密室の殺《あや》かし
小石原淳
第0話ー1 序章
シルエットだけを見れば、その上半身裸の男の死体は瞑想しているかのようだった。
大昔、修験者の修行の場にもなったという粗末な小屋の真ん中で、結跏趺坐の姿勢を取り、左右の太ももの上に置かれたそれぞれの手は、狐の影絵を作るときみたいに指を合わせている。穿いているのは伸縮性の高い、ジーンズ風のトレーナーパンツで、丈がやや短いように思える。上半身を覆っていたであろう赤茶色の目立つTシャツは、脱いだのか脱がされたのか、部屋の隅でしわのある塊と化している。
立つ位置を変えると、死体のあちこちに何か描かれているように見えてくる。昔話で語られる耳なし芳一さながらに、全身に経文を書き込まれているか、もしくは凝ったデザインのタトゥーを施したかのごとく。反面、髪は豊かだし、顎髭もかなり伸ばしているため、僧侶のイメージにはほど遠い。
しかし、死体により近付けば、それらの想像は間違いであったと直に分かるであろう。と同時に、おぞましさに吐き気を催す者もいるかもしれない。
死んでいるその男の皮膚は、至る所が削られていた。彫刻刀でも使ったと思しき傷跡が、身体中に見られるのだ。
「どうでしょうか、先生……?」
斜め前およそ一メートル先に立つ“先生”に、
若井はその名の通り、若い男性である。まだ刑事としてのキャリアも当然浅い。
この日は非番で、ちょっとしたレクリエーションのつもりで軽登山に出掛けたところ、偶然にも変死体と出くわす事態になった。第一発見者かつ刑事としてすぐさま現場保存するとともに、速やかに通報したものの、折悪しく天気が劇的に崩れ、直前に発生した土砂崩れのせいで地元警察の到着がいつになるか見通しが立たなくなった(逆に言えば、若井を含めた数名の登山客が山中に閉じ込められた形であり、大きな密室状況下に関係者全員がいると見なせる)。電波状況の悪い中、代わって臨時に現場を仕切るように電話口で言われたのだが、そのとき併せて、「
若井は知らなかったが、茜沢なる男は学校の一教師に過ぎないのだが、幾度となく捜査に協力し、成果を上げているという。刑事としてまだひよっこの若井が恐る恐る、丁寧な口ぶりで聞いたのも無理はない。
「どうでしょうかと問われても」
対する茜沢の方も、若干恐縮した体で応じた。現場に毛髪をなるべく落とさぬようにと、きつく被った登山帽を気にする仕種を見せつつ、振り返る。
「私は医者じゃないので、死亡推定時刻とか死因とかは分かりませんよ」
「そういえば、電波状況がよくなくて、電話でははっきり聞き取れなかったのですが、茜沢先生は何のご専門なんですか」
「文学の方を……」
「え」
「いや、絵ではなく、文学、主に小説です」
冗談なのか本気なのか、真顔で妙な返事を寄越す茜沢。
若井刑事は内心で、「いや、そうじゃなく」と突っ込みを入れた。さらに、文学の先生が捜査に協力する余地なんてあるのか?と疑問が湧いた。
「ははあ、その顔は疑っていますね? 文学にしか能のなさそうなこんな男が本当に警察に力を貸して、事件解決に導いたんだろうか?と」
「いえ、その『文学にしか』云々は思っちゃいません。ですが、どんな分野で我々の役に立ってくださったのかは、皆目見当が付かないのが正直な感想です」
「でしょうね。私は教えるのは日本文学を満遍なくやるんですが、読むとなると大衆小説、それも探偵物が大好きでして」
「探偵物というと、いわゆる推理小説ですか」
「その通り。読むだけでなく、考えるのも好きです。そのおかげで、“けったいなこと”を思い付くよう、脳みそが訓練されて、ルートができているみたいなんですよ」
「もしかして先生は――」
いわゆる素人名探偵というやつですかと、声に出して聞きかけた。が、現役刑事のプライドがストップを掛ける。まさか物語に出て来るような素人名探偵がいるとは思えないし、いたとしても刑事の自分が軽々しく認めていいはずがない。
「何でしょう?」
台詞を途切れさせた若井に対し、茜沢は眉根を寄せ、少し怪訝がる様子を見せる。若井は別の言い方を考えた。
「専門知識を活かさない形での、警察へのアドバイザー、みたいなものと捉えればいいんでしょうか」
「まあ、概ねそれで大丈夫だと思います。いえ、私自身、あなた方からどう呼ばれているかは知らないもので」
乾いた笑い声を短く立てた茜沢。
若井は戸惑いを残しはしていたが、地元警察が茜沢に信を置いているのは間違いない。ここはとりあえず任せるほかないと心を固めた。
「現状でできることは限られているので、遺体を見てのご感想をお願いします」
「亡くなった方の身元は分からないんですよね」
「ええ。『総合芸術家・
「なるほど、ありがとうございます。ただまあ、この男性が設楽宗來と名乗っていたかどうかは、未確定だと思うんですが」
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