第41話・茸の新薬2
解熱剤の試作品を両手に1瓶ずつ持った状態で、ソルピットの魔女は目をぱちくりさせていた。今、何かおかしなことを言われやしなかったかと、ベルの顔を見た後、救いと説明を求めるかのようにレイラへと視線を移し直した。
まだ十代の若い弟子は、師の意見に賛成とばかりにニコニコと頷いている。
「え?」
アナベルが考えもなく言葉を発する人でないことは分かっているから、最初は単に自分が聞き間違えただけだと思った。
「ソルピット茸なら、ルーシーの方が扱い慣れているでしょう?」
「え、でも……アナベル様がお作りになった物ですし……」
聞き間違いじゃなかった。森の魔女が開発した新薬を、ルーシーの名で作って売れと言っているのだ。治験も終わって品質にも問題がない、あとは売り出すだけだという段階でその権利を譲ると言われ、素直に喜んで良いのかが分からない。
ソルピットの茸を使うから、ソルピットの薬魔女が作れば良いという考えも分からないではないが、開発者を差し置いて自分の名を使うことには抵抗がある。
「薬草茶を領外へ出すことも決まったし、これ以上は抱えられないのよね」
壁面に設置された棚には薬やお茶の原料となる薬草がぎっしりと収納されている。そちらへうんざりという視線を送って、ベルはわざとらしい溜息をついてみせた。確かに、そこにはもう茸の入る隙など無いように思える。
さらに「これ以上増やしたら面倒だわ」というベルの心の声が漏れ聞こえた気がして、ルーシーは自信なさげに恐る恐る頷いた。
「ベル様が作られるほどは、売れないとは思いますが」
「反応が悪かったら、止めても構わないわ」
薬草と茸の良いとこ取りのような新薬の反応が悪い訳はないと、ルーシーは勢いよく首を横に振った。
「薬草を合わせて使うことで薬の単価も下げることが出来そうですし、きっと喜ばれると思います」
詳しい製法の説明をベルから享受され、作業部屋の慣れない道具を使って試作を繰り返している黒髪の魔女の横で、レイラもまた額に汗を浮かべながらソルピット茸の解熱剤を作り続けた。
「薬草を煮出した物は茸とは違って、急いで冷却した方が良いんでしょうか?」
「いいえ。放っておいても品質は変わらないと思うわ。先代は自然に冷めるのを待っておられたもの」
単に待つのが面倒というだけで、ベルは魔法で急速冷却していたが、薬草の場合は特にその辺りに決まりはない。
さすがに森の魔女が普段から使っている鍋や壺では魔力の消費が早いのか、ルーシーは薬草茶で魔力疲労を補いながら作業していた。少しばかり苦戦している風にも見えたが、黒髪の魔女もそれなりに魔力量があるようだ。
「ルーシー様、茸の煮出しはこのくらいで宜しいでしょうか?」
「ええ、良い感じ。そのまま自然に冷めるのを待って」
ルーシーが使っているのよりも半分の大きさしかない自分専用の鍋で、レイラは粉末化した茸を煮込んでいた。丁寧に灰汁を除けて透き通った煮汁になったそれを確認して貰うと、作業台の上に移動させてから冷ます。
レイラに解熱剤の作り方を教えに来たつもりが、なぜかベルから新薬の製法を指導されている。この不思議な状況に、ルーシーは口の端だけで小さく微笑んだ。
「先代に初めて薬作りを教えていただいた時のことを思い出しますね」
「先代のソルピットの魔女様は、どんな方だったのかしら?」
大鍋に両手を添えて、鍋ごと冷却魔法をかけながら、ルーシーは亡き師を思い浮かべた。昨年の寒い季節に胸の発作を起こし、そのまま亡くなった先代魔女は老魔女と呼ぶにはまだ若い人だった。
「静かな方、でしょうか。私と居ても、ほとんど会話もなくって」
慣れたら意外とお喋りなルーシーだが、人見知り全開の弟子入りしたての頃でも、全く干渉して来ない先代と居るのは割と楽だった。
「先代も私も、虫が大の苦手なんですが、ある時に作業部屋に大きな虫が入り込んでしまって――」
先代と打ち解けるキッカケを問われて、ルーシーは恥ずかしそうに目を逸らした。
「二人して大騒ぎしながら虫を追い払おうと箒を振り回してたら、いつの間にか日も暮れてて、冷静になって見回したら部屋もぐちゃぐちゃになってて。で、なんだか疲れちゃったわねーって一緒に大笑いして、でしょうか」
「あら。楽しそうね」
おとなしい魔女と人見知りの弟子の絆は一匹の虫が作り出したかと思うと滑稽だが、それを話しているルーシーの表情からとても愉快な思い出となっているのは確かだ。
すっかり冷めた鍋の中身を濾過してから精製し終えると、ルーシーは自分が朝一で持ち込んだ乾燥茸を、麻袋から壺に入れ替えて粉砕し始めた。その慣れた手付きはさすがに現役の薬魔女だと感心しつつ、レイラは自分の鍋に手を添えて温度を確認する。
「意外と冷めないものですね」
「ふふふ、せっかちだと茸は扱えないわね」
そのベルの言葉に、彼女がなぜ自分で新薬を作ろうとしないのかをレイラは十分に察した。
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