第33話:小豆、引っ張るなよ

 竹富からメッセージが来たのを知って、小豆が不安そうな顔でじっと俺を見つめていた。


「『行かない』って速攻で返した」

「そっか」


 ホッとした顔。

 奄美さんが言ってたように、小豆が俺のことを好きって……やっぱマジなのか。


 ──ピコン!


 また竹富からのLINEだ。


『そんなこと言わずに来てよー 駅のすぐ近くの店にいるから』


 そうなんだ。

 まあゼミの打ち上げだからな。

 この辺りの店でやってて当たり前か。


 ──ピコン!


 また来たよ。


『この前のランチで銀次が「あと4回分のお返しは、また必ずするから」って言ってくれた1回分でいいからさ。来て!』


 ──あ。

 確かにそう言った。高すぎるランチを奢ってもらったお返しのことだ。


 俺も口先じゃなく、ホントにお返しするつもりでいるし、仕方ないな。

 それを言われたら、竹富の飲み会に合流するしかないか。


「おわっ……」


 スマホ画面をチラチラと見ながら歩いてたら、突然シャツの裾を後ろからぐいっと引っ張られた。

 思わず立ち止まって振り向いた。


 なぜか小豆あずきが俺のシャツの裾を握ってる。

 急に引っ張んなよ。びっくりするだろ。


「駅の入り口過ぎたよ」

「あ、そうだな」


 竹富のメールに気を取られてて、知らない間に駅の入り口前を通り過ぎようとしてた。


「どこ行くの?」

「えっと……た……」


 あ、竹富の名前を出すのはマズい。

 と思って言葉を切りかけたら、小豆が言葉を被せてきた。

「やだ……」

「えっ……?」


 小豆はうつむいてる。

 だから前髪で表情はよくわからない。

 だけど声はなんだか悲壮な感じがした。


「あ……いや。あ、ほら。銀次さん、体調悪そうじゃん。だからまっすぐ帰んなきゃダメだよ」


 顔を上げた小豆は、ほんのり頬が赤く染まってる。

 目は潤んで泣きそうで。

 なんと言うか……

 そう、遠慮がちながらも必死な感じが伝わってきた。


 小豆は俺のことが好き──


 奄美さんの言葉が脳裏に甦る。


 可愛い。

 健気けなげな感じがとても可愛い。


 ヤバ。……キュンとした。


「た……単にぼんやりして、入り口を通り過ぎてしまっただけだよ。教えてくれてありがとう小豆」

「う、うん。……どういたしまして」


 俺が駅の入り口に足を向けると、小豆はちょっとホッとした顔をした。

 こうやって改めて顔を見たら、やっぱりコイツ整った顔してるよなぁ。


「えっと……小豆?」

「ん? なにかな銀次さん?」

「なんで俺のシャツの裾をずっと握ってるんだ?」


 駅に入って改札を抜けても、なぜか小豆はシャツの裾を握ったままだ。トコトコと俺の後ろをついて歩いてる。

 ちっちゃな子供かよ。


「あ、いや。なんとなく」

「別に……いいけど」

「うん」


 そんなに照れた顔で素直に頷かないでくれ。


「じゃあここで」


 ホームまで二人で来た。そこでようやく小豆は俺のシャツから手を離した。


 小豆が乗る電車は反対の方向らしく、ここで別れた。


 それにしても──

 健気で必死な小豆なんて初めて見た。


 アイツが俺を好きだって話。

 マジなんだって気がしてきた。


 そう思ったら、胸の奥がキュッと締めつけられるような感覚がした。



***


 翌日の日曜日はバイトは休み。

 一日ゆっくり過ごしたら、体調はすっかり回復した。


 竹富から『なんで昨日は来てくれなかったのー?』なんてメッセージが来た。


『すまん。昨日はちょっと体調が悪かったから真っ直ぐ帰った』

『そっか。じゃあ仕方ない。また飲みに行こ』


 グダグダと文句を言われるかと思ったけど。

 竹富は案外素直に許してくれた。




 そして週明けの月曜日。

 やるき館に出勤して、廊下を歩いてたら。


「ぎーんじさん」


 後ろで小豆の声がして振り返る。

 何人かの生徒がいたが……

 あれっ? 小豆はいない。


 空耳か?


「銀次さん。なにキョロキョロしてんの? おっかし」

「は? お前誰?」

「あたしだよ。小豆」


 目の前に立ってる黒髪ショートカットのめちゃくちゃ可愛い女子高生がニマリと笑った。


「え……? えええええっ? あ、小豆ぃ〜っ?」


 いつもの派手な化粧じゃなくてナチュラルメイク。

 髪色とメイクだけで、こんなに印象が変わるもんだな。


 でもよく見たら顔と制服は確かに小豆だ。


 俺の好みの黒髪清楚な感じ。

 しかも顏は小顔でめっちゃ整ってる。

 正直言ってめちゃくちゃ可愛い。


 廊下を行き交う生徒たちが彼女を見て、「あれ誰?」「すっげえ可愛い!」なんて声を漏らしてる。


 俺が黒髪が好みだって言ったから、ホントに黒髪にしてきた?

 マジか?

 やっぱり小豆が俺を好きだってことは、間違いのない事実なのか。


 見た目も可愛いし、そんな健気けなげな態度を見せられたら……


「むふ。どうこれ?」

「あ……いや、めちゃくちゃかわい……」


 あまりの衝撃に、思わず正直な感想を言いかけた。

 いやいや待て。多く人が行き交う塾の廊下のど真ん中で、生徒さんにめちゃくちゃ可愛いなんて言っていいものか? 単なるチャラい大学生だと思われるぞ。


「なに? 聞こえないんだけどー? なんて言ったのかな?」

「あ、いや。ほれ。あれだ」

「『あれ』じゃわかんないなぁ〜」


 ニヤニヤすんな。

 聞こえてたんじゃないのか?


 このまま素直に言うべきか言わざるべきか。

 それが問題だ。


「言いかけてやめるなんて、銀次さんずるいぞ?」


 リスみたいにほっぺを膨らませるのはやめろ。

 お前みたないなくそ生意気な女の子が、小動物みたいな可愛い仕草をするのは反則だぞ。

 しかも今の見た目は黒髪ショートの可愛らしい女の子なんだぞ。


 でもよくよく考えたら。

 小豆が親に言われて、嫌々ながらも髪を染めて来たんだよな。

 だったらそれを後悔しないように褒めてあげることが、勉強のモチベーションを保つことになる。


 つまり俺が小豆を褒めることは、コイツの勉強のサポートの一つだってことだ。うん、そうだよな。


「あれだよ。か……可愛い」


 周りの人に聞こえないように、小さな声で言った。


「えっと……もっと大きな声で言ってくれないと聞こえないんですけど?」


 いや、聞こえてるだろ。

 その証拠に、俺が可愛いって言った瞬間、ピクンと震えたくせに。顔も赤いし。


「ダメだ。他の人も行き交うこんな場所で、そんなこと大きな声で言えるわけないだろ」

「そっか。そだよね。わかった」


 意外だ。意外にも素直に諦めてくれた。

 よし。なんとか切り抜けた。


「じゃあ後で、二人きりの時にもういっぺん言ってもらうよ」

「……は?」

「じゃあね銀次さん。また後でー」

「おい、ちょい待て小豆……」


 あ~あ、行っちまったよ。


 後でもう一回言う?

 小豆が可愛いよって?

 俺が?


 なに言ってんだアイツは。

 んなこと、恥ずかしすぎてできるかよ。


 だから──二度と言わねぇよ。

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