第54話 静かな騒動
「実家に帰ろうと思います」
「……あの、奥様?」
「少しばかり、事情がありまして」
昼食時。
丁度配膳に来ていた侍女、カロリーネへとアミルはそう告げる。
いつもの侍女であるカサンドラは休日である。四日間カサンドラが側仕えを行い、休みである二日間はカロリーネという形だ。この体制は、アミルは嫁入りして一年半経過した現在でも変わっていない。
こういう体制のためか、そもそもアミルがエルスタット家に来てから今まで、侍女や使用人が変わったという報告も聞いたことがなかったりする。以前にカサンドラから忌憚のない意見を聞いたところ、「良家でかつお給金も良いですし、しかも二日連続のお休みを貰えるような職場なんて、他にありませんよ」とのことだった。
まぁ、アミルからすればカサンドラでもカロリーネでも、やることは大して変わらない。
大体、工房の方に引き籠もっているからだ。
「……あ、あの、奥様」
「ええ」
「私はその……普段、奥様にお仕えしていないので、何とも言い難いのですけれども……」
「はぁ」
「カサンドラから……引き継ぎのノートは、確認しています。旦那様が、とても……その、難しいことを、ご注文なさったと」
「ああ、それは知っているのですね」
アミルの方から、カサンドラには一応伝えた。
ちょっとした愚痴交じりでもあったけれど、レオンハルトの鬼追加発注についてだ。ほとんど完成している状態で、あとはサイズを大きく調整していくだけのはずが、そのせいで全てやり直しになってしまったという話を。
一応、侍女同士でそういった情報は共有するように、引き継ぎのノートを確認しているらしい。
「まぁ、それが理由なのですけど……」
小さく嘆息。
アミルはロケットパンチについて、色々と考えた。
その上で肘から先を別のゴーレム、『ロケットパンチ君』ということにし、そちらの試作を現在行っている。そして、『ロケットパンチ君』自身にはそれなりに目処がついている状態だ。
だが問題は、この『ロケットパンチ君』を飛び出させる機構である。
その新しい試作を行うにあたって、専門書が必要になってしまったのだ。
「なるほど……確かに、奥様でも難しいものだと、伺っています」
「ええ。ですので、実家に帰ろうと思います」
「……その決意は、変わらないのですか?」
「勿論です。これは必要なことですから」
あの専門書を持ってこなければ、何も始まらない。
大体の内容は頭に入っているけれど、細かい部分までは覚えていないのだ。そして物作りにおいて最もしてはいけないことが、うろ覚えのままで作業することである。その内容によっては、大事故に繋がることもあるのだ。
特に、それは腕を飛び出させて、敵にぶつける機構である。それこそアミルの設定した数字の間違いによって、暴発する危険もあるのだ。
アミルのそんな言葉に、カロリーネは小さく溜息を吐いて。
「……承知いたしました。私の一存では決めかねますので……執事長のライオネルに話を通しても、よろしいでしょうか?」
「ええ、勿論。馬車も用意してもらわなければいけませんし。できれば、今日にでも出発したいと思っています」
「性急なのですね……承知いたしました。そちらも、伝えておきます」
「ええ」
すっ、とカロリーネが頭を下げ、そのまま退室していく。
そんなカロリーネを見送りつつ、もしゃもしゃとアミルが昼食を頬張りながら、とりあえず考えていた。
帰り、荷物が重くなりそうだな、と。
「ライオネルさん、大変です!」
「どうした、カロリーネ」
カロリーネはアミルの部屋を辞してすぐに、各使用人に指示を出していたライオネルを捕まえた。
ライオネル・セバスは執事長かつ、使用人頭という役職だ。エルスタット邸の全てを取り仕切る人物であり、カロリーネにとっては直属の上司である侍女長の、さらに上司である。
細面の片眼鏡をきらっ、と光らせながら、ライオネルが鋭い眼差しでカロリーネを見る。
「あ、あの、奥様なのですが……」
「奥様がどうした?」
「その……実家に、お帰りになると、そう仰って……」
「なっ――!」
ライオネルは、驚きに目を見開く。
それと共に、信じられないとばかりに、顔を歪めて額に手をやった。
「なんと……それは一体、何故……」
「カサンドラからの引き継ぎノートによれば……旦那様がとても難しいゴーレムの仕様を、奥様に追加なされたそうです。それに関して非常に不満を覚えておられ、カサンドラに愚痴を言っていたそうです」
「……なるほど。ゴーレムのことは我々には分からんが……それは、奥様にとって非常にご負担になることだったのか」
「決意は……固いと」
カロリーネの報告に、天を見上げるライオネル。
エルスタット邸に長く仕えているライオネルは、レオンハルトの結婚をまるで我が子のことのように喜んだ。
高い爵位と財力を兼ね備え、しかも端正な美男子であるレオンハルトは、社交界では大人気だ。それこそ言い寄る女性は数知れなかったし、ライオネルの縁者からも何人か取りなして欲しいと頼まれたこともある。
だが、彼女らは総じてレオンハルトの爵位と金にしか興味がなく、金持ち貴族の妻になりたいという欲望が透けて見えた。それは当事者であるレオンハルトにはなおさら、顕著に映ったことだろう。
何より、レオンハルトは幼い頃からゴーレムが大好きであり、私室はゴーレム関係の資料や絵で占められているほどだ。その部屋を掃除しながら、ライオネルは常々思っていた。
レオンハルトはきっと、ゴーレムに囲まれていれば満足であり、結婚相手など求めていないのだろう、と。
そのためか、結婚適齢期にありながら、全くそういった相手を作ってこなかったレオンハルト――彼が、ついに選んだ妻こそがアミルだったのだ。
レオンハルトにとって最高の条件、若い女性でありながら、卓越したゴーレム作成の技術を持つ彼女こそ、理想の結婚相手だと言えるだろう。
「奥様は、他には?」
「なんでも……今日、もう出発したいと」
「なんと……それほど性急とは」
ライオネルは、大きく嘆息し。
その上で、現状における最善をどうにか模索する。
「分かった。あとは、私の方で対応しよう」
「は、はい」
「追って、侍女長から指示を伝える。だが……他の者には何も言うな。奥様に関して、妙な噂が流れても困る」
「わ、わかりました」
ライオネルは、カロリーネへ短くそう指示を告げて。
「奥様も、突然のことで困惑されている部分があるのだろう。一度ご実家に里帰りをすることで、気分転換を行いたいだけだ」
「は、はい……」
「そういうことに、しておけ」
ライオネルは、そう強くカロリーネに告げる。
そんな彼の中では、どうアミルとレオンハルトの仲を修復するべきか、幾つものプランが練られているのだが。
実際、アミルがただ専門書を取りに戻りたいだけ、ということには。
誰も気付いていなかった。
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