第35話・鍛冶屋の街ハイージュ
中心街の北川に位置するハイージュは、鍛冶屋の街だ。隣領アヴェンとの領境にある山脈で採取できる鉄鉱石が、ハイージュの職人達によって武器や農工具、調理具として生まれ変えられる。
「ハイージュは母の故郷でもあるのよ」
レイラと共に作業部屋に籠って、部屋の片隅に薬草茶の円柱瓶を積み上げながら、アナベルが懐かしそうに語る。幼い頃に何度か母親に連れられたことがある鍛冶屋の街は、朝から鉄を打つ音が街中に響いている賑やかなところだった。
かと思えば、昼過ぎになるとその音は一切消えて、工房の軒先に長椅子を出し、イビキをかいて昼寝する職人達の姿があちらこちらで見ることができる。
その職人の街で幼少期を過ごしたアナベルの母だったが、早くに両親を亡くした後は、隣領シュコールの小さな町に住む祖父――つまり、アナベルにとっての曽祖父の元へと引き取られ、そこで二人で暮らしていた。亡父と同じ鍛冶職人だった曽祖父の打った剣を納品に行った先で両親は出会ったらしいが、その辺りのことはあまり聞かせて貰ったことが無かった。
今思えば、当時のことを離せば幻獣であるティグのことも話さないといけなくなるから、あえて人前で話すことは避けていたのだろう。
「あちらの店では傷薬を多めに扱うらしいから、レイラも納品へ付いて行ったらどうかしら?」
薬店が新しく出す店へと卸す品の瓶詰めをしながら、アナベルは名案を思い付いたと微笑んでいる。店に一緒に並べられる他の魔女の薬を見る良い機会でもあるし、店側も初めて扱うことになる薬草茶について説明できる者が必要だろう。
「よろしいんですか?」
「ええ。他にも様子を見に来る魔女もいるでしょうしね」
手を掛けた薬の行く末を見届けるのも大事だ。薬作りを全くしなかったという老魔女のところでは、薬店との取引経験もまともには無かったはず。
「本邸に立ち寄って、給金を受け取って来ると良いわね。良い観光をしてらっしゃいな」
宿を取って一、二泊くらいしても良いのよ、という師の言葉に、レイラは勢いよく首を横に振る。学舎を出てからずっとお使い以外の買い物なんてしたことが無かったし、一人で宿に泊まった経験もない。
恐縮しているというより、怯えているように見える弟子の顔に、アナベルはおかしそうにふふふと声を出して笑っている。普段はしっかり者の顔しか見せないレイラが、年相応の子供らしい反応を見せるなんて貴重だ。
翌朝、いつもとは違う幌付きの荷馬車で別邸へとやって来た庭師の老人は、アナベルの指示で薬や薬草茶の入った木箱を荷台へと積み込んでいく。ハイージュで新しく開業する薬店に納品する分とは聞いていたが、薬よりもお茶の方が多い。
円柱の瓶が収められた木箱を覗き込み、老人は見覚えのあるラベルを見つけたらしい。
「お、これは前に貰ったやつと同じか? 婆さんが喜んで毎晩欠かさず飲んどるわ」
「あら、それなら好きなだけ持って帰ると良いわよ」
眠りの浅さに悩んでいたクロードの妻は、少し前から薬草茶の愛飲者となっている。アナベルから勧められた薬草茶の瓶を数本、自分用にと横に取り分けて、庭師は皺だらけの顔を綻ばせていた。よっぽど気に入ってくれたみたいだ。
外出の支度を終えたレイラが館の庭に出た時、アナベルは荷馬車の側面にはめ込まれた魔石に手を添えていた。黄色の魔石だから魔獣除けで、一般的には一つあれば十分とされているが、さすがに領主家の保有する馬車だ、万が一を想定して両側面に一つずつ設置されている。そのそれぞれに魔力を補充し終えると、アナベルは緊張の色が隠しきれていないレイラの顔を覗き込んでくる。
「アナベル様の弟子として、上手くやれる自信がなくて……」
領内一の知名度を誇る森の魔女の弟子として、レイラが森の外に出るのは今回が初めてだ。アナベル本人には恐れ多くて聞けないことも、弟子相手だと不躾に言葉を掛けてくる者もいるだろう。その辺りのことはマーサからいくつか伝授してもらってはいるが、上手く立ち回れるか不安だった。
「大丈夫よ。今日はルーシーも顔を出すって言っていたわ」
「え、ルーシー様もいらっしゃるんですか?! 良かったぁ……」
ソルピットの解熱剤も新しい薬店で取り扱うことになったらしく、薬魔女ルーシーも店の開店に合わせて覗きに来るという連絡を受けていた。知っている顔があるというだけで、かなり心強い。ただ、人見知りの激しい彼女が対面での薬の説明などをするとは思えない。
――ルーシー様は、薬草茶の買い溜めに来られるのかな?
薬草茶の熱狂的な愛飲者でもあるソルピットの魔女のこと、自分の薬の売れ行きよりも、開店に合わせて納品されるアナベルのお茶が目当てかもしれない。
クロードの操る幌馬車に揺られ、中心街を抜けて北に向かってしばらくすると、鍛冶屋の街ハイージュに入った。アナベルから話を聞いていた通りに、鉄を打つ甲高い音が響く街は活気に満ちている。時たま聞こえてくる掛け声や怒声、リズミカルな金属音。
数件の鍛冶工房の横を走り抜けた後、街の中心近くに建てられたその店は、切りたての材木の匂いがした。
開店時間が少し過ぎた到着だったせいか、新しい薬店はたくさんの人で溢れている。その店内で薬草茶が並べられた棚の前に、レイラは見覚えのある長い黒髪を見つけた。
「ルーシー様」
「えっ、あ、え、ああ……なんだ、レイラね。元気にしていた?」
いきなり背後から声を掛けられて、人見知りの魔女は驚いた様子でオドオドと振り向き、レイラの顔にホッとしていた。ソルピットの魔女は相変わらずのようだ。
「はい。今、アナベル様の代理で薬と薬草茶を納品に来たところです。ルーシー様もですか?」
明らかに薬草茶を物色しているようにしか見えないルーシーだったが、マーサから「薬魔女様を見掛けたら、納品ですか? と尋ねなさい」と教え込まれていた。取引のない魔女が敵情視察に訪れることがあるので、もし何か後ろめたいことがあるなら、その一言で逃げ帰る人も多いからと。
「ええ。納品もあったんだけれど――」
言いかけて、ルーシーは目を輝かせる。
「え、薬草茶、まだたくさん納品があるの?!」
「あ、はい。今、クロードさんが手続きしてくださってるところなんですが、新しい種類もいくつか持って来てます」
「ええええ、新しいのもっ?!」
カウンターで店主らしき人と伝票のやり取りをしている庭師に視線を送り、その横に積み上げられている木箱を指差す。
「まあ、レイラ! 今日はあなたに会えて、本当に良かったわ!」
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