第39話・飛び回る子猫

 持って生まれた本能か、子猫達は翼を羽ばたかせて飛ぶ術をあっという間に修得していた。背から小さな翼が生え出した時から、その動かし方は親猫に教えられる前から何となく出来るようになっていたのだろう。


 館に戻ってからも、庭園を駆け回って遊び続けていたが、誰か一匹が翼を広げて羽ばたく仕草をすれば、他の三匹もそれに続いて真似し始める。まだ羽力の無い翼では庭木の枝に飛び乗るくらいしか出来なかったが、誰かが登れば兄弟猫も追いかけていく。


「みー、みー」


 活発なオス猫セリとランに続いて木の枝に飛び乗ってみたが、三毛猫のアヤメは上手く降りる方法が分からずに鳴き始める。母猫と同じ毛色を持つメス猫は、ナァーに似て少し臆病なところがあるのかもしれない。


「おいおい、一人で降りれんのなら登るなよ……」


 子猫の悲痛の叫びを聞きつけた庭師の老人が、木製の梯子を担いですぐに駆け付けてくる。アヤメがいる植木に梯子を立て掛けると、慣れた足取りでスルスルと登り、猫のいる枝へと手を伸ばしてやる。

 伸ばされた手に恐る恐る寄って来る子猫が、ようやく届くところまで来ると、大きな職人の手で包み込むように抱き寄せた。


「登れるくらいだ、少しやる気を出せば降りれるだろうに」


 子猫相手に小言を言ってるが、その目尻はこれでもかというほど下がり切っている。爪を立てて作業服の胸にしがみ付いていた子猫をそっと地面に降ろして、庭中を自由に走り回り飛び回っている小さな獣達の姿を目で追う。そして、呟く――これまでも何度同じことを口にしたことだろうか。


「幻獣って、何なんだろうな……」



 猫と一緒に森から戻ったアナベルは、珍しくマーサに言われる前に着替えを済ませていた。朝一で庭師が持って来た荷物の中に、訪問者からの先触れが混ざっていたからだ。


「お初にお目にかかります。ジョセフ様からご紹介いただき、本日伺わせていただきました、ネーブル商会のカイン・ネーブルと申します」


 右手を胸に当てて深々と頭を下げて来る商人へ、森の魔女はソファーの前で立ち上がって、にこやかに微笑んで返す。ネーブル商会は領主家御用達の商会の中でも一番大きな商会だ。以前に他領への薬草茶の販売ルートを確保したいとジョセフに相談したことがあったが、そこで彼が声を掛けてくれたのが、目の前で穏やかな笑顔を崩さない男の商会だった。


「まさか、ネーブル商会に話が行ってるとは思わなかったわ」

「いえいえ、領外とのお取引となれば、わたくしどもの商会を置いて、他にはありえません」


 宝飾品から日用品まで、幅広い商品を取り扱う大規模な商会だが、果たしてそんなところに庶民向けの薬草茶を取り扱わせても良いのだろうかとアナベルは訝しく思った。


「ジョセフから聞いているとは思うんだけど、扱って欲しいのは乾燥した薬草を配合しただけのお茶なのよね」


 マーサに代わって給仕に付いているレイラも、少し眉を寄せた困惑顔になっている。館の前に停められた荷馬車はシンプルながらも高級仕様で、カインの身なりも控えめなデザインだが間違いなく良い生地での仕立てだ。

 彼が薬草茶の卸しを担う姿が想像できない。けれど、商会長はアナベルの目を見据えて大きく頷き返してくる。


「ええ。存じております」


 もしかして、何か高級茶葉と勘違いしてやしないかと、アナベルはレイラに薬草茶のストックを持ってくるよう指示を出す。すぐに円柱の瓶を二つ抱えて戻って来た弟子に目配せし、カインの前へと置かせる。ソファーテーブルの上にに並んだ瓶を興味深そうに手に取って眺めていた商会長の顔からは、穏やかな笑顔を消える気配はない。


「ああ、こちらのお茶はうちの従業員達がいつも飲ませていただいている物ですね。――こちらは、初めて拝見します。ほう、安眠効果があるのですね、これも喜ぶ者が多そうです」


 レイラが作業部屋から運んできたのは、精神疲労に良い物と、安眠効果のある物だった。その内の初めて見たという瓶の方を、カインは貼られたラベルへと長く見入っている。


「こういう商売なものですから、精神的に疲れが出る者が多いのです。あまり眠れないと申す者もおりますし、これは有難い」


 高級品も取り扱うということは、それなりの相手との交渉が頻繁にあるということ。常に精神的な疲労感と戦っている従業員達が、いつの頃から誰が初めだったのかも定かではなないが、休憩室に薬草茶を置くようになった。


「今回のお話をジョセフ様から伺った際、従業員達の意見も聞いてみたのですが、是非とも売らせてくれという者が何人もおりましてね」

「まあ、そうなのね。嬉しいわ」


 わざわざ従業員に相談したということは、彼自身も当初は商会の色と合わないと考えたのだろう。けれど、実際に商品を扱うのはカインの部下達であり、彼らが扱いたいと意欲的になっているのならと今回の話を受けることにしたようだった。


「ジョセフ様からも、グランの薬草を大々的に外へ売り出して欲しいと言われております。私共でも、出来得る限りのことはさせていただくつもりです」


 ソファーに腰掛けたまま、深々と頭を下げる商会長へとアナベルは静かに微笑んで返す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る