術の提唱が陰陽寮の廃止を後押ししたきっかけになったのである。


 それまで陰陽師が担っていた重大な役割である造暦ぞうれきもグレゴリオ暦の導入によって不要となり、明治のこの頃には陰陽道による占いの需要も大きく低迷していた。そんな状況下で、陰陽術よりも優れた新降魔術が普及し始めたのだ。ならば、もう陰陽師は必要ないだろうと。


 そうして、陰陽師の代わりに妖異退治の専門職として降魔士が設立されたのだ。


 そんな中、土御門だけはその流れに乗らなかった。どころか、カデイ式を忌避きひしていた節さえある。真意は明かされていないが、おそらく安倍晴明の血筋という矜持きょうじがあり、偉大なる祖先から脈々と受け継がれてきた技術を途絶えさせまいという思いがあったのだろう。


 しかし、時代の流れとは残酷なもので、みなこぞってカデイ式降魔術へ鞍替くらがえする中、古式に頑なに執着していた土御門家は必然廃れていき、やがて斯界しかいの表舞台からその姿を忽然こつぜんと消してしまった。


 以降、土御門家の消息は不明となっている。昨今さっこんでは土御門家はとうに廃業はいぎょうしてしまったのだとまことしやかにささやかれているほどであった。


 ――――が。


 それが今日この日、そうではなかったことが明かされた。


 玲子の話を聞いて、二人が息を呑む。


「そんな話、初耳だぞ」


 カデイ式の成り立ちについてはみな知っていたが、土御門についてはそんな家門もあった程度の知識しかない。なにより、授業でも詳細はまったく触れられていなかった。


「土御門については、その顛末てんまつからどこか口外してはならないタブーのように扱われているわ。だから、知らないのも当然よ」


 玲子がそれを知っていたのは、彼女が幸徳井の人間であり、現当主である父から教えられていたからだ。


 そして、どうしてそれを教えられたのか、今ようやくわかった。


 幸徳井と土御門には浅からぬ因縁がある。カデイ式を提唱したのは、他でもない幸徳井家だ。土御門が今もどこかで息をひそめ、自分たちを追いやったきっかけである幸徳井への恨みを晴らさんと動き出すのではないか。それを幸徳井家は懸念しているのだ、と。


 要一が疑問を口にする。


「それで、なぜあいつがその土御門の関係者だと言い切れるんだ?」

「あなたたちも見たでしょう。あの五芒星ごぼうせいを」


 模擬戦で響が使った術。あの中に、五芒星が描かれたものがいくつかあった。


 五芒星は晴明桔梗せいめいききょうとも呼ばれ、安倍晴明が陰陽道による五行の象徴として用いていた印だ。


 それが決定的だった。あの印を使うのは、安倍氏嫡流ちゃくりゅうの土御門以外にありえない。


「あの子の実力は本物よ。よほど腕の立つ古式術者でないと、あそこまで鍛え上げられない」


 如月響という存在。どういう経緯かはわからないが、あの普通科生がその技術を受け継いでいる。


 これは、降魔術者としての土御門家はまだ生きていることの証左であった。


 模擬戦を行って正解だった。それが発覚しただけでも大収穫だ。玲子はひそかに拳を握る。


「だが、そこまでの実力があって、どうしてあいつは降魔科ではなく普通科へ行ったんだろうな」


 古式使いとはいえ、降魔士になれないということはない。それに降魔士の資格を持っていなければ、術具も満足に買えないというのに。


 不可解そうな顔をしている要一に、玲子が答える。


「口止めされているから、だと思うわ」

「先ほども言っておったな」


 目を向けてくる楓に、玲子は頷いてみせた。


「降魔科へ入ってあんな術を見せたら、嫌でも聞かれるでしょう。けれど、それは話せない。だから普通科に入ったのだと、私はみているわ」


 なるほど、と楓は納得した。


「その仮説どおりならば、あやつになんらかの術がかかっている可能性がある。そう、おぬしは言いたいんじゃな? 土御門に関することを口にすればのろいが発動する、と」

「ええ」


 玲子は厳しい表情で息を吐いた。


「あの子自身に降りかかるものかもしれないし、周囲を巻き込むような呪術かもしれない。どちらにせよ、現段階で無暗むやみに深追いができる状況ではないことは確かでしょう」


 術をかけたのは、おそらく土御門の者だろう。玲子は響に術を教えた本人だとみている。


 百年以上行方をくらましていた土御門家だ。それが関わっているとわかった以上、何が起こるか想像がつかない。警戒するに越したことはなかった。


「その辺りも含めて、これから今いないメンバーを加えた全員で、慎重に協議を重ねていかなければならないわ」


 玲子の厳かな発言に、二人も重々しく頷いた。


「まさかあんなふざけた奴が、そんな秘密を持っているとはな……」


 要一が信じられないという表情で呟いたのを聞きとめた楓が、そうだと彼に苦言をていした。


「それにしても要一、あれはさすがにやりすぎじゃぞ」

「あれ?」

「襟を掴み上げ、殴りつけようとしたことに決まっておるじゃろ。まったく、一体何を考えておるんじゃおぬしは」

「あ、あれは無礼な態度ばかりとるあいつが悪いだろ!」

「限度というものがあるじゃろうが。下手すればセクハラじゃというのに」


 そこで、要一はきょとんとした顔をして首を傾げた。


「セクハラ? なんでそうなるんだ?」


 場に沈黙が流れる。そうして、玲子と楓が同時にため息を吐いた。


「やはり気づいておらんかったか……」


 楓は眉間をつまんで首を振った。胸ぐらまで掴んでおいてなおわからないとはどこまで鈍感なのだ、この男は。


「な、なんだ? どういうことだ?」


 二人の反応の意味がわからずおろおろとしている要一に、楓は仕方がないとばかりに肩をすくめ、言い聞かせるようにして教えてやった。


「よいか、要一。如月響、あやつは女子生徒じゃぞ」



   ▼     ▼



 真っ暗な部屋の中、窓から煌々こうこうと月の光が差し込んできている。窓際の壁にもたれていた響は、それを肩越しにぼんやりと見ていた。


 ふいに、机の上に置いてあったスマートフォンが震えだした。マナーモードにしているため、着信音は流れずバイブ音だけが断続的に響く。


「鳴っておるぞ」

「……わかってるよ」

「出ずともよいのか」

「……出なきゃねー。出たくないけど。ほんっとに嫌だけど」


 そう言ってからようやく響はスマホを手に取ったが、なおも出ようとしない。電話は切れる様子を見せず、依然として鳴り続けている。


 ものすごく嫌そうな顔で画面を見つめていた響は、やがて深々と息を吐いた後に通話ボタンをタップし、ゆっくりと耳元へ持って行った。


「……はい」

『ずいぶんと時間がかかったのね。なあに? 私と話をするのが久々だから緊張しているのかしら?』


 電話に出た途端、よく通るあやしげな声が耳元に忍び寄ってくる。


「いや久々って……三日前にしたばっかな気がしますけど」

『あら、三日も経ってるのよ? 私は寂しくてたまらなかったわ。あなたは違うのかしら』


 声音から真意が読み取れない。響はこの人のこういうところが苦手だった。


疲れたように首を振ると、響は電話がかかってきた理由を知っている上で白々しく尋ねる。


「で、なんの用ですか。定時連絡は一週間に一回だったはずですよね」

『あなたの声が聴きたくて?』

「…………」


 黙り込むと、スマホの奥でくすっと笑い声が聞こえた。


『響の声が聴きたいのは本当よ? いつでもどこでも聴いていたいわ』


 響の背筋にぞくっと悪寒おかんが走る。聴きたいという声はたぶん、いや絶対〝元気な声〟だけではない。


「話が逸れてますよ、先生」

『逸れてなんていないわ。言葉でなくとも、私のいとしい生徒の声はずっと聴いていたいもの』


 響は頭をがりがりと掻き回した。


「あーすみません明日早いしそろそろ寝たいんで切りますねおやすみな――」

『響』


 一気に言い切って通話を終えようと耳からスマホを離しかけた腕が止まる。名を呼ばれた途端、金縛りにあったように身体が硬直こうちょくした。


『私は、あなたの声が聴きたい、と言ったでしょう?』


 強い言霊が響を支配する。すべての自由が奪われた気がした。


 思考も、呼吸も、なにもかも――。


『ね? 聞かせてちょうだい?』


 瞬間、身体が一気に自由を取り戻す。


 響は空いている手をぐっぱっと動かしつつ嘆息たんそくし、不機嫌そうな声を上げた。


「……全部、わかってるんじゃないんですか」

『いけない子ね、響。報告は自分の口からしないと。ちゃんと教えたでしょう?』


 それとも、教え直したほうがいいかしら。


 つやっぽくも〝力〟が込められた声に、響の肩が無意識に震える。


 この人と話すとき、響はいつも心臓を鷲掴みにされているような感覚におちいる。それが堪らなく嫌だった。しかも、相手はそれをわかった上で意図してやっているのだから、非常にたちが悪い。


「弟子の軽口くらい、流してくれてもいいと思いますけど」

『そうね、私もあなたとずっと話していたいから、いくらでも冗談を言ってもらって構わないわ』


 響は危うく出そうになった舌打ちを寸前でこらえた。こちらは手短に済ませてさっさと切りたいのに、相手のペースに乗せられて全然本題に入れていない。いつもこうだ。


 響は首を振って気を取り直す。


「実は――」


 昨日と今日とで起こったことの仔細しさいを語る。雑に伝えると、かえってまた無駄な会話が増えることがわかっていたので、最初から詳しく伝える。そのほうが結果的に最短ルートなのだ。


『あら、入学して一ヶ月でもうバレちゃったのね。私の生徒なら、もう少し持たせてほしかったところだけど』


 くすくすと笑い声が聞こえる。響はばつが悪そうな顔で言葉を詰めた。


 今までは上手くやっていたのだ。牛鬼ぎゅうきさえ現れなければ――。


『牛鬼さえ現れなければ、って?』


 思っていたことを正確に当てられ、どきりと心臓が跳ねる。


『たとえ牛鬼が相手だったとしても、気を張って行動していればこんなことにならなかったんじゃないかしら』

「…………」

『自分が術者であることを知られたくないのならば、常に警戒していないと。迂闊うかつだったわね、響』


 ここへ来て初めてのまともな師らしい厳しい言葉である。まったくもってその通りだ。反論の余地もない。


 ぐうの音も出ず、悔しげに顔を歪める響をよそに、それはそうとと話が続けられた。


『何も話さなかったのね?』

「……話してたら、今こうしていられなかったでしょーね」


 土御門の関することの口外を禁じ、呪いをかけた本人が何を言っているんだと、響はジト目になった。これのせいで今日は相当苦労したのだ。


『ふふ、偉いわ、響。ご褒美をあげなくちゃね』


 いやいらないです。そう言いかけた言葉をなんとか飲み込む。


 この人はこちらが嫌がることを平気で、というか好んでしてくる節がある。ここは話を変えるのが吉だ。


「先生、わたしはこれからどうすればいいんですか」


 響は顔を上げ、天井を睨みつけた。寮の屋根に、生徒会長につけられた監視の式鬼が今もいるはずだ。学校からの帰り道も、ずっと響の頭上を一定の距離を保ちながら飛んでついてきた。


 寮の中にまでは入ってこなかったが、近くにいることは気配でわかる。本当に響が降魔術を使わないか、常時監視するつもりのようだ。


『さぁ? 無視すればいいんじゃないかしら』


 響からすれば、このどうしようもない現状に途方とほうに暮れるほどの深刻な悩みだというのに、返ってきたのは至極あっさりとしたものだった。


「それができたら最初から聞いてませんよ……」


 そんなことをしたら即刻拘束されてしまう。あの生徒会を自分ひとりで相手取るなど到底できやしない、ということはわかりきっていた。


『そう言われてもねぇ』


 気のない返事に、響は渋い顔をする。


「なんかアドバイスをくれるために電話してきたんじゃないんですか」

『そんなこと言ったかしら』

「……言ってないですけど」


 響はがくりと肩を落とした。やっぱりろくな答えが返ってこない。わかっていた。ええ、わかっていましたとも。


『でも、可愛い生徒のお願いだったら、先生として聞かないわけにはいかないわね』

「……あ、やっぱり自分でなんとかします」

『遠慮しなくてもいいわ。あなたと私の仲じゃない』

「いや遠慮とかじゃないんで。本当に大丈夫なんで。よくよく考えたら先生の手を煩わせるようなことでもなかったですはい」


 一息に言い切ると、そう? と面白がるような声が聞こえてきた。目を細めてほくそ笑んでいる様が目に浮かぶ。


「報告は済みましたし、そろそろ切りますよ。夜も遅いし、先生の睡眠をさまたげるのも悪いですし」

『あら、悪いだなんて、そんなことはないわ。睡眠よりも愛しの生徒との交流のほうがずっと大事だもの』

「……先生」


 思わず抗議の声を上げると、くすくす笑いながら冗談よという言葉が返ってくる。げんなりする響だった。


『名残惜しいけれど、今夜はここまでね。――式神にもよろしく伝えておいてね?』


 響はちらりと氷輪ひのわを見て、はいと返す。


「じゃあ、失礼します。おやすみなさい、先生」

『ええ、おやすみ、響。いい夢が見られるように祈っているわ』


 通話を切った後、響はずるずるとしゃがみ込み、肺が空になるほど息を吐いた。どっと疲れた。なんなら模擬戦よりも心身ともに何かが盛大に削られた気がする。


 額に浮かんだ汗を乱暴に拭う。いつの間にか、真夏でもないのにけっこうな量の汗をかいていた。


 なにがいい夢が見られるように、だ。思ってもいないくせに。おかげで悪夢しか見なさそうで、眠るのが億劫おっくうになってしまったではないか。


「はぁ……、この一日で寿命が一気に縮んだ気がする」


 ぼやく響へ、それまでずっと黙っていた氷輪が声をかける。


「汝は本当にあの人間をいとうておるな」

「厭うっていうか、苦手なんだよ。怖いし、あと怖いもん」


 響は本気で嫌そうな顔をする。お得意の千里眼せんりがんで何もかもお見通しなくせに、からかうためだけにあえてわざわざこういうことをしてくる。底意地が悪い。


「氷輪によろしく、だってさ」


 切り際に言われたことを響が伝えると、氷輪はふんと不機嫌そうに鼻を鳴らし、ぴしりと尻尾を振った。


「で、策はあるのか?」


 氷輪が言ったのは、現状打開の策のことだ。しかし、響はひらひらと手を振った。


「そんなもんないよ。あの人が出しゃばってこないように適当言っただけだし」

「汝な……」


 呆れる式神に対し、響はひと際気だるそうにうめいた。


「あー今日はもうなーんも考えたくない。もうなるようになれってんだー」


 響の心身ダメージが限界を超え、なにもかもがどうでもよくなり投げやりになる。


「だーもう、今日は疲れた。本当に疲れた。すっごく疲れた」


 疲れたを連呼しながら、響はベッドに倒れこんだ。


「あの勝負――」


 もそもそと布団に潜り込む響を見ていた氷輪がふと声を上げる。


「昨日の一件がなければ、汝が勝っていたであろうな」


 返答がない。もう寝てしまったかと思った矢先、あくび交じりの言葉が返ってきた。


「なに言ってんの。昨日のあれがなきゃ、そもそも模擬戦なんてしなくて済んだし、こんな面倒なことにならなかった。それだけ、だよ……」


 言葉尻が途切れがちになり、なんとか言い切ったところで寝息が聞こえた。


「――――」


 氷輪は眠りについた主から窓の外に目を移し、夜更けの暗幕あんまくにぽっかりと浮かぶ欠けた月を眺めた。

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