大淫婦フリュネ

「タルキウス様、フリュネという女性をご存知ですか?」


 ある日突然、リウィアがそんな事をタルキウスに聞いた。


「フリュネ? 知らないな。誰それ?」


「ローマで今、トップクラスの人気を誇る高級娼婦(ヘタイラ)ですよ!」


 高級娼婦(ヘタイラ)とは、一言で言えば元老院議員や貴族、神官などの上流階級専門に相手をする娼婦である。

 娼婦と言っても、上流階級の相手をするために高い教養と芸能を身に付け、優れた美貌と手練手管を持つ者だけがなれる特別な娼婦だった。



「へえ。で、その高級娼婦(ヘタイラ)がどうかしたの?」

 あまり興味の無さそうなタルキウス。

 タルキウスの年齢を考えれば無理もないが、それと同時にタルキウスにとってリウィア以外の女性にはあまり興味が無いのだ。


「その方が先日、裁判に掛けられたらしいんですよ」


「裁判に? へえ、散々貢いだ挙句、捨てられてその仕返しに訴えられたとか?」


 幼い少年の口から出たとは思えない発言だとリウィアは思った。

 しかし、国王として生きるためにあらゆる知識を学んだタルキウスは、リウィアよりもずっと博識である事をリウィア自身は知っている。


「御名答です! 流石はタルキウス様ですね!」


「えへへ」

 褒められて素直に喜ぶ様は子供そのものだが。


 リウィアが言うには、フリュネという高級娼婦(ヘタイラ)は、巧みな手練手管と話術を駆使して、とある若手元老院議員を手懐けて、あれこれと理由を付けて金をむしり取ったという。

 その議員は家の財産のほとんどを彼女のために使い、家の家宝すらも貢ぐという暴挙に出て破産寸前にまで陥った。

 だが、最後に待っていたのは、フリュネの愛ではなく、ゴミを見るような目で告げられた「金の無い男に用は無い」という無情な一言だったという。


「ひでえ女だな。そりゃ訴えられるよ」


「ところが裁判は無罪だったんです」


「無罪? そんな事情があったら同情票もけっこう集まりそうな気もするけど何で?」


 エルトリアの一般的な裁判では、判決は裁判官ではなく傍聴席の観客による多数決で決めるのが普通だった。

 裁判官の進行の下、弁護士同士が被告を擁護したり、非難したりして、それを聞いた観客が最後に多数決で有罪か無罪かを決めるのだ。

 そのため、裁判では如何に人々の心を掴めるかが求められる傾向があり、公平さはあまり重視されていなかった。


「それがすごいんですよ。最初は確かにフリュネさんの不利に裁判が進んでいたんですけど、終盤に入って弁護士が機転を利かせてフリュネさんの衣服を全て脱がせたんです」


「衣服を? じゃあそのフリュネって奴、公衆の面前で素っ裸になったって事?」


「はい! そうしたら、観客が全員、フリュネさんの美貌と綺麗な身体に魅了させてあっさりとフリュネさんの味方に回ったんです!」


「え? そ、そんなのってアリ? 判決をひっくり返すほどの美貌ってどんな人なんだろう?」

 リウィア一筋のタルキウスでも、流石にフリュネという女性に興味を抱かずにはいられないらしい。



 ◆◇◆◇◆



 高級娼婦(ヘタイラ)フリュネは今、ローマ屈指の資産家クラッススの邸を訪れていた。


「お前さんの商売が繁盛しているようで何よりだよ、フリュネ。だが、こうしてお前と会う時間が取り辛くなったと思うと、些か残念かもな」

 長椅子に寝そべりながら、右手で葡萄を摘まみ上げて口へと運ぶ。

 やや食べ辛そうにしているが、これがエルトリア貴族の一般的な食べ方だった。


 そんなクラッススに葡萄酒(ワイン)の入った銀のグラスを差し出す女性が一人。


「ふふふ。私もクラッスス様に会えなくて寂しかったですわ」

 そう言うのは、二十歳にも満たないくらいの金髪碧眼の美少女だった。

 完璧な美貌。その言葉をそのまま容姿にしたような美しさだった。

 ローマの一流彫刻師が一生を懸けて丹精込めて作り出した愛と美の女神ウェヌスがまるで生きているかのような容貌。

 男であれば、誰もがその白い肌に、金色の髪に触れてみたいという欲求に駆られるだろう。


 身体に見つけているのは腕輪と足輪のにでほぼ裸と言える恰好で、下着すら身に付けていない。

 下着の代わりにその長く綺麗な黄金色の髪が胸と腰を覆って辛うじて肝心な所を見えないようにしている。

 その見えるか見えないかのギリギリのラインを攻めたこの姿も男の肉欲を刺激し、見る者から理性を奪い取るのだろう。


 彼女の言葉が単なるお世辞だと分かっていても、甘えたその口調はクラッススの理性を吹っ飛ばすのに充分だった。


「フリュネよ。かねてよりの計画が遂に動き出す時が来たぞ」


「まぁ! それでは私は聖女になれるのですね!」


 その美貌と手練手管で富と名声を得たフリュネが欲しているのは聖女の座だった。

 だが、神殿で修行を積んだわけでも無い彼女が聖女になるには、それなりに危ない橋を渡る必要があったのだ。


「美と愛の女神ウェヌスをその身に降ろす大降霊魔法。ウェヌスの化身とも呼ばれるフリュネであれば、必ずや成功するであろう」


「ですが大丈夫なのですか? 降霊魔法を行なうには準備がとても大変だと聞きましたが?」


「ふふふ。案ずるな。私を誰だと思っている? マクシムス様配下の神官団の協力を取り付け、そして必要な魔力源として生贄を千人。これで準備は万端だ」


 クラッススはその財力を駆使して、奴隷千人を買い集めて生贄を確保するという荒業を披露していた。


「フリュネ、お前のためなら。私は何でもしてやるぞ。私はこれまでお前が食ってきた貧乏人どもとは違う。いくらお前に貢いでも尽きる事の無いほどの財があるのだからな」


「ありがとうございます、クラッスス様」

 フリュネはそっとクラッススの身体に手を回し、彼の頬と自分の頬を擦り合わせる。

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