第6話:奄美さんってカッコよすぎる

***


「おはよーございます!」


 翌日の日曜日。講師準備室に出勤した。

 日曜日は休みのことも多いのだけど、今日は出勤日だ。


 もう昼過ぎなんだけど、出勤した時は『おはようございます』と挨拶することになってんだよなぁ。業界人みたいだ。


「あ、おはよ佐渡さど君」

「おう、おはよう佐渡」


 奄美さんと雑談してた八丈先輩は、俺をチラッと見たけど、また二人で会話に戻ってしまった。


 ん? なんだコレ?

 昨日の晩、俺は作った資料を机の上に置いて帰った。

 それが──赤ペンで何か書き込まれてる。


『ここはこう書いた方がわかりやすいぞ!』

『これ、すっごくわかりやすくてイイね!』


 これは……奄美さんの字だ。

 資料をよりわかりやすくするために、丁寧に校正してくれてる!


 ううう……なんだよコレ。こんなことまでしてくれるなんて。

 奄美さんって……なんて素晴らしい人なんだよっ!


 涙が滲みそうな目で奄美さんを向いて頭を下げた。

 八丈先輩と話をしてたけど、こっち向いてニコリとウインクしてくれた。


 ──痺れた。カッコよすぎる。

 そんなことされたら……惚れてまうやろっ!


 いや。相手はミス帝都大で俺なんてまったく相手にならない高嶺の花。そもそも彼氏持ち。


 この人には惚れちゃダメだ。



***


 講義が終わって、大勢の生徒たちが帰るために廊下を歩いてる。

 さっきの講義で、昨日俺が採点した答案用紙が返却されてるはずだ。


 アイツ、いるかな……

 あ、いた。派手な金髪が相変わらず浮きまくってるからすぐに見つけられる。


小豆あずき、試験どうだった?」

「……」

「無視すんな!」

「やだ」


 プイっと横向きやがった。ムカつく。

 いや……もしかしたら点数が悪くてふてくされてるのかも。


「なあ自習室に来いよ」

「だから自習なんてしないって。もう忘れたの? バカなの?」


 バカはお前だ。点数悪すぎだろ。


「俺じゃなくても、お気に入りの八丈先生に質問したらいいだろ」

「……いやだ」

「なんで?」

「アンタには関係ないでしょっ!」


 なんで怒ってるんだ?

 仕方ない。コイツがちゃんと自宅学習するかどうかわからんけど、とにかく渡すだけでも渡そう。


「まあいい。じゃあこれ持って帰って家で読め」

「なによそれ。要らないって」

「模試の解説だ。昨日急いで作ったから、見栄えは悪いけど許せ。読むだけでもだいぶん違うはずだ」

「は? なにそれ? 意味わかんない」

「あ、こら! 無視して行くな!」


 なんだよくそっ!

 せっかく資料を目の前に出したのに、ぷいと横向いてそのまま行きやがった。

 追いかけようと思ったら……


「あ、銀ちゃん先生!」


 後ろから呼ばれた。振り向くと友香ちゃん。


「もしかして、昨日作ってたのはそれですか?」

「あ、ああ。まあね」


 あれっ?

 友香ちゃんが俺の手から解説資料を取って眺めてる。

 そしてニコッと笑いかけられた。


「あ、すごーい! わかりやすいです。ありがとうございます! 私が小豆に渡しますね」

「あ、うん。た、頼む」

「はいっ! お任せあれ! また私にもこの資料くださいね」

「うんわかった。ところで小豆って、なんで頑なに自習室で勉強しないんだ?」

「あ、それは……前は時々行ってたんですよ。それで八丈先生に質問したこともあって……」


 そうなんだ。意外だ。


「でも小豆ちゃん、八丈先生の解説が全然わからなくて。先生に苦笑いされて、それから質問するのが怖いみたいです。それから勉強してる姿を他人に見せるのもイヤみたいで……」

「そんなことがあったのか」

「あ、銀ちゃん先生。私がこんなことを言ったのは、小豆ちゃんには絶対内緒ですよ」

「あ、うん。了解だ」

「じゃあ私、小豆ちゃんを追いかけてこの資料渡しますね」

「おう、頼んだぞ」

「はいっ!」


 友香ちゃんはトテトテ走っていった。


 友香ちゃんに預けとけば、ちゃんとあのバカの手に渡るだろう。

 それでちゃんと勉強するかどうかはアイツ次第だけど。




***


 数日後。俺は自習室の定位置のデスクで事務作業をしていた。

 突然キャーキャー女子たちの歓声が上がった。

 なんだ?


 ──あ、八丈先輩が自習室に入ってきたんだな。

 相変わらず女子人気がすげえ。


「はいはい、ちゃんと並んでくれよ!」


 あっという間に八丈先輩の前に、質問待ちの列ができた。

 アイドル並みだな。握手待ちのファンの行列みたい。


 ふと入り口を見たら、派手な金髪のギャルが室内を覗き込んでた。


 なんだアイツ。自習室には来ないって散々言ってたくせに。

 あ、そっか。八丈先輩がいるから来たんだな。


 ふんっ、ミーハーギャルめ。


 小豆が自習室に入ってきた。


「遅かったな。もうすでに行列ができてるぞ。八丈先輩の質問コーナーは大人気だからな。もっと早く来なきゃダメだよ」

「べ、別に八丈先生に会いに来たんじゃないから」


 は? じゃあ何しに来たんだよ?


「あ……もしかしてお前、自習室に自習しに来たのか?」


 自習室に自習しに来たのかなんて、俺はなに当たり前のことを言ってるんだ?


「違う。お礼を言おうと思って。ありがと」

「……へ?」

「なんか遅くまでかかって作ってくれたらしいじゃん、あの資料。友香に聞いた」

「いや、それは別にいいんだけど。これを機会にちゃんと勉強……おいコラ! 人の話は最後まで聞けっ!」


 礼だけ言って、走って帰っちゃった。

 なんだよアイツ!

 結局ちゃんと勉強する気あんのかよ?


 いやでもまあ……あんな素直にお礼を言いに来るなんて思わなかった。びっくりした。

 しかも顏真っ赤だったし、礼を言うのがよっぽど恥ずかしかったんだな。


 恥ずかしいって言うか、もしかしたら俺に礼を言うのがよっぽど悔しかったのか? 

 アイツのことだ。きっとそうだな。




 でも──


 小豆あずきがこんな素直な姿を見せたのはほんの一瞬で、次に会う時にはまたくそ生意気なヤツに戻っていたのだった。


 くそっ! ムカつく。

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