第39話 太った

 季節は巡り、春になった。

 冬の間は外出することなく過ごしたが、とはいえアミルも毎日ダラダラしていたわけではない。当然ながら、毎日のように二体目の試作を行い続けていた。

 レオンハルトから渡された図面――そこに書かれている、何故か頭の横に蛇がいるような造形のそれを、どう作ればいいか悩んだり。音声認識において、他者とレオンハルトの区別をするためにどうすればいいか何度となく試作してみたり。

 そして、春になったわけだが。


「……」


「奥様? どうなされましたか?」


「いえ……何でもありません」


 薄々、気付いてはいた。

 アミルは現在、圧倒的な運動不足である。それに加えて毎日のように美味しい食事に舌鼓を打ち、午前と午後のおやつはしっかり食べ、紅茶にはたっぷり砂糖を入れて楽しんでいる――そんな生活のつけは、当然ながら体型に出てくるものだ。

 分かりやすく言うならば、太った。


「くぅ……まさか、実家での生活は、わたしを縛るものではなく救うためのものだったのですか……!」


「……? 奥様?」


「いいえ、何でもありません。気にしないでください」


 大きく溜息を吐くアミルと、そんなアミルを心配そうな目で見てくるカサンドラ。

 まぁ、毎日のように工房に引き籠もって座ってばかりで、食べるものもしっかり食べていれば太るのが自然の摂理だ。それは勿論、アミルだって分かっている。

 だけれど、そもそもアミルは小食な方だし、今までこうして自分が太ったと認識することもなかった。それは恐らく今まで、そこそこ動いていたからだろう。実家での畑の世話とか、無理やり母にやらされる掃除とか。


 だから今まで、悩んだことなど一度もなかった。

 だけれど今、切実に考えることがある。


 アミルは現在、認識の齟齬はあるかもしれないが人妻である。

 レオンハルト・エルスタット侯爵という、社交界では知れ渡っている超有名貴族の妻なのだ。そして義父レイモンド曰く、「妻が魅力的すぎるから社交界に出したくない」という噂すら流れているほどである。

 もしも今、避けることのできない夜会への誘いなど来たらどうなるだろう。

 パツパツのドレスに身を包んだアミルに対して、「あら……あのようなだらしない体のお方の、何を気に入って侯爵閣下は結婚したのかしら」などと言われること請け合いだ。


「はぁ……」


 小さく溜息を吐く。

 現状、アミルが妻という形だから困っているのだ。あくまで妻という形でなく、ただの使用人だとか職人だとか、そういう形で住み込みで雇ってくれたらいいのに。

 いや、だけれど未婚の貴族の娘が、未婚の貴族に住み込みで雇われるというのはいささか問題がある気がする。それこそ、ただ雇い入れるというだけならば、アミルの父は決して頷かなかっただろう。

 貴族には一応、体裁というのが存在するのである。


 そこで、ふとアミルは思いついた。

 アミルが妻である事実は変えられないにしても、現状を変えることは可能ではないかと。

 それは、レオンハルトが第二夫人を娶ること。


 アルスター王国において、貴族家の当主は重婚――いわゆる、一夫多妻が認められている。それは一応、貴族家の当主として自身の子をより多く作るためだ。

 だからレオンハルトが、アミル以外の誰かを妻として迎え入れ、愛情とか子作りとかはそちらの方で補ってもらえばいいのではないだろうか。勿論、夜会とかに連れて行くのもそっちで。

 これは、いい考えなのではないだろうか。


「カサンドラ、少し、聞きたいことがあるのですが」


「はい、奥様」


 アミルは紅茶を一口含んでから、カサンドラにそう尋ねる。

 一応、体型に対するせめてもの抵抗に、今日のお茶には砂糖を入れていない。今まで毎日たっぷり淹れていたから、ちょっと物足りなく感じる。


「レオンハルト様には、好いている女性がおられるのでしょうか?」


「……あの、奥様? 仰っている意味が少し」


「いえ、貴族家の当主というのは、妻が何人いても良いのですよね? ですから、第二夫人となるような女性とかはいらっしゃるのでしょうか?」


「ああ……なるほど。ご安心ください、そのような相手はおりません」


 ……。

 アミルは、そこで首を傾げた。

 ちっ、と思わず心中で舌打ちをする――それが、多分アミルの反応だったはずだ。だけれど、好いている相手がいないというカサンドラの言葉に、どこかほっとしたのも事実だった。

 レオンハルトにそういう相手がいることがベストだと考えたのに、何故ほっとしてしまったのだろう。


「それに、貴族家でも何人も妻を娶っている方は、それほどいませんよ。余程の大貴族でもない限りは」


「そうなのですか?」


「そもそも、共に暮らす奥様が何人もいると、どうしても諍いの理由になってしまいます。やれどちらが愛されているか、やれどちらが先に子供を産むか、一夫多妻というのは、男性にとって心安まる時間が失われることでもあります」


「あー……なるほど」


 アミルは、苦笑と共に頷いた。

 これが後宮とかならまた別なのかもしれないけれど、確かに同じ家で同じ立場の人間が複数いるというのは、諍いの原因になるだろう。

 どちらの妻を優先するのかという話になってしまって、そのせいで家中の空気が悪くなってしまうかもしれないし。


「ですので、レオンハルト様も二人目の妻を迎えるつもりはないと思います」


「……そうですか」


 まぁ、そういうことならば仕方あるまい。

 こうなったら、アミルの方からレオンハルトに告げようか。二人目を娶ってください、と。その上で、アミルとは今の関係を続けてください、と。ゴーレム作るから。


「分かりました。では、もう一つ聞きたいのですが」


「はい、奥様」


「楽して痩せる方法はありませんか?」


「ありません」


 カサンドラは、笑っていない目で。

 そう、端的に返してきた。

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