封印された森

因幡寧

第1話

「なんて野蛮な!」


 そんな声が後ろから響いた。振り返ると少し遠くに小さなナイフのみを腰に付けた長身の男性が立っている。その背には籠が背負われており、中には多種多様の果実が詰められていた。


 俺は口の中に入る寸前だった焼き鳥を包み立ち上がると、その男性に向き直る。


「誰だ? こっちは食事の時間だったんだが?」


「……食事だと? それは、肉ではないか! この外道が!」


「いや、えぇ……?」


 長身の男はナイフをこちらに向け敵意を露わにした。


「そもそも、貴様はどうやってここに入りこんだのだ! ここは我が一族がおさめる森。貴様のような邪悪なものが迷い込むことがないよう強力な結界に守られた場所であるぞ!」


「……その強力な結界とやらはお前の後ろに広がっているそれじゃないのか?」


「なに?」


 男は後ろを見て、またこちらに向き直る。再び見えた男の表情は困惑しているようだった。


「何故だ。私は確かにいつものルートからは外れていないはずだ。それなのにここは結界の外だと? いやそもそも外に出られるはずが……」


 男の意識が俺から逸れ、向けられていた敵意もどこかに離散する。暫くしても男が考えるのを止めないので、俺は改めて座り込んだ。


「俺は突然現れたこの森を調査しにきた」


「突然現れただと?」


「ああ。それでさっきの口振りからするとお前はその結界の内側からやってきたんだな? なら、この森について知ってることを教えてくれないか」


 男は結界を見上げると、話をするには少し距離がある位置に座り込む。


「いいだろう。私も気になることがある。……だがそれ以上は近づくなよ。肉を食うやつのことを信用することはできない」


 肉の何がいけないのかとそう思いながらも俺はとりあえず頷いておくことにした。


「……私はこの結界の中にある村の出身だ。長年この森とともに生きてきた。私たち一族はある本を封印するためにこの森と生きる決意をしたと聞いている」


「ある本?」


「それがなんであるかは私もよく知らない。だが今、その封印が何らかの影響で弱まっているのかもしれん。私たち一族はこの森とともに生きる決意をしてから結界の外に出ることはかなわなかったのだ。それなのに私は結界の外にいる。加えてどうやら結界の範囲は確実に狭まっているようだ。これがいつからのことだったのか私にはわからない」


「外から見た限りの話だが、結界はこの森が突然現れてから徐々にその範囲を狭めていると報告されている。少なくとも今いるこの場所はもう十日も前に結界の外に露出していた」


「十日前だと? 私は一週間前にもこの道を通ったのだぞ。その時には結界の外に出るようなことはなかった」


「だが俺は十日前に一度この場所で野宿してるぞ。その日と同じようにこの場所で休もうとくつろいでいたところにお前がきたんだ」


 俺は見回して木に括り付けたしるしを確認する。近くに自分のつけた傷も確認でき、確かにこの場所だったと確信することができる。思い違いなどではない。


「……よほど自信があるようだな。まあいい。もうすぐ夜も明けるだろう。その時にもう一度周りをよく確認してみようじゃないか」


「……? 太陽はさっき落ちたばかりだぞ」


「そんな馬鹿な。私は太陽が昇る少し前に見回りも兼ねて果実を集めるのが日課なのだ。もう半刻もすれば……。いや、これは朝の空気ではない……?」


「だから言ったじゃないか。太陽はさっき落ちたばかりだ」


 俺の言葉に男は何かに気づいたようだった。目を見開きわなわなと手を震わせている。


「……今の暦は何年だ」


 男のその問いに、俺も一つの可能性に気が付いた。


 ――男の知る暦年と俺の知る暦年は驚くことに五百年ほど時間のずれがあった。男のほうの暦年がはるか先を行っている。


「つまり、この結界の中は時間の流れがずれているということか」


「おそらくそういうことであろう。五百年か、よく言語が通じるものだな」


「確かに言われてみれば少し古めかしい響きを言葉の端々から感じることはあった。もう少し早く気付くべきだった……」


 その時俺の腹の虫が鳴った。そういえば収納魔術に保存していた焼き鳥を食い損ねていたんだった。


「話しながら食べていいか?」


 そういって俺が焼き鳥の入った包みを掲げると男はひどい嫌悪を見せた。


「やめろ。同族を食らうなど……」


「はぁ? 同族だって? これは鶏って生き物の肉だぞ。どこが同族なんだよ」


「肉を持った生き物が我々以外にいると?」


「……また認識の相違がありそうだな」


 詳しく話を聞くとこの結界の中に人以外の動物はいないらしい。結界が強力過ぎて動物すら入り込めなかったのか、もともとそのように作られた場所なのか。話を聞く限りでは後者だろうと感じる。男の説明には自然界で植物を生かすために動物が担っている役割を代行している魔法生物のような存在もいたからだ。





「……くっ、やはりもどれないか」


 肉に関する誤解が解けた後、男は一度結界の中に戻ろうとしたができなかった。強固な結界はもともと中にいた存在すら侵入を許す気はないらしい。

 一夜明けた今でも当然だがその事実は変わることはなかった。


「お前の身柄はギルドが保護する。安心しろ。危害は加えないし、衣食住ちゃんとある。これも縁だ。その後の生活も俺ができる限り助けるさ」


「……私を探しに出て同じように結界の外に出てしまうものが現れるかもしれない。その時にも保護を頼めるか?」


 たった一夜の出来事に男は憔悴しきっていた。少し考えれば当然のことなのかもしれない。もし予想が正しく中と外で時間の流れが違うのならば、このまま結界が収縮して中のものがすべて外に露出したとしてもその景色は男が知るものとは違うものである可能性が高い。家族がいたのならば、その顔を見ることはもうかなわないのかもしれない。


「ああ、約束する。ほかの調査員に連絡して結界の周りを注意深く見ておくようにも伝えるよ」




 ――その後の調査で結界ははるか昔に存在した強力な魔導書を封印するためのものだと結論付けられた。長い間隠されていたが、結界が万全に稼働するためのエネルギーを失い、その姿を現していたのだ。

 その魔導書は動物などの死の累積を利用するらしくそれを防ぐために魔術的な防護を施された一族のみを残し、森とともに封印したらしい。結界の中でだけ時間の流れが加速していたのは時間の流れという摩耗によって魔導書そのものを破棄する狙いもあったからだろうということらしかった。

 結界の収縮速度が日増しに大きくなっていったこともあって、男は数十年のずれは生じたが家族と会うことはできた。この時代になじむのは大変そうだが、何とかやっていけているようだ。


 俺はその様子を横目にギルドから配布された資料に目を通す。どうやら、また遠くに調査に行かなければいけないようだった。

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