第72話 マリアンヌへの教育

 一年。

 ひとまず、アミルは自身に対してそう期限を設けた。


 何かというと、侍女マリアンヌへの教育期間である。

 元々魔術学院に通っており、ある程度土魔術の下地はある様子だ。だがゴーレムを専門にしていたというわけではないため、そのあたりは基本から教えていく必要があるだろうと考えていた。

 だが彼女自身、非常に勉強熱心であり、アミルが教える前に既に『現代ゴーレム基本論』を何度も何度も読み返したらしく、基礎はしっかり覚えていた。これはアミルにとって、嬉しい誤算だと言っていいだろう。

 最初の一月は、『現代ゴーレム基本論』を主体とした、基礎作りから始めようと考えていたのだ。純粋に、その期間が短縮されたと言っていい。


「では、次に素材への魔力の通し方ですが……」


「はい、奥様」


 アミルの部屋。

 工房というわけではなく、アミルが寝起きをしている部屋である。まだマリアンヌに対しては実践という形ではなく、座学で色々と教えていく段階だ。魔術式や魔力の通し方など、実践を行う前に暗記するべき項目は山ほどある。

 だが、アミルは極めて短時間で、必要な部分だけを教えていくつもりだ。


 そもそも、一年という期間――それを長いとみるか短いとみるかは人それぞれだろうが、アミルからすれば圧倒的に短いと言っていい。

 ゴーレム作りの基礎、応用、実践を経て、そこから自分なりのやり方を見つけていく必要があるのだ。アミルだって魔術学院に通っている三年間、ラビからマンツーマンで指導を受け続けていた結果、三年でどうにか基本だけマスターしたと言っていい。そこからは全部、自分なりのやり方を見つけながらここまで来たのである。


 しかし、マリアンヌに対してはそこまで教える必要がない。

 それというのも、マリアンヌはあくまで『テツジン』を作る状況下における、アミルのサポートに徹してもらうからだ。そのため、他のゴーレム製作の主体となる自律回路――ゴーレム技術の中で最も難しいそれを、教える必要がないのである。

 一流のゴーレム師になりたいというわけではなく、あくまでアミルの補佐という形で学びたいというマリアンヌには、必要な部分だけを限定的に教えていくつもりだ。


「鉄材は主に、使う魔術は《成形》になります。ただ粘土や木材と異なり硬度が高い分だけ、消費する魔力もまた多くなっていきます。それに加えて、粘土のように失敗しても修正がきくような場合はほとんどありませんので、細かく図面通りに作る必要があります」


「なるほど……」


「この場合の《成形》の魔力ですが……」


 エルスタット商会から買い求めた、簡易の黒板――白墨で文字や絵を描くことができ、必要がなくなったらすぐに消すことのできる便利な道具である――へとアミルは魔術式を書き記し、それをマリアンヌが自分のノートへと書き記していく。魔術式に必要なのは反復して書き続けることであるため、こうやって自分で書くのが一番覚えやすいのだ。

 こういった授業を基本的には朝から夜まで、ずっと行っているのがここ最近、毎日のことである。勿論、アミルも鬼というわけではないため、本来あるべきマリアンヌの休み――二日間は、復習をしっかり行うよう言い含めている。

 ちなみにマリアンヌがいない二日間、アミルはどうマリアンヌに教えるべきか悩んだり資料を作ったりしているため、二十八号の製作は一時的に止まっている状態だ。


「さて……ここまでで何か質問はありますか?」


「うぅん……はい、ひとまず大丈夫です、奥様」


「分かりました。では次に……」


 そこで、こんこん、とアミルの部屋の扉が叩かれる。

 おや、とアミルが眉を上げて扉の方を見ると、そのまま特にこちらの返答も待つことなく、あっさり開かれた。


「やぁ、アミル」


「……レオンハルト様?」


 何故か、銀のカートを押したレオンハルトが、そのまま入ってきた。

 こんな風に、日中にいきなりアミルの部屋にやってくるとは珍しい――そう思いながら、続く言葉を待つ。


「ああ、僕は様子を見に来ただけです。どんな風に授業をしているのかな、と」


「……さほど、面白いものではないと思いますが」


「僕にとって、ゴーレム関連は全部面白いんですよ。僕も時間が許してくれるなら、マリアンヌと一緒に受けたいところです」


「……レオンハルト様は、受けたとしても」


 意味が無い――そう言おうとして、呑み込む。

 レオンハルトには、絶望的に才能がない――その事実は知っている。だから正直、学んだところで何の意味もないだろう。何せアミルの師であるラビが、既に匙を投げているのだから。

 だが、学ぶことは本人の自由であるし、才能がないからといって学ぶ権利がないというわけでもない。


「どうだい、マリアンヌ。アミルの授業は」


「は、はい、旦那様。とても分かりやすいです」


「そうか。ふむ……もしかしたら僕は、邪魔だったかもしれませんね、アミル」


「何か御用なのですか?」


「ああ、今度商会で新しい菓子を出すつもりなんですが、その試食をしてもらおうと」


「授業は一旦休憩としましょう」


 レオンハルトの言葉に、アミルはあっさりそう告げる。

 別に菓子の誘惑に負けたというわけではなく、そろそろ休憩にしようかと考えてはいたのだ。エルスタット商会で販売される新しいお菓子はどれも美味しいとかいう事実はさておいて、休憩は必要だと考えているのだ。

 そしてレオンハルトが運んできた銀のカート――その上に載せられた菓子が、テーブルの上に置かれる。


「わぁ……!」


「アミルが輝くような目を見せてくれるのは、食事とお菓子とゴーレムだけなんですよね。知っています」


 レオンハルトの言葉は耳に入らず、アミルは出された菓子に目が釘付けになっていた。

 それは、一目でパンにクリームを挟んだものだと分かる。しかし、そのクリームの量が桁違いというか、パンと同じくらいの分量を挟んでいるのだ。

 ごくり、と思わず喉が鳴った。


「これがうちの商会で出す新しいお菓子、マリトッツォです」


「マリトッツォ」


「では、わたくしはお茶を用意してまいります」


「ええ」


 そう告げたマリアンヌの方を見もせずに、アミルは頷く。

 これは休憩だし、授業で疲れた体に甘味を与えるのもまた勉強の一つなのだ。そうなのだ。

 少し経って、マリアンヌがお茶の入ったポットを持ってきて、アミルの前にカップを置き。


「それではレオンハルト様、試食させていただきます」


「どうぞ」


 授業と、時々こうしてティータイム。

 こんな風に、アミルの日々は過ぎてゆく――。

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