第34話:奄美さんにはバレバレ

***


 講師準備室に戻ったら、奄美さんに声をかけられた。


「佐渡君。香川さんが急に黒髪になってるんだけど……キミ何かした?」

「あ、いえ。俺がなにかしたって言うか、彼女が親から言われたみたいですね。勉強の本気度を見せるために髪を染め直せって」

「ふぅーん……で?」

「『で?』ってなんすか?」

「親に言われただけで香川さんが色を変えたと?」

「は……はぁ。そ、そうですけど」

「佐渡君。ちょっとこっち」


 奄美さんはなぜか部屋の隅に移動して、人差し指をくいくい曲げて俺を呼んでる。

 なんだろ?


「ここなら他の人に聞こえないから、ホントのこと言ってごらん」

「ホントのことって言っても、なにもありませんよ?」

「髪の色をあれだけ劇的に変えるのって勇気がいるし、佐渡君が何か言ったからじゃないかな?」

「あ、いえ。えっと……別になんにもないです」

「クスっ……」


 あ、笑われた。


「佐渡君ってホント嘘が下手だよね。誠実が服着て歩いてるって言うか。まあそんなとこがキミのいいとこなんだけどね」


 秒でバレてしまった。

 情けない。


「えっと……親に髪を染め直せって言われてるけど、どう思うって小豆に訊かれまして。それと俺の好みを訊かれて、黒髪って答えちゃったんですよ……」

「おおっー! それってやっぱり佐渡君にベタ惚れよね」

「そう……でしょうか?」

「うんうん。女子が男子に髪の好みを訊いて、その通りの色にするなんて。大好きじゃなきゃやらないよ」


 小豆が俺を大好き……

 単なる好きじゃなくて大好き。


 うわ、顔が熱い。

 ドキドキしてる。


 こんなに動揺するなんて、俺はいったいどうしてしまったんだ?


「おっ? 佐渡君も満更じゃなさそうだね」

「いえいえ、そんなことないっす!」

「ふぅーん……ま、いいけど。香川さんの話をする時の佐渡君。以前とちょっと違う気がする」

「そ、そんなことないですから。奄美さんの勘違いですよ」


 ──とは言ったものの。


 確かに自分でもわかってる。

 小豆のことが、以前よりも気になってる。

 可愛く思ってる。


「でもいいなぁ香川さん」

「え? 何がですか?」

「だってそんなに大好きな人がいるなんて。羨ましい」


 えっと……奄美さんが小豆を羨ましい?

 なんか遠くを見てため息ついてませんか?

 大人っぽい奄美さんが夢見る少女みたいな顔になってる。


「ちょっとタイミング逃したかなぁ。あ、いやいや。そうでもないか……?」

「ん? なんですか?」

「ううん、なんでもない。こっちの話よ。佐渡君にはまったく関係のない話だ、か、ら」

「あ、そう……ですね」


 なんかよくわからんが。

 奄美さんが俺に関係ない話って言うなら、きっとそうなんだろう。


「おはよーございまーす!」

「あ、おはよう竹富さん」

「あれ? 銀次と奄美さん、なにをコソコソ話してるんですか?」

「ちょっと生徒さんの指導方法についてね。佐渡君にアドバイスしてあげてたの。後で竹富さんにもアドバイスしてあげるわね」

「あ、はい。ありがとうございます」


 さすがだ奄美さん。

 流れるような説明だし、話の内容を後で伝えるってのが、より信憑性を増したみたいだ。


 竹富は疑いもなく笑顔で礼を言った。



***


 授業が終わって、生徒たちが廊下に溢れる時間になった。


 竹富は他の仕事で席を外してる。

 とりあえず先に自習室に移動しよう。


 廊下に出たら、向こうの方に小豆がいた。

 おいでおいでと手招きしてる。なんだ?


 近くまで寄ると、小豆は廊下の角を曲がって、さらに手招きしてる。

 なんなんだよいったい。


 廊下の角を曲がったところにポケットみたいになってる所があって、そこに誘い込まれた。周りには誰もいない。


「あのさ銀次さん。お願いがあるんだけど」

「ん? なに?」

「前に教えてもらったココ」


 小豆が手にした数学テキストの一部分を指差してる。


「何べん聞いてもよくわかんないんだ」

「ああ、これな。ややこしいからな」

「ごめんねバカで」

「そんなことないさ。ココ、ちゃんと理解するのは結構大変なんだよ。そうだ。前みたいに解説資料作ってやろうか?」

「マジで? 助かるー! ありがと」

「お、おう。任せとけ。できあがったらまた渡すよ」


 小豆がめっちゃ素直だし、頼られてる感が心地いい。

 なんだよこの感じ。


 でもこんなお願いをするために、わざわざここまで呼んだのか?


 あ、そうか。塾のカリキュラムにない個別の依頼だから、他の生徒に知られたらマズいと思ったんだな。


「ところで銀次さん。今日のアレだけど?」

「なんだよアレって?」

「ほらあれよ。さっきなんて言ったのかな?」

「え……? やっぱ言わなきゃダメか?」


 恥ずかしすぎて言いたくない。


「しっかり授業受けてきたからさ。ま、ご褒美と思って言ってみてよ」


 ご褒美って……

 さっき『可愛い』って言ったこと、やっぱわかってんじゃん!


 くそっ……あんな恥ずかしいこと、また言わせる気かよ。


「ほれ、思い切って言ってみー がんばれー」


 なんで俺、励まされてるんだ?

 そんな期待に満ちた顔すんな。

 そういう顔……可愛いじゃないか。


「あ、えっと……可愛いって言ったんだよ」

「それだけ?」

「いや……めちゃくちゃ可愛いって言った」


 もうダメだ。

 顔が熱い。きっと真っ赤になってる。

 恥ずかしすぎて死にそう。

 いや、俺はもうすでに死んでいる、


「そっかぁ……ありがと。むふ」

「ど……どういたしまして」

「あっ……」

「ん? どうした?」


 小豆が俺の後方に視線を向けてる。

 振り向いたら……奄美さんが立っていた。

 ニヤニヤしてる。


 最悪だ。めっちゃ恥ずかしいところを見られてしまった。


「じゃあね」


 小豆はあたふたと俺の横を抜けて走っていった。

 そんな小豆を微笑ましく眺める奄美さん。


「あ、奄美さん。あれはですね……」

「うん、いいからいいから。うーん……若いっていいねぇ」


 いや奄美さんだって、俺と一つしか違わないくせに!

 

 だけどそんなツッコミをする余裕もなく。

 あまりに恥ずかしすぎて、俺もあたふたとその場を立ち去るのが精一杯だった。

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