第10話 驚きの連続
「アミル、待っていましたよ」
「……」
アミルは、カサンドラに押されるようにエルスタット侯爵家の玄関を潜り、そこからも圧倒され続けていた。
貴族のお屋敷、とアミルは想像していた。それはもう煌びやかで、調度品とかいっぱいあって、綺麗な絨毯とか敷かれて――と貧困な想像力で考えてはいたのだ。
だけれど、そんなアミルの小市民的な考えは、全部。
吹き飛ぶほど――そのお屋敷は、豪華だった。
埃の一つも舞っていない、掃除の行き届いたロビー。そこに飾られている絵画の数々は、豪奢でありながらしかし品格のあるものばかりだ。花が飾られている花瓶ですら、アミルの実家では逆立ちしても支払えないものだろう。
そんなロビーの中央で燦々と光と放つのは、水晶でできたシャンデリア。お値段を想像するだけで馬鹿らしくなってくる代物であり、しかも光の魔石を利用している機構であるため、それだけでも高級品である。
アミルは終始、圧倒されていた。
こんな場所に、これから自分が住む――その事実に。
「アミル? どうしました?」
「はっ!」
「気分でも悪いですか?」
「い、いえ……」
一瞬、本当に魂が抜けているような、そんな感覚すら過ってしまった。
あまりにも想像の斜め上をいくと、人間こうなってしまうのだろう。金持ちだという話は聞いていたけれど、アミルの『金持ち』という存在についての想像力が貧困すぎた。
「カサンドラ、道中で何か?」
「い、いえ、奥様には特に何もなかったかと……」
「ふむ。一度医者に……」
「い、いえ! だ、大丈夫です。す、少しびっくりしただけで……」
「ふむ……」
アミルの身を、案じてくれるように頭を撫でてくるレオンハルト。
さすがに、『高級品に溢れすぎてなんか心が停止しました』という真実は伝えられない。
「気分は悪くありませんか?」
「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
「でしたら、良かった。長い旅路でしたし、お疲れでしょう。まずは休めるところにご案内します。カサンドラ、お茶を用意してくれ」
「はっ」
レオンハルトの指示に、カサンドラが別の場所へと向かう。
そしてアミルは、「こっちです」というレオンハルトの言葉と共に、後を追う。勝手に行動したら、間違いなく迷うだろうという謎の自信がそこにあった。
そしてレオンハルトが案内してくれたのは、階段を上った先にあるテラスだった。
庭園が見下ろせるそこに置かれているのは、四脚の椅子と小さなテーブルである。
「どうぞ、座ってください」
「はい」
お言葉に甘えて、まずアミルが座る。
そして、正面ではなく斜めにテーブルを挟んで、左側にレオンハルトが座った。正面に座らなかったのは、レオンハルトなりの配慮なのだろう。
「わぁ……」
そしてアミルの視線は、テラスから見下ろせる庭園に釘付けだった。
色とりどりの花が咲いている、美しい庭園。恐らく専属の庭師が整備をしているのだろうけれど、美しく手入れされた庭木の数々は、一つの絵画を思わせるようなものだった。
同時に、頬を撫でる優しい風――まるで、物語の場面に入ったかのような錯覚すら覚える。
「失礼いたします」
「ああ。カサンドラはお茶を出したら、下がってくれ。きみも道中長かったことだし、今日はもう休んでいい。アミルの担当は、カロリーネに変わってくれ。ただ、今は僕と二人にさせてほしい」
「承知いたしました。カロリーネに、奥様の部屋を整えるよう伝えておきます」
「ああ、頼むよ」
レオンハルト、アミルの前に湯気の立つお茶の入ったカップが差し出される。
それと共に、すっ、と一礼して下がるカサンドラ。
ほへー、とアミルはそんな彼女の所作を、右から左に眺めることしかできなかった。
「驚きましたか?」
「え、ええと……」
レオンハルトからの、唐突な質問。
アミルからすれば、驚いていないことがないほど、この屋敷は凄まじいの一言である。どれに驚いたと答えるのが正解なのか分からない。
とりあえず視線を合わせずに、なんとなく答えておく。
「え、ええ……その、驚きました」
「やはり、そうですか。我が家に来られたお客様は、大抵驚くんですよ。そんなに使用人を休ませてどうするんだ、と」
「……へ?」
「他の貴族家だと、年に一度くらいしかお休みをいただけないらしいです。ですが、それは流石に非人道的だと僕は思っていまして。ですから我が家では基本的に、四日働いたら二日休みという形にしています」
「は、はぁ……」
「基本的に、アミルの側仕えはカサンドラに任せます。ですが、カサンドラが四日働いたら、翌日から二日間はカロリーネという別の者が担当します。休みの日に、仕事をさせるような真似はしないでくださいね」
にっこり、と笑みを浮かべるレオンハルト。
そもそも驚いているポイントはそこじゃないし、むしろその言葉にこそ驚くべきことが多すぎる。
貴族家に仕えている使用人は、それこそ奴隷のようなものだ。年に一度実家に帰ることができるならば、むしろ良い家に仕えていると考えていいだろう。
それが、四日働いて二日休み。
むしろアミルは、この家に就職したいとさえ思えてしまった。
「あ、あの……」
「はい?」
「その……ラビ先生が、先日、わたしの家を訪れまして」
「ああ、はい。メンテナンスの道中に我が家が近いらしく、よく食事に行くんですよ。次の機会は、アミルも一緒に行きましょうか」
「あ、はい……い、いえ、そうではなくですね」
アミルの心に残る懸念――それは、ラビの言い残した言葉だ。
面倒くさいことを言い出すと思う――それが一体、何なのか。
良すぎる条件ではあるし、何か裏があって当然――それは勿論、アミルにも理解できることではあるが。
――俺でも割と難しいことを要求されるから、それは覚悟しとけ。
一流のゴーレム師であるラビにも、難しいこと。
それをさせるために、レオンハルトはアミルを結婚相手に選んだのだ。
「ラビ先生から、わたしにはまだ難しいことを、お求めだと伺いました」
「ええ」
「レオンハルト様、わたしに、一体何をお求めなのですか?」
「ええ」
そんな、アミルの直球の質問に対し。
レオンハルトは笑みを浮かべながら、最初に言ったこと――それをそのまま、言った。
「僕のためにゴーレムを作ってください」
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