第33話 義父レイモンド

「どうぞ、大旦那様」


「ああ、ありがとうカサンドラくん。うん、いい香りだ。腕を上げたね」


「お褒めにあずかり、光栄です」


 状況がよく分からない。

 それが現状、アミルの本音だった。

 突然部屋に入ってきたかと思いきや、アミルと対になるソファの正面に座り、当然のようにカサンドラへとお茶を要求した中年男性――恐らくレオンハルトの父であり、前エルスタット家当主だろうとは分かっているけれど。

 にこにこと微笑みながら、男性がアミルを見る。


「さて、こうして会うのは初めてだね、アミルくん」


「は、はじめまして」


「ああ、そんなに緊張しなくてもいいとも。私はレオンハルトの父、レイモンド・エルスタットだ。前侯爵家当主で、今は隠居している身だよ」


「は、はい……」


 義父――レイモンドの言葉に、アミルは悩む。

 当然ながら、自分の結婚相手の父親に初めて会ったとき、緊張しない者などいるまい。いるとすれば、その人物は鋼の心臓を持っていると思う。


 しかし、ここでアミルに一つの問題が発生した。

 自己紹介を行われたのならば、自己紹介で返すのが礼儀である。

 以前マダム・キルシェに対して、実家の「アミル・メイヤー」を名乗った後、それをレオンハルトに咎められた。現在はレオンハルトの妻としての未来も決まっているし、今後は「アミル・エルスタット」と名乗るように、と。

 だが、本当にそれでいいのだろうか。

 今アミルがエルスタット姓を名乗ってしまえば、レイモンドから「私は結婚したという話は聞いていないけれど?」と返される可能性が高い。

 ごくり、とアミルは唾を飲み込んで。


「し、失礼いたしました。わたしは、メイヤー伯爵ウィリアムの娘、アミルと申します」


 無難な回答を選ぶ。

 下手にエルスタットなのかメイヤーなのか悩む以前に、とりあえず出自だけ答えておけばいいだろう。

 そんなアミルに対して、レイモンドはにこにこと微笑みを崩さず、お茶を一口啜った。


「勿論、聞いているよ。いや、思っていた以上に可愛らしいお嬢さんで、おじさん少し驚いてしまっているよ」


「あ、ありがとうございます」


「今後は、レオと結婚する予定なんだろう? 私のことは、父と思ってくれ。いやー、我が家には娘がいないからね。こうして娘と一緒にお茶を飲むのが、私の夢の一つだったんだよ」


「は、はぁ……」


 唐突にそう言われても、初対面である。

 そもそもこういう対面は、レオンハルト抜きで行われていいものなのだろうか。むしろ、アミルの方からご挨拶に行くべきだったのではなかろうか。というかそもそも、アミルはレオンハルトの家族構成すら知らない。エルスタット家に娘がいないという情報さえ、先程知ったばかりだ。


「そ、その……」


「うん?」


「ご、ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。わたしも、先程大旦那様がいらっしゃったことを伺いまして……」


「ああ、きみのことは色々と聞いているよ。何でも、きみのためにレオが特別な工房を作ったのだとか。その工房に入っている間は、決して邪魔をしてはいけないって使用人には厳しく言われているらしいね。だから私も、きみが出てくるまで待とうと思っていたのさ」


「あ、ありがとうございます……」


 背中に、嫌な汗が流れる。

 そもそもレイモンドが来るとか、そんな大事なことは昨夜のうちに教えてくれていて然るべきだったのではなかろうか。昨夜のうちに聞いていれば、この三日間工房から出なかったのに。

 ではなく。

 というかむしろ、先に言ったら工房から出てこなくなると思って、敢えて言わなかったのかもしれない。


「あ、あの……わたしのことは、レオンハルト様から何と……?」


「ああ、レオンハルトからは、素敵な娘さんを見つけたので結婚します、と報告があったよ。勿論、侯爵家に嫁ぐ人間であるわけだから、色々調べさせてはもらったけれどね」


「素敵な……?」


 確かにレオンハルトなら言いそうだけれど、アミルのどこにその要素があったのだろうか。多分副音声で、「素敵な(ゴーレム技術を持った)娘さん」とかあるのだと思う。

 はははっ、とそこでレイモンドが嬉しそうに笑った。


「いや、私も半信半疑だったのだが、確かに素敵な娘さんだ。これは確かに、レオンハルトが囲いたくなるのも当然といったところだね」


「そ、そんな……」


「きみがこの屋敷に来てから、レオは全ての夜会を断っているんだよ。夫婦で出席してほしいという要請にさえ、『妻を他の男に見せたくありませんので』って文言で断りを入れているのだとか」


「……」


「レオがそこまで入れあげるほどの女性だから、どれほど素敵な方かと思っていたけれどね」


 ハードル挙げないで侯爵閣下。

 そう、全力で叫びたい気持ちを堪える。確かに全部の夜会を断ってくれているのは大いに助かるし、社交活動をしなくていいというのは非常にありがたいけれど。

 ただ、そんな文言で断っている場合、アミルに変な噂でも流れていないだろうか。余程の美人だから外に出したくないとか。


「あ、あの、大旦那様」


「いやいや、アミルくん。大旦那様だなんて、そんな他人行儀な。私のことは、是非お義父さんと呼んでくれたまえ」


「えっ……は、はぁ……お、お義父さま?」


「うんうん。不慣れなところも良いね。まぁ、今後は私もこの家に来ることが多くなるだろうし、ゆっくり慣らしていこう」


 と――そこで、疑問に思う。

 何故ここには、レイモンドだけなのだろうか、と。

 こういう場合、両親揃って挨拶をするべきなのではないだろうか。確か、エルスタット侯爵領は王都より南にあるけれど、そちらの方はレイモンドに任せていると言っていた。


「あ、あの、お、お義父さま?」


「うん? どうしたんだい?」


「その……奥様は、本日は来て……」


「奥様!」


 そう、アミルが口にした次の瞬間。

 カサンドラがそう、強い語気でアミルの言葉を遮った。

 本来、主人であるアミルと、大旦那であるレイモンドの会話――それを遮る必要があるということ。

 つまりアミルは、何か聞いてはならないことを聞いたということ――。


「……そうか」


 悲しげに、そう顔を伏せるレイモンド。

 そこで、アミルが踏んでしまった地雷――それが何なのか、全て理解できた。


「レオは、まだきみに言っていないんだね」


「そ、その……わ、わたし……」


「妻は、レオを産んですぐに亡くなったんだよ」


 結婚する相手の、母親がいないことさえ知らない。

 そんな最悪の花嫁であることが、露呈した瞬間だった。

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