猫の会話を聞いてしまった

安子カオル

第1話 人をメモ帳代わりにするな

 客でごった返す店内の遠くの方で、

「人をメモ帳代わりにして何度も同じこと聞かないで、自分でメモしなさいよ!」

「原価より安く売ってどうするんだね、赤字じゃないか!」

「ほら、お客様を待たせない。すぐレジに入って。」

「ここ誰?掃除した人、もっとちゃんと拭かないと!ホコリが目立つじゃないの!」

 だんだんと私の方へ大奥さんの声が近付いてくる。もう九十は超えてるのに声

通るなぁと逆に感心させられる。来たあ大奥さん!

「えみちゃんいま何をしていますか?」

「はい、店長から言われて新人教育中です」にこっ。

「そおぉ、新人さん、ちゃんとメモを取っていますか?しっかり仕事覚えなさいね」と言い残して店内エレベーターの方へ向かい自宅がある3階のボタンを押した。

私は大奥さんが乗ったエレベータのドアが閉まるのを見届けると、新人の女子高生に向かって小声で、

「大奥さんは年だからずっとお店に出ずっぱりって訳にはいかないけど一日に何度も顔を出すからしっかり仕事しないと、さっきみたいにお客さんの前でも言われるよ!」と念押しした。


それからしばらくして、私も大学が決まり高校の卒業式を控えた、雨で肌寒い夜の事、店の入り口横の大きなゴミ箱の前に大奥さんが傘もささずに立っているのが見えた。ヤバいゴミが溢れている!ゴミ袋を持って駆け足で大奥さんに駆け寄った。すいません、いま交換しますと言いかけて大奥さんを見ると、泣いているのに気付いた。私は「どうしたんですか?」と聞くと、大奥さんは

「家が、分からなくなっちゃったの」と寒さで震える声で囁いた。私はえっ?と思ったが、すぐ、そうなのか!と気付いて

「大丈夫ですよ!家まで一緒に帰りましょう!」と言うと大奥さんの細くて冷たくて折れそうな手を、私の手で包み込んで、さすりながら温めてあげた。ゆっくりと大奥さんの歩くスピードに合わせてエレベーターに乗った私は、

「何にも恥ずかしいことなんてないですからね!九十歳なら普通ですよ、普通!ちょっとど忘れしただけですよ!また一緒に帰りましょうね!あ、そうだ!大奥さんのメモ帳借りていいですか?たぶん今日の事は覚えてないと思うので大事なことをメモしときますね!ちょっとポケット失礼します。」

私は大奥さんのポケットから、使い古されたメモ帳を取り出してページをめくり白紙のページにボールペンで箇条書きにメモを書いた。

「◯大奥さんの言う事は、ほぼほぼ正しい、時々言い過ぎ!かなー笑。

◯みんな大奥さんの事が好きですよ!!!

◯ずっと大奥さん一人で頑張ってきたので、たまには休んでのんびりして下さいね。

◯ここで大奥さんに働き方や生き方を学んだような気がします。

この3年間ありがとうございました。まだまだ長生きして下さいね!なんか、寂しいですね!また会いに来ますから!」

と書いて大奥さんのポケットにそっとメモ帳を戻した。

私はエレベーターのガラスに映る大奥さんと私の姿を工作で作った日光写真のようにゆっくりと記憶に定着させていた。

「あ!ボタン押してなかった!そりゃいつまで待っても着かないわー笑」

大奥さんを3階の自宅に送った後、私は一人でエレベーターを降りると、ショッピング・カートを片して、ゴミを拾って、常連さんやスタッフに挨拶して、店を出た。

おわり


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